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足利学校
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年12月29日 (木) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
足利学校は、下野国足利郡(栃木県足利市)にあった儒教学校・孔子廟。
建長寺178世の龍派禅珠が中興。日本の孔子廟も参照。 大阪の道明寺天満宮の孔子像と関連か。 近くに鑁阿寺がある。
目次 |
歴史
- 839年:一説に小野篁が創設。(鎌倉大草紙)
- 鎌倉時代初期:一説に足利義兼が創設。(分類年代記)
- 室町時代初期:一説に上杉憲実が創設。
- 永享年間:上杉憲実、円覚寺快元を招く。
- 1439年:上杉憲実、宋版典籍を寄進
- 1467年:長尾景人、足利庄政所から現在地に移転。(鎌倉大草紙)
- 1590年:北条氏滅亡。豊臣秀吉が足利学校の所領を没収。
- 1602年:足利学校再建
- 1617年:徳川秀忠、朱印地100石寄進。
- 1668年:聖廟建立
- 1754年:落雷で火災
- 1868年:足利学校内に足利藩校求道館を設置。
- 1872年:学校廃止。
- 1876年:足利町に移管。
- 1882年:釈奠を神式で復興。
- 1897年:足利学校遺跡保存会、成立
- 1903年:足利学校遺跡図書館、開館
施設
組織
庠主
- 足利学校の長官を庠主(しょうしゅ)と呼ぶ。能化と呼ばれることもあった。
- 臨済宗の僧侶が就任した。京都では南禅寺、鎌倉では建長寺と関係を持っていたようだ。
- 「足利学校歴代庠主一覧」[1]、『足利学校年譜』[2]、『足利学校年譜』「庠主表」[3]、『栃木県誌』「足利学校」[4]などを典拠とした。
世数 | 名 | 生没年 | 在職年 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
1 | 快元 | ?-1469 | ?-1469 | 鎌倉円覚寺の僧。略歴不詳。永享の頃、上杉憲実に招かれ足利学校初代庠主。1446年(文安3年)学則を定めた。1469年(文明1年)4月21日死去。 |
2 | 天矣 | 生没年不詳 | ~1490~ | 略歴不詳。肥後出身。1490年(延徳2年)に京都建仁寺の一牛という僧が立ち寄り寄贈した『礼記集説』(元天暦元年刊本、現存)に「能化肥後之産天矣」とある。延徳年間(1491年(延徳3年)とも)の2月16日に死去。 |
3 | 南計 | 生没年不詳 | 略歴不詳。南斗とも。 | |
4 | 九天 | 生没年不詳 | ~1506~ | 略歴不詳。在職中の1506年(永正3年)に「児玉党吾那式部少輔」という人物が『文公家礼纂図集註』を寄附した記録に「能化九天」とある。没年は不詳だが、命日は6月2日という。 |
5 | 東井 | 生没年不詳 | ~1526~ | 略歴不詳。吉川氏。之好。1526年(大永6年)に上杉憲房が寄付した『十八史略』(明初刊本、現存)に「能化安芸州山県郡之好叟述東井」とある。大永年間(1526年(大永6年)とも)の3月5日に死去。 |
6 | 日新文伯 | 生没年不詳 | 享禄 | 略歴不詳。月舟寿桂の『幻雲稿』によれば京都東山の僧だったが、遊学に懇請され、一度戻った後に東下して就任したという。享禄年間に火災で学校被災。没年は不詳だが命日は7月16日(1549年(天文18年)とも)という。 |
7 | 九華瑞〓 | 1500-1578 | 1550-1578 | 大隅出身。1500年(明応9年)生。伊集院家。東福寺の彭叔守仙に参禅。鎌倉禅興寺で玉隠英〓に師事したとみられ、同寺に住す。1550年(天文19年)(1549年(天文18年)とも)足利学校庠主。後北条家の北条氏政の帰依を受けた。1578年(天正6年)8月10日死去。79歳。玉崗瑞〓とも。九華老人と号す。〓は「王與」。 |
8 | 古月宗銀 | 生没年不詳 | 1578-1586 | 略歴不詳。日向出身。1586年(天正14年)、閑室元佶に譲る。没年は不詳だが命日は10月20日(1586年(天正14年)とも)。 |
9 | 閑室元佶 | 1548-1612 | 1586-1602 | 幻住派の僧。京都・円光寺開山。肥前小城郡出身。1548年(天文17年)生。金庭〓菊の法嗣。天正初年、足利学校で九華の講義を受けた。1586年(天正14年)、足利学校庠主。徳川家康の信任を得て江戸時代初期の寺社行政に携わった。1600年(慶長5年)南禅寺住持の坐公文を拝領。1612年(慶長17年)5月20日死去。三要元佶とも。 |
