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真宗大谷派難波別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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真宗大谷派難波別院(しんしゅうおおたには・なんば・べついん)は、大阪府大阪市中央区にある真宗大谷派の別院。教如の大谷本願寺を継承する寺院。浄土真宗本願寺派の北御堂津村別院に対して南御堂と呼ばれる。大坂御坊。本願寺遷座旧跡。
歴史
豊臣秀吉から隠退を命じられた後、本願寺12代教如は大谷本願寺を創建。文禄4年(1595)かその翌年に創建され、現在の天満から道修町のあたりにあった。慶長3年(1598)、城下町整備によって現在地に移転した。7年(1602)に京都に東本願寺を創建したことで大谷本願寺は大坂御坊となった。慶長8年、4年掛けて本堂を建立。また正徳4年(1714)にも巨大な本堂が再建された。大坂商人の門徒の信仰を集め、支えられた。明治天皇の大阪行幸に際しては太政官代に当てられた。 大阪空襲で焼失。昭和36年(1961)に再建された。同様に激しい戦災の被害を受けた堺別院は昭和46年(1971)降格して難波別院の堺支院となった。
子院
子院?
- 即応寺
- 称讃寺
- 来極寺
- 妙琳寺
- 通観寺
- 仁託寺
(政教中正論)
参考文献
- 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部
- 『蘆分船』絵図[1]