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吉田家

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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*1吉田兼直(神献霊神)():冷泉殿。墓は知恩院にあったが江戸時代中期には現存せず(『霊簿』)。
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*2吉田兼藤(神白霊神)():墓は知恩院にあったとみられる。
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*3吉田兼益(神威霊神)():墓は知恩院にあったとみられる。
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*4吉田兼夏(神貞霊神)():墓は知恩院にあったが江戸時代中期には現存せず(『霊簿』)。
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*5吉田兼豊(神恭霊神)():墓の石塔は蓮台野にあったが昭和初期に大徳寺黄梅院に移転
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*6吉田兼熙(神光霊神、神光明神)(1348-1402):兼凞。墓は蓮台野に建てられた。知恩院に移すことが計画され、宝篋印塔を建てたが中止となった。位牌所の[[吉田・神光院]]に[[神光霊社]]が建てられていた。1779年の時点では存続していた。霊社の下に遺骸があったという記述があるが確実ではない。
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*7吉田兼敦(神烈霊神)(1368-1408):
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*8吉田兼富(神度霊神)():
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*9吉田兼名(神恩霊神)():別邸を菩提寺として神恩院とした。
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*10[[吉田兼倶]](神龍大明神)(1435-1511):[[神龍神社]]。
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*11吉田兼致(神類霊神)(1458-1499):神龍神社のそばに[[神類霊社]]が建てられた。
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*12吉田兼満(後神龍霊神)():神龍神社のそばに[[後神龍霊社]]が建てられた。
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*13吉田兼右(唯神霊神)(1516-1573):新長谷寺の中に[[唯神霊社]]が建てられた。死後間もなく創建。33回忌の1604年に社殿造営。1621年屋根修復。
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|冷泉殿。墓は[[知恩院]]にあったが江戸時代中期には現存せず(『霊簿』)。
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*14吉田兼見(豊神霊神)(1535-1610):唯神霊社のそばに[[豊神霊社]]が建てられた。
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*15吉田兼治(随神霊神)(1565-1616):
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*18吉田兼敬(妙応霊神)(1653-1731):
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*19吉田兼章(神性霊神)():
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|墓は知恩院にあったとみられる。
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*20吉田良延(恵源霊神)(吉田兼雄)(1705-1787):吉田家邸内に墓を築き[[恵源霊社]]が建てられた。戦後、邸跡の売却のため発掘すると、土葬の遺骨と「吉田二位良延卿」と書かれた銅板が出土した。吉田家墓地に改葬された。専源霊神とも。
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*21吉田良倶(後豊神霊神)(吉田兼隆)():
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*22吉田良連(神源霊神)(吉田兼業)():
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*23吉田良長(神寛霊神)():
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*24吉田良煕():
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*25吉田良義(1837-1890):1867年(慶応3年)8月、神祇権大副。1868年(明治1年)2月、参与・神祇事務局輔。10月皇学所御用掛。宮内省掌典。1879年(明治12年)[[吉田神社]]宮司。1884年(明治17年)[[日枝神社]]宮司。子爵。1890年(明治23年)3月4日死去(官報)。(『神道人名辞典』など)
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|1402年(応永9年)5月3日死去。59歳。兼〓。墓は蓮台野に建てられた。知恩院に移すことが計画され、宝篋印塔を建てたが中止となった。位牌所の[[吉田・神光院]]に[[神光霊社]]が建てられていた。
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1779年の時点では存続していた。霊社の下に遺骸があったという記述があるが確実ではない。
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|1671年(寛文11年)11月20日死去。77歳。
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|1867年(慶応3年)8月、神祇権大副。1868年(明治1年)2月、参与・神祇事務局輔。10月皇学所御用掛。宮内省掌典。1879年(明治12年)吉田神社宮司。1884年(明治17年)[[日枝神社]]宮司。子爵。1890年(明治23年)3月4日死去(官報)。(『神道人名辞典』など)
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===萩原家歴代===
===萩原家歴代===

