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梅宮大社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2021年10月16日 (土) 時点における版
梅宮大社(うめのみや・たいしゃ)は京都府京都市右京区フケノ川町(山城国葛野郡)にある神社。祭神は酒解神、大若子神、小若子神、酒解子神。橘氏の氏神で、天皇の外戚祖神にあたる。酒造の神として信仰される。官社。名神大社。従三位。二十二社。官幣中社。現在は。単立。
目次 |
奉斎
歴史
- 奈良時代:橘三千代が山城国綴喜郡井手に創建(井手寺のあたり)。
- 天平宝字年間:光明皇后と牟婁女王が平城京に遷座。
- 相楽郡の「挊山」(不詳)に遷座。
- 平安時代:檀林皇后が現在地に遷座。
- 仁寿年間:文徳天皇が嵯峨天皇など相殿4座を合祀。
境内
- 本社:現在の本殿は1700年(元禄13年)造営。拝殿は1700年(元禄13年)に造営後、台風で大破し、1828年(文政11年)に再建。
- 若宮社:祭神は橘諸兄(葛城王)。橘氏始祖。摂社。本社の東にある。現在の本殿は1700年(元禄13年)造営。
- 護王社:祭神は橘氏公と橘逸勢。橘氏公は檀林皇后の兄。橘逸勢は檀林皇后のいとこ。摂社。本社の西にある。現在の本殿は1700年(元禄13年)造営。
- 影向石:熊野三社を祀る。護王社の西にある。熊野から三羽烏が飛来したという。
- またげ石:
- 稲荷社:1983年(昭和58年)、境外から遷座。
- 神明社:2012年(平成24年)、西梅津から遷座し社殿造営。
- 随身門:祭神は豊磐間戸命・奇磐間戸命。1700年(元禄13年)に造営後、台風で大破し、1830年(天保1年)に再建。
組織
宮司
- 山根愨輔()<1875-1876>:1875年(明治8年)5月20日、梅宮神社宮司兼中講義。1876年(明治9年)3月25日、大和神社少宮司。山根温知。(略歴は橿原神宮#組織を参照)
- 橋本順積()<1876->:1876年(明治9年)8月、梅宮神社宮司。
- 橋本順行()<>:梅宮大社、吉田神社の宮司。
- 氷室昭長(-1936)<>:氷室家は津島神社の社家。梅宮大社、気多大社、鶴岡八幡宮の宮司。折口信夫の親友。
- 辻村豊宣()<>:
- 金原利道()<1912->:1912年(大正1年)4月5日、梅宮大社宮司。
- 宇仁義一()<-1921->:甲斐・浅間神社宮司
- 田中文清(-1999)<-1948>:石清水八幡宮宮司。
- 橋本順忠(1900-1976)<1953-1976>:画家。橋本順行の三男。京都市立美術工芸学校卒。1930年帝展入選。
- 橋本以行(1909-2000)<>:海軍将校。橋本順忠の弟。潜水艦伊五十八の艦長として知られる。
- 橋本以裕(1939-)<1991->:橋本以行の長男。神奈川県逗子市生まれ。大阪音楽大学卒。