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京都・最勝寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | + | 鳥羽天皇が1118年(元永1年)12月17日に創建。落慶法要には鳥羽上皇、白河上皇が隣席した。金堂、薬師堂、塔があった。その後、灌頂堂、五大堂が建てられた。行尊が最勝寺別当を務めている。1314年(正和3年)2月14日、伽藍焼失。1331年(元弘1年/元徳3年)8月、[[青蓮院門跡]]の管轄下とされた。その後、衰退して応仁の乱で廃絶したと伝える。 | |
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2021年2月11日 (木) 時点における版
最勝寺(さいしょうじ)は平安京郊外の白河殿に付属した鳥羽天皇の御願寺。天台宗。六勝寺の一つ。現在の岡崎公園野球場のあたりにあった。東には法勝寺、西には京都・尊勝寺、南には円勝寺があった。(参考:同名寺院最勝寺)
歴史
鳥羽天皇が1118年(元永1年)12月17日に創建。落慶法要には鳥羽上皇、白河上皇が隣席した。金堂、薬師堂、塔があった。その後、灌頂堂、五大堂が建てられた。行尊が最勝寺別当を務めている。1314年(正和3年)2月14日、伽藍焼失。1331年(元弘1年/元徳3年)8月、青蓮院門跡の管轄下とされた。その後、衰退して応仁の乱で廃絶したと伝える。 (国史大辞典、日本歴史地名大系)