ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
四天王寺関連旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
10行: | 10行: | ||
*三昧院:『天王寺誌』には「南無仏ノ太子、五智如来、普賢菩薩、四天王」とある。廃絶。 | *三昧院:『天王寺誌』には「南無仏ノ太子、五智如来、普賢菩薩、四天王」とある。廃絶。 | ||
*普門院:『天王寺誌』には「両大師像、不動明王、毘沙門天」とある。 | *普門院:『天王寺誌』には「両大師像、不動明王、毘沙門天」とある。 | ||
- | *[[四天王寺勝鬘院|勝鬘院]] | + | *[[四天王寺勝鬘院|勝鬘院]]:大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町。本尊は愛染明王。愛染堂と呼ばれる。聖徳太子が立てた施薬院が前身。聖徳太子が勝鬘経を説いた旧跡という。忍性が真言院として中興し真言律宗の時期もあった。真言密教勝鬘流を伝えた。多宝塔は大阪市内で現存最古の木造建造物。 |
*[[四天王寺薬師院|薬師院]]:大阪府大阪市天王寺区四天王寺。北西門の脇にあった。最澄の創建という。朱雀天皇御願寺。[[叡尊]]が復興して[[西大寺]]末の真言律宗となり、[[忍性]]の申請で[[関東祈祷所]]となる。叡尊弟子の観心房禅海が長老を務めていた。椎寺と呼ばれた。『天王寺誌』には「椎寺と云う」とあり、「薬師如来、日光、月光、十二神」とある。 | *[[四天王寺薬師院|薬師院]]:大阪府大阪市天王寺区四天王寺。北西門の脇にあった。最澄の創建という。朱雀天皇御願寺。[[叡尊]]が復興して[[西大寺]]末の真言律宗となり、[[忍性]]の申請で[[関東祈祷所]]となる。叡尊弟子の観心房禅海が長老を務めていた。椎寺と呼ばれた。『天王寺誌』には「椎寺と云う」とあり、「薬師如来、日光、月光、十二神」とある。 | ||
*念仏三昧院:源頼朝が参拝。鳥羽天皇御願寺。[[金剛念仏三昧院]]か? | *念仏三昧院:源頼朝が参拝。鳥羽天皇御願寺。[[金剛念仏三昧院]]か? | ||
103行: | 103行: | ||
**逢坂:四天王寺境内 | **逢坂:四天王寺境内 | ||
- | *[[摂津・百済寺]]:大阪府大阪市天王寺区堂ケ芝。[[堂ケ芝廃寺]]に比定。近くに[[百済尼寺]]もあった。『天王寺誌』に「天王寺ノ末寺」とあるが編纂時には既に断絶していた。百済寺は古代の時点で[[河内・百済寺|河内]]に移転したとされる。四天王寺六時礼讃堂の千手観音は百済寺旧本尊という。 | + | *[[摂津・百済寺|百済寺]]:大阪府大阪市天王寺区堂ケ芝。[[堂ケ芝廃寺]]に比定。近くに[[百済尼寺]]もあった。『天王寺誌』に「天王寺ノ末寺」とあるが編纂時には既に断絶していた。百済寺は古代の時点で[[河内・百済寺|河内]]に移転したとされる。四天王寺六時礼讃堂の千手観音は百済寺旧本尊という。 |
*[[阿倍寺]]:大阪府大阪市阿倍野区松崎町。推定地碑がある。天下茶屋公園に塔礎石が移設されている。『天王寺誌』に「天王寺ノ末寺」とある。四天王寺六時礼讃堂の千手観音は阿倍寺旧本尊という。阿部寺。 | *[[阿倍寺]]:大阪府大阪市阿倍野区松崎町。推定地碑がある。天下茶屋公園に塔礎石が移設されている。『天王寺誌』に「天王寺ノ末寺」とある。四天王寺六時礼讃堂の千手観音は阿倍寺旧本尊という。阿部寺。 | ||
