ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

安祥寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2019年1月21日 (月) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
移動: 案内, 検索

安祥寺(あんしょうじ)は、京都府京都市山科区にある、真言宗の元門跡寺院定額寺高野山真言宗別格本山。「高野堂」とも。吉祥山


歴史

淳和天皇皇后の正子内親王の長寿を祝って、恵運が嘉祥元年(848)創建。11世宗意のころには栄え、真言宗小野流の筆頭寺院となり、安祥寺流を創始。延慶3年(1310)に門跡寺院となる。21世興雅のとき、法流と門跡号を高野山に譲ったという(高野山が門跡寺院となった??)。文明元年(1469)、兵火を受ける。豊臣秀吉に逆らい、寺禄を没収される。江戸時代には金剛峰寺の兼務となる。宝暦9年(1759)、41世弘範が伽藍を整備。現在の本堂には十一面観音五智如来を祀る。(金岡秀友、昭和56『古寺名刹大辞典』)

摂津国にあった古代寺院安曇寺の銅鐘が伝わる。

歴代住職

  • 1恵運(798-869)<848->:安祥寺開山。入唐して青龍寺義真に師事。東大寺別当。
  • 朝寿()<>:
  • 朝源()<>:
  • 11宗意(1074-1148)<1120->:安祥寺流の祖。
  • 実厳()<>:
  • 成恵()<>:
  • 光誉()<>:
  • 実舜()<>:
  • 実静()<>:
  • 道俊()<>:
  • 良伊()<>:
  • 隆雅()<>:
  • 21興雅()<-1377>:
  • 隆快()<>:
  • 光意()<>:

(『日本仏家人名辞書』)

  • 深覚()<>:勧修寺5世。以後、勧修寺長吏が安祥寺座主を兼務。
  • 宥快(1345-1416)<1377->:高野山宝性院住職が本務。以後、同寺住職が兼務。
  • 41弘範()<>:
  • 興信法親王(1358-1391)<>:勧修寺長吏。安祥寺。
  • 海覚法親王(1499-1531)<>:勧修寺長吏。安祥寺、四天王寺を兼務。
  • 寛欽入道親王(1514-1563)<>:勧修寺長吏。安祥寺、天平寺を兼務。
  • 小川光義(1853-1929)<>:大覚寺門跡。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%AE%89%E7%A5%A5%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール