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真盛旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''真盛'''(しんせい)(1443-1495)は、[[天台宗]][[真盛派]](現・[[天台真盛宗]])の開祖。[[西教寺]]開山。'''円戒国師'''、'''慈摂大師'''。  
'''真盛'''(しんせい)(1443-1495)は、[[天台宗]][[真盛派]](現・[[天台真盛宗]])の開祖。[[西教寺]]開山。'''円戒国師'''、'''慈摂大師'''。  
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== 生涯 ==
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嘉吉3年(1443)1月28日、伊勢国一志郡小倭荘大仰里(三重県一志郡一志町)に、北畠家の家臣の小泉藤能の子として誕生。跡地に[[伊勢・誕生寺]]がある。幼名は宝珠丸。
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川口の光明寺で得度。
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尾張国篠木(愛知県春日井市)の[[密蔵院]]で修行。
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父の死を受けて帰郷。勉学のため[[伊勢神宮]]に祈願。
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寛正2年(1461)、兵衛大夫という者の援助を受けて[[比叡山]]へ。慶秀に師事。阿闍梨、伝燈大法師、大乗会講師と順調に出世。
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文明15年(1483)、40歳のとき、母の危篤のため20年ぶりに山を降り帰郷。母の死を看取る。比叡山で遁世。黒谷[[青龍寺]]に籠る。
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文明17年、浄土院に参籠して往生要集を授かる。
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文明18年、青龍寺大黒天のお告げで布教を始める。[[生源寺]]で往生要集を講義。最初の布教。説教を聞いて感動した幸叡が[[西教寺]]に招く。
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長享2年(1844)越前布教。真敬が[[引接寺]]創建。
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延徳2年(1490)伊勢布教。[[西来寺]]創建。
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延徳4年、伊賀布教。[[西蓮寺]]で別時念仏。
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明応2年(1493)、二祖となる盛全が師事。
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明応3年(1494)弟子の真九が[[成願寺]]創建。
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明応4年(1495)2月30日、53歳で[[伊賀・西蓮寺]]で死去。
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伊勢、伊賀、大和、河内、山城、近江、若狭、越前、信濃を巡教。
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宮中では後土御門天皇、皇太子時代の後柏原天皇、尊伝(尊盛)法親王などに布教、授戒した。
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後土御門天皇は、宸筆の「真盛上人」の書を下賜。
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甘露寺親長、三条西実隆、庭田雅行、飛鳥井雅親なども帰依。
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後土御門天皇の下問に答え、『奏進法語』を執筆して献上。
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将軍足利義政の招きで説教。義政は[[銀閣寺]]持仏堂に『往生要集』を奉安したのは真盛の影響という。日野富子も指示。将軍側近の女性の大蔵卿局は将軍没後に真盛のもとで出家した。
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朝倉貞影、畠山義就、畠山義豊、六角高頼、河毛盛空、北畠材親、新長門守などが帰依。
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朝倉貞影は一乗谷に真盛を招いた。弟が出家して真慶と名乗り、[[越前・引接寺]]創建。
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新長門守は出家して真九を名乗り小倭に[[成願寺]]を創建。
== 一覧 ==
== 一覧 ==
*[[比叡山・青龍寺]]
*[[比叡山・青龍寺]]

2015年12月9日 (水) 時点における版

真盛(しんせい)(1443-1495)は、天台宗真盛派(現・天台真盛宗)の開祖。西教寺開山。円戒国師慈摂大師


生涯

嘉吉3年(1443)1月28日、伊勢国一志郡小倭荘大仰里(三重県一志郡一志町)に、北畠家の家臣の小泉藤能の子として誕生。跡地に伊勢・誕生寺がある。幼名は宝珠丸。 川口の光明寺で得度。 尾張国篠木(愛知県春日井市)の密蔵院で修行。 父の死を受けて帰郷。勉学のため伊勢神宮に祈願。 寛正2年(1461)、兵衛大夫という者の援助を受けて比叡山へ。慶秀に師事。阿闍梨、伝燈大法師、大乗会講師と順調に出世。 文明15年(1483)、40歳のとき、母の危篤のため20年ぶりに山を降り帰郷。母の死を看取る。比叡山で遁世。黒谷青龍寺に籠る。 文明17年、浄土院に参籠して往生要集を授かる。 文明18年、青龍寺大黒天のお告げで布教を始める。生源寺で往生要集を講義。最初の布教。説教を聞いて感動した幸叡が西教寺に招く。 長享2年(1844)越前布教。真敬が引接寺創建。 延徳2年(1490)伊勢布教。西来寺創建。 延徳4年、伊賀布教。西蓮寺で別時念仏。 明応2年(1493)、二祖となる盛全が師事。 明応3年(1494)弟子の真九が成願寺創建。 明応4年(1495)2月30日、53歳で伊賀・西蓮寺で死去。

伊勢、伊賀、大和、河内、山城、近江、若狭、越前、信濃を巡教。 宮中では後土御門天皇、皇太子時代の後柏原天皇、尊伝(尊盛)法親王などに布教、授戒した。 後土御門天皇は、宸筆の「真盛上人」の書を下賜。 甘露寺親長、三条西実隆、庭田雅行、飛鳥井雅親なども帰依。 後土御門天皇の下問に答え、『奏進法語』を執筆して献上。 将軍足利義政の招きで説教。義政は銀閣寺持仏堂に『往生要集』を奉安したのは真盛の影響という。日野富子も指示。将軍側近の女性の大蔵卿局は将軍没後に真盛のもとで出家した。 朝倉貞影、畠山義就、畠山義豊、六角高頼、河毛盛空、北畠材親、新長門守などが帰依。 朝倉貞影は一乗谷に真盛を招いた。弟が出家して真慶と名乗り、越前・引接寺創建。 新長門守は出家して真九を名乗り小倭に成願寺を創建。

一覧

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