*願成就院:東窪村にあった。寺中役人が大法会の前に晴天を祈願していたという。『天王寺誌』の時には既に断絶していた。 | *願成就院:東窪村にあった。寺中役人が大法会の前に晴天を祈願していたという。『天王寺誌』の時には既に断絶していた。 | ||
*多羅尼堂:安居神社の上にあった。『天王寺誌』の時には既に断絶していた。 | *多羅尼堂:安居神社の上にあった。『天王寺誌』の時には既に断絶していた。 | ||
*金龍寺:勝鬘院の北にあった。1612年(慶長17年)の検地で秋野坊の管轄下となる。 | *金龍寺:勝鬘院の北にあった。1612年(慶長17年)の検地で秋野坊の管轄下となる。 | ||
+ | *円成院:大阪府大阪市天王寺区下寺町。時宗。一遍が四天王寺に参籠した時の庵の跡という。本尊は薬師如来。延享年間、遊行上人51世賦存が再建。 | ||
+ | *西方寺:大阪府大阪市浪速区下寺。融通念仏宗。暁成山。本尊は阿弥陀如来。[[河内・六万寺]]の後身。730年(天平2年)河内国池島に行基が創建。天慶年間、焼失。1282年(弘安5年)再建して西方寺と改称。1347年(貞和3年)楠木正行の兵火で焼失。玉造に移転して再建。石山合戦の時、織田信長が西方寺慶阿弥に陣中の内目付を命じ、陣鐘・陣太鼓を与え、さらに摂津国・河内国の六斎念仏の取締を命じた。1615年(元和1年)焼失。1625年(寛永2年)難波村に移転。1868年(明治1年)焼失。1874年(明治7年)3月、現在地に移転。近隣から移した閻魔堂がある。 | ||
*荒陵山:茶臼山。『天王寺誌』に仁徳天皇が陵墓を築こうとしたがここは清浄の地であるとのお告げがあり、百舌鳥に変更したという。 | *荒陵山:茶臼山。『天王寺誌』に仁徳天皇が陵墓を築こうとしたがここは清浄の地であるとのお告げがあり、百舌鳥に変更したという。 | ||
2021年11月27日 (土) 時点における版
四天王寺の関連旧跡。
目次 |
伽藍
- 敬田院:伽藍中心部の区画
- 悲田院:伽藍の東北に建立。ただしのちに場所が移ったのか、四天王寺の南に悲田院町の地名が残る。
- 施薬院:伽藍の西北に建立。現在の勝鬘院という。
- 療病院:伽藍の北に建てたという。
- 聖霊院:
- 五智光院:本坊内にある。本尊は五智如来。灌頂堂。徳川家の位牌を祀ることから御霊舎とも。叡尊旧跡。『天王寺誌』には「大日如来」とあり、「今ハ将軍家代々位牌処也」とある。1177年(治承1年)後白河法皇が建て、灌頂を受けた。
- 三昧院:『天王寺誌』には「南無仏ノ太子、五智如来、普賢菩薩、四天王」とある。廃絶。
- 普門院:『天王寺誌』には「両大師像、不動明王、毘沙門天」とある。
- 勝鬘院:大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町。本尊は愛染明王。愛染堂と呼ばれる。聖徳太子が立てた施薬院が前身。聖徳太子が勝鬘経を説いた旧跡という。忍性が真言院として中興し真言律宗の時期もあった。真言密教勝鬘流を伝えた。多宝塔は大阪市内で現存最古の木造建造物。
- 薬師院:大阪府大阪市天王寺区四天王寺。北西門の脇にあった。最澄の創建という。朱雀天皇御願寺。叡尊が復興して西大寺末の真言律宗となり、忍性の申請で関東祈祷所となる。叡尊弟子の観心房禅海が長老を務めていた。椎寺と呼ばれた。『天王寺誌』には「椎寺と云う」とあり、「薬師如来、日光、月光、十二神」とある。
- 念仏三昧院:源頼朝が参拝。鳥羽天皇御願寺。金剛念仏三昧院か?
