ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
峰定寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
峰定寺(ぶじょうじ)は、京都府京都市左京区花背原地町にある修験道本山派の寺院。本尊は千手観音。修験道根本道場の大峰山に擬して北大峰ともいう。聖護院から離れて単立だった時代もあるが、現在は本山修験宗別格本山。峯定寺。慈眼院。山号は大悲山で、大悲山寺ともいう。
大悲山周辺は近世初期までは丹波国桑田郡だったが、1645年までに山城国愛宕郡に転じた。 熊野那智山で2年、大峯山で3年にわたり修行したという観空西念が1154年2月に千手観音を祀って創建。 4月、鳥羽上皇の勅願で不動明王と毘沙門天も祀った。 観音の脇侍に不動と毘沙門を配するのは天台宗系の様式で、延暦寺横川中堂に通じる。現在の本尊像はこの創建当時のものだと考えられている。 1156年、信西が『大悲山峰定寺縁起』を記す。 1159年、藤原忠通が寺領を寄進。平清盛が仏舎利などを奉納したという。
平安時代末成立の『以呂波字類抄』には寺名はでないものの、大悲山の岩窟の脇に霊石があり、千手観音に擬せられているとつづられている。
比較的近い鞍馬寺の末寺となるが、1326年には両寺の間で本末争論が起こる。 さらに峰定寺の支配を巡って延暦寺と園城寺が争ったため、寺運は衰退したという。
1350年、現在の懸け造りの本堂が造営された。同年造営の供水所は現存最古の閼伽井屋の遺構という。
1686年の『雍州府志』には聖護院に属すとあるが、1705年の『山城名勝志』には醍醐寺三宝院末とある。
享保年間、成就院の元快が入って中興した。
成就院は貴船神社奥院の近くにあったが、嘉永年間に流失したという(京都府愛宕郡村志)。
俊寛の塔、獅子岩がある。 山中には行場があり、山上には蔵王権現が祀られている。
(『日本歴史地名大系』ほか)
- 「大悲山寺縁起」[1]