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玄奘旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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*白鹿原
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*[[長安・興教寺]]  
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*[[建初寺]]:中国南京。長安から頂骨が改葬された。
*[[武蔵・慈恩寺]]
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*[[薬師寺]]
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*[[台南・玄奘寺]]
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==年譜==
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===生涯===
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*653年10月15日:大慈恩寺に「大唐太宗文皇帝製三蔵聖教序」碑を建立。
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*653年12月10日:大慈恩寺に「大唐三蔵聖教序記」(高宗撰)碑を建立。
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*664年2月5日:玉華寺で死去。
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===死後===
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*死後:長安東郊の白鹿原に埋葬。
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*669年以前:長安南郊の興教寺に改葬。墓塔を建立。
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*672年:弘福寺に「大唐三蔵聖教序」碑を建立。
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*9世紀:墓塔を修復。
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*875-884年頃:黄巣の乱を避けるため、可成が頂骨を長安から避難。場所は不明?
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*1027年:玄奘頂骨が、南京の建初寺の東岡に埋葬。改葬前の所在は不詳。
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*1386年:玄奘頂骨、建初寺の東岡から南岡に改葬。
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*1942年:日本軍が南京郊外で石棺に入った玄奘遺骨を発見。
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===死後(日本)===
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*764年:薬師堂西院の正堂障子に玄奘絵像が描かれる。
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*813年:興福寺南円堂扉絵に玄奘絵像が描かれる。
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*1251年:西大寺叡尊、南都絵所吐田座に玄奘御影を描かせる。
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*14世紀前半:『玄奘三蔵絵』が制作される。大乗院門跡に伝わる。
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*1461年:興福寺の三蔵会のため、南都絵所吐田座に玄奘御影を描かせる。
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[[category:人物旧跡]]
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2020年7月15日 (水) 時点における版

玄奘(げんじょう)(602-664)は、唐代の渡印僧・訳経僧。陳氏。現在の河南省出身。三蔵法師。法相宗の開祖ともされる(弟子のを開祖とすることが多い)

629年、出発。645年帰国。忌日法要を、三蔵会、玄奘会、玄奘三蔵会という。

目次

一覧

修行時代

渡印

帰国後

墓所など

年譜

生涯

  • 653年10月15日:大慈恩寺に「大唐太宗文皇帝製三蔵聖教序」碑を建立。
  • 653年12月10日:大慈恩寺に「大唐三蔵聖教序記」(高宗撰)碑を建立。
  • 664年2月5日:玉華寺で死去。

死後

  • 死後:長安東郊の白鹿原に埋葬。
  • 669年以前:長安南郊の興教寺に改葬。墓塔を建立。
  • 672年:弘福寺に「大唐三蔵聖教序」碑を建立。
  • 9世紀:墓塔を修復。
  • 875-884年頃:黄巣の乱を避けるため、可成が頂骨を長安から避難。場所は不明?
  • 1027年:玄奘頂骨が、南京の建初寺の東岡に埋葬。改葬前の所在は不詳。
  • 1386年:玄奘頂骨、建初寺の東岡から南岡に改葬。
  • 1942年:日本軍が南京郊外で石棺に入った玄奘遺骨を発見。

死後(日本)

  • 764年:薬師堂西院の正堂障子に玄奘絵像が描かれる。
  • 813年:興福寺南円堂扉絵に玄奘絵像が描かれる。
  • 1251年:西大寺叡尊、南都絵所吐田座に玄奘御影を描かせる。
  • 14世紀前半:『玄奘三蔵絵』が制作される。大乗院門跡に伝わる。
  • 1461年:興福寺の三蔵会のため、南都絵所吐田座に玄奘御影を描かせる。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%8E%84%E5%A5%98%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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