子院
- 本坊:庭園には一心大神(弁才天)を祀る。
- 静心院:衆徒十二坊。
- 明静院:衆徒十二坊。
- 東光院:衆徒十二坊。大阪府大阪市天王寺区四天王寺。大江神社別当。
- 静専院:衆徒十二坊。大阪府大阪市天王寺区四天王寺。
- 中之院:衆徒十二坊。大阪府大阪市天王寺区四天王寺。
- 自性院:衆徒十二坊。大阪府大阪市天王寺区大道。
- 吉祥院:衆徒十二坊。大阪府大阪市天王寺区四天王寺。
- 玉照院:衆徒十二坊。
- 千葉院:衆徒十二坊。
- 修禅院:衆徒十二坊。
- 一音院:衆徒十二坊。大阪府大阪市天王寺区四天王寺。
- 法幢院:衆徒十二坊。
- 秋野坊:大阪府大阪市天王寺区伶人町。廃絶。妻帯。四天王寺執行職(公文所職)を世襲した。小野妹子の末裔という(慊堂日暦)。南北朝時代には存在していた。
- 真光院:大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町。四天王寺僧侶の菩提所。本尊は阿弥陀如来。脇侍に如意輪観音と地蔵菩薩を祀る。聖徳太子御影と釈迦牟尼如来御影も祀る。聖徳太子が用明天皇の冥福を祈りために7日間念仏三昧を行ったところ、阿弥陀如来が出現したので、自作の阿弥陀像を祀って創建したという。地蔵菩薩は六万体地蔵尊と呼ばれている。不動堂があり、不動明王、如意輪観音、地蔵菩薩を祀る。『天王寺誌』に「天王寺ノ末寺」とあり、四天王寺境内では葬儀をしてはならないと太子が定めたため寺外で行った。勝鬘院の東にある。寺号は瑞雲寺。山号は光徳山。
- 三箇院:関東祈祷所
- 舎那院:関東祈祷所
- 清光院:大阪府大阪市天王寺区伶人町。新清水寺。有栖寺。在栖河寺。尼寺だった。『天王寺誌』に「天王寺ノ末寺」とある。1640年(寛永17年)、京都清水寺の延海から観音像を拝領して秋野坊が再興した。
- 来迎寺:『天王寺誌』に「天王寺ノ末寺」とある。清光院の北にあった。空海が西大門で日想観を行った時、武庫山から阿弥陀如来が出現したので一宇を建てて聖徳太子作の阿弥陀三尊像を安置し、来迎寺と名付けたという。
- 清水院:
- 万塔院:初名は小塔院。
- 蓮華蔵院:聖徳太子伝を伝授して全国に広める拠点になっていたとみられる。
- 地弥院:本尊が現存。芹田坊。阿弥陀如来と地蔵菩薩を祀る。太子伝を秘伝する坊だったという。
- 施行院:大阪府大阪市天王寺区悲田院町。
- 地蔵院:大阪府大阪市天王寺区勝山。『天王寺誌』に「天王寺ノ末寺」とあり「来歴は真光院と同じ」という。菩提所だったか。
- 奥之院:大阪府大阪市天王寺区堀越町。庚申堂境内。
- 安居院:大阪府大阪市天王寺区逢坂。現在の安居神社の地にあったと伝える。安居殿もこの地にあったと考えられている。廃絶。
- 三恵院:
- 宝塔院:
- 無礙院:
- 奥の庵:山号は金龍山。本尊は阿弥陀如来。1786年(天明6年)5月、浄国寺存定が創建。現存不詳。(大阪府全志)
- 一乗坊:
- 杉本坊:
- 中坊:
- 奥坊:
- 神坊:
- 中少路:
- 念仏院
- 東二坊
- 西一坊
- 光坊
- 恵日坊
- 魚少路
- 岡坊
- 薬師坊
