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興福寺大乗院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2015年9月1日 (火) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
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大乗院(だいじょういん)は、奈良県奈良市の法相宗興福寺の別当を務めた門跡寺院。廃絶。「飛鳥御殿」と呼ばれた。本尊は十一面観音、釈迦如来、阿弥陀如来(「興福寺諸堂縁起」)。(参考 同名寺院大乗院

隆禅が寛治1年(1087)2月に創建。元は現在の奈良県庁あたりにあった。尋範が入寺して以来、摂家門跡となる。治承4年(1180)の平重衡の南都焼討で焼失。元興寺禅定院を譲り受けて移転。宝徳3年(1451)、徳政一揆で再び灰燼に帰した。翌年、関白一条兼良の子、尋尊が22歳で晋山。建物や庭園を復興させる様子は『大乗院寺社雑事記』に記録されている。 寛正6年(1465)から、将軍・足利義政の命で、善阿弥が作庭し、数十年かけて作られ、南都随一の名園と言われた。

明治維新で門跡は還俗し、松園男爵家となる。明治10年(1877)に土地建物が売却され、小学校や奈良ホテルの敷地となる。一部は大乗院庭園として復元され、当初の庭園が残存している。平成7年から発掘調査が行われた。

宮門跡であった一乗院と交互に興福寺別当を務めたが、石高を見ても、一乗院の下位にあったと思われる。「飛鳥御殿」と呼ばれたのは、禅定院の本坊である元興寺の旧名飛鳥寺に依るのだろうか。

(大乗院庭園しおり)

歴代住職

  • 1隆禅:大乗院開山。興福寺権別当、大安寺別当、長谷寺別当
  • 2頼実:内山永久寺を創建。
  • 3尋範:興福寺別当。内山永久寺を継承。内山僧正。
  • 4信円
  • 5実尊
  • 6円実
  • 7実信
  • 8尊信
  • 9慈信
  • 10尋覚
  • 11尋尊:人名辞書では「覚尊」
  • 12聖信
  • 13孝覚
  • 14孝尊
  • 15孝尋:人名辞書では孝信の次。
  • 16孝信
  • 17孝円
  • 18経覚:人名辞書になし。
  • 19尋実:人名辞書になし。
  • 20尋尊:人名辞書になし。
  • 21政覚:人名辞書になし。
  • 22慈尋:人名辞書になし。
  • 23経尋
  • 24尋円
  • 25尋憲
  • 26義尋
  • 27信尊
  • 28信雅
  • 29信覚
  • 30隆尊
  • 31隆遍
  • 32隆範
  • 33隆実
  • 34隆温
  • 35隆芳(松園尚嘉):

(望月信亨『仏教大辞典 付録』、『日本仏家人名辞書』など。番号は新たに便宜上付した)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%88%88%E7%A6%8F%E5%AF%BA%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%99%A2」より作成

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