2019年12月7日 (土) 時点における版

吉田家吉田神道を司り、神祇管領長上を名乗って全国の神職に免状を発行した家。卜部氏。のち華族となり子爵となる。

目次

歴史

歴代

吉田家

歴代 名前 神号 生没年 コメント
1 吉田兼直 神献霊神 冷泉殿。墓は知恩院にあったが江戸時代中期には現存せず(『霊簿』)。
2 吉田兼藤 神白霊神 墓は知恩院にあったとみられる。
3 吉田兼益 神威霊神 墓は知恩院にあったとみられる。
4 吉田兼夏 神貞霊神 墓は知恩院にあったが江戸時代中期には現存せず(『霊簿』)。
5 吉田兼豊 神恭霊神 墓の石塔は蓮台野にあったが昭和初期に大徳寺黄梅院に移転
6 吉田兼熙 神光霊神、神光明神 1348-1402 1402年(応永9年)5月3日死去。59歳。兼〓。墓は蓮台野に建てられた。知恩院に移すことが計画され、宝篋印塔を建てたが中止となった。位牌所の吉田・神光院神光霊社が建てられていた。

1779年の時点では存続していた。霊社の下に遺骸があったという記述があるが確実ではない。

7 吉田兼敦 神烈霊神 1368-1408 1408年(応永15年)6月21日死去。41歳。
8 吉田兼富 神度霊神
9 吉田兼名 神恩霊神 ?-1460 1460年(寛正1年)10月28日死去。別邸を菩提寺として神恩院とした。
10 吉田兼倶 神龍大明神 1435-1511 1511年(永正8年)2月19日死去。神龍神社
11 吉田兼致 神類霊神 1458-1499 1499年(明応8年)7月24日死去。42歳。神龍神社のそばに神類霊社が建てられた。
12 吉田兼満 後神龍霊神 1485-1528 1528年(享禄1年)11月3日死去。44歳。神龍神社のそばに後神龍霊社が建てられた。
13 吉田兼右 唯神霊神 1516-1573 1573年(天正1年)1月10日死去。58歳。新長谷寺の中に唯神霊社が建てられた。死後間もなく創建。33回忌の1604年に社殿造営。1621年屋根修復。
14 吉田兼見 豊神霊神 1535-1610 1610年(慶長15年)9月2日死去。76歳。唯神霊社のそばに豊神霊社が建てられた。
15 吉田兼治 随神霊神 1565-1616 1616年(元和2年)6月5日死去。52歳。
16 吉田兼英 通神霊神 1595-1671 1671年(寛文11年)11月20日死去。77歳。
17 吉田兼起 泰神霊神 1618-1657 1657年(明暦3年)4月7日死去。40歳。
18 吉田兼敬
(吉田兼連)
妙応霊神 1653-1731 1731年(享保16年)12月17日死去。79歳。
19 吉田兼章 神性霊神 1678-1709 1709年(宝永6年)12月25日死去。32歳。
20 吉田良延
(吉田兼雄)
恵源霊神 1705-1787 1787年(天明7年)8月20日死去。83歳。吉田家邸内に墓を築き恵源霊社が建てられた。戦後、邸跡の売却のため発掘すると、土葬の遺骨と「吉田二位良延卿」と書かれた銅板が出土した。吉田家墓地に改葬された。専源霊神とも。
21 吉田良倶
(吉田兼隆)
後豊神霊神 1739-1796 1796年(寛政8年)2月22日死去。58歳。
22 吉田良連
(吉田兼業)
神源霊神 1762-1813 1813年(文化10年)6月12日死去。52歳。
23 吉田良長 神寛霊神 1792-1840 1840年(天保11年)11月26日死去。49歳。
24 吉田良煕
25 吉田良義 1837-1890 1867年(慶応3年)8月、神祇権大副。1868年(明治1年)2月、参与・神祇事務局輔。10月皇学所御用掛。宮内省掌典。1879年(明治12年)吉田神社宮司。1884年(明治17年)日枝神社宮司。子爵。1890年(明治23年)3月4日死去(官報)。(『神道人名辞典』など)

萩原家歴代

  • 萩原兼従(神海霊社)(1588-1660):吉田兼治の長男。家督を弟に譲り、豊国神社神職となる。神海霊社。神海院殿卵従大居士。吉田神社に墳墓が築かれ神海霊社が建てられた。
  • 萩原員光:子爵

吉田家旧跡

  • 吉田家関東役所


参考文献

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%AE%B6」より作成

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