- 山上坊
- 竹ノ坊
- 入江坊
一覧
- 一心寺:大阪府大阪市天王寺区逢坂。浄土宗。1185年(文治1年)、法然が浄土教の聖地となっていた四天王寺西門前に四天王寺別当慈円の招聘で開いたと伝える。
- 大坂・願泉寺:大阪府大阪市浪速区大国。小野妹子の子が開いたという。歴代住職は天王寺楽所の楽人。浄土真宗本願寺派。
- 大坂・超願寺:大阪府大阪市天王寺区大道。聖徳太子の創建。浄土真宗本願寺派。土塔御坊。竹本義太夫の墓がある。
- 良運院:大阪府大阪市天王寺区下寺町。浄土宗。天王寺楽所の東儀家の墓地。
- 飛田墓地:大阪七墓の一つ。江戸時代の処刑場だった。子院歴代住職の墓地があった。現在は何の痕跡もない。
- 藤原家隆墓:大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町。夕陽丘の地名の由来になったという家隆の夕陽庵があった。
- 北畠顕家墓:大阪府大阪市阿倍野区王子町。『天王寺誌』に記載。
- 天王寺七名水
- 金龍:泰聖寺境内
- 有栖:跡地不明
- 増井:安居神社の北
- 安井:安居神社境内
- 玉手:一心寺西
- 亀井:四天王寺境内
- 逢坂:四天王寺境内
- 百済寺:大阪府大阪市天王寺区堂ケ芝。堂ケ芝廃寺に比定。近くに百済尼寺もあった。『天王寺誌』に「天王寺ノ末寺」とあるが編纂時には既に断絶していた。百済寺は古代の時点で河内に移転したとされる。四天王寺六時礼讃堂の千手観音は百済寺旧本尊という。
- 阿倍寺:大阪府大阪市阿倍野区松崎町。推定地碑がある。天下茶屋公園に塔礎石が移設されている。『天王寺誌』に「天王寺ノ末寺」とある。四天王寺六時礼讃堂の千手観音は阿倍寺旧本尊という。阿部寺。
- 願成就院:東窪村にあった。寺中役人が大法会の前に晴天を祈願していたという。『天王寺誌』の時には既に断絶していた。
- 多羅尼堂:安居神社の上にあった。『天王寺誌』の時には既に断絶していた。
- 金龍寺:勝鬘院の北にあった。1612年(慶長17年)の検地で秋野坊の管轄下となる。
- 円成院:大阪府大阪市天王寺区下寺町。時宗。一遍が四天王寺に参籠した時の庵の跡という。本尊は薬師如来。延享年間、遊行上人51世賦存が再建。
- 西方寺:大阪府大阪市浪速区下寺。融通念仏宗。暁成山。本尊は阿弥陀如来。河内・六万寺の後身。730年(天平2年)河内国池島に行基が創建。天慶年間、焼失。1282年(弘安5年)再建して西方寺と改称。1347年(貞和3年)楠木正行の兵火で焼失。玉造に移転して再建。石山合戦の時、織田信長が西方寺慶阿弥に陣中の内目付を命じ、陣鐘・陣太鼓を与え、さらに摂津国・河内国の六斎念仏の取締を命じた。1615年(元和1年)焼失。1625年(寛永2年)難波村に移転。1868年(明治1年)焼失。1874年(明治7年)3月、現在地に移転。近隣から移した閻魔堂がある。
- 荒陵山:茶臼山。『天王寺誌』に仁徳天皇が陵墓を築こうとしたがここは清浄の地であるとのお告げがあり、百舌鳥に変更したという。
和宗寺院
- 国束寺:三重県度会郡度会町平生。和宗
- 宝泉寺:大阪府大阪市中央区龍造寺町。