10 | 龍派禅珠 | 1549-1636 | 1602-1628 | 建長寺178世。幻住派の僧。相模国出身。1549年(天文18年)生。円覚寺奇文禅才の法嗣。天正初年、足利学校で九華の講義を受けた。武蔵長徳寺の中興開山となる。徳川家康に従い富士見亨文庫に携わる。1602年(慶長7年)11月、足利学校庠主となるが、普段は長徳寺におり、足利に行き来したようである。1610年(慶長15年)建長寺住職。1628年(寛永5年)足利学校庠主退任。1636年(寛永13年)4月20日死去。88歳。墓所は長徳寺。寒松と号す。著書『寒松日記』。 |
11 | 明徹祖徳 | ?-1672 | 1655-1662 | 建長寺182世。幻住派の僧。武蔵国出身(甲斐とも)。1628年(寛永5年)足利学校看坊。1655年(明暦1年)、足利学校庠主。1662年(寛文2年)退任。1672年(寛文12年)4月27日死去。睦子と号す。 |
12 | 沢雲祖兌 | ?-1690 | 1662-1665 | 幻住派の僧。下野国足利郡出身。禅興寺に住す。1662年(寛文2年)、足利学校庠主。1665年(寛文5年)退任。円光寺3世に引退という。1690年(元禄3年)10月8日死去。 |
13 | 伝英元教 | ?-1687 | 1665-1675 | 南禅寺で学び、禅興寺住職。1665年(寛文5年)、足利学校庠主。孔子廟など再建。1675年(延宝3年)退任。1687年(貞享4年)3月2日死去。外子と号す。 |
14 | 久室元要 | ?-1713 | 1675-1711 | 下野国足利郡出身。茂木氏。建長寺に位(?)。1675年(延宝3年)(1678年(延宝6年)とも)、足利学校庠主。1711年(正徳1年)退任。1713年(正徳3年)12月21日死去。琢子と号す。 |
15 | 天叔元倫 | 1664-1725 | 1711-1725 | 山城国桂出身。1664年(寛文4年)生。栗原氏。1711年(正徳1年)3月2日、足利学校庠主。1725年(享保10年)1月21日死去。62歳。墓所は足利学校裏。篤子と号す。 |
16 | 月江元澄 | ?-1755 | 1725-1755 | 武蔵国八王子出身。天叔元倫の弟子。天叔元倫が病気になった時から代理を務める。1725年(享保10年)4月4日、足利学校庠主。1755年(宝暦5年)9月8日死去。墓所は足利学校裏。淳子と号す。 |
17 | 千渓元泉 | 1722-1795 | 1755-1787 | 下野国足利郡出身。1722年(享保7年)生。禅興寺、建長寺(?)。1755年(宝暦5年)12月12日、足利学校庠主。鎮守の稲荷社を再建。1787年(天明7年)8月18日、66歳で引退。1795年(寛政7年)12月25日死去。墓所は足利学校裏。悦子と号す。 |
18 | 青郊元牧 | 1744-1810 | 1787-1804 | 武蔵国八王子出身。1744年(延享1年)生。千渓元泉の弟子。1787年(天明7年)8月18日、足利学校庠主。1804年(文化1年)12月18日退任。1810年(文化7年)12月25日死去。67歳。墓所は足利学校裏。建長寺前住。成子と号す。 |
19 | 実巌宗和 | 1755-1821 | 1804-1821 | 建長寺216世。自坊は足利市久保田町本源寺。周防国玖珂郡出身。1755年(宝暦5年)生。1804年(文化1年)12月18日、足利学校庠主。1821年(文政4年)8月4日死去。67歳。墓所は足利学校裏。誠子(純子)と号す。 |
20 | 大梁周廓 | 1782-1824 | 1822-1823 | 自坊は足利市久保田町本源寺。周防国玖珂郡出身。1782年(天明2年)生。実巌宗和の弟子。1822年(文政5年)1月23日、足利学校庠主。1823年(文政6年)4月26日、病気のため引退。本源寺に隠居。1824年(文政7年)12月4日死去。43歳。墓所は足利市久野。 |
21 | 太嶺元諄 | 1784-1845 | 1823-1843 | 越後国長岡出身。1784年(天明4年)生。1823年(文政6年)4月26日、足利学校庠主。1843年(天保14年)8月9日退任。1845年(弘化2年)10月5日死去。62歳。墓所は足利学校裏。 |
22 | 松齢元初 | 1805-1857 | 1843-1857 | 美濃国中島郡出身。1805年(文化2年)生。南禅寺瑞雲庵の退耕阿称に師事し得度。金地院僧録の(?)太嶺元諄に師事し、法嗣となる。1843年(天保14年)8月9日、足利学校庠主。1857年(安政4年)1月7日死去。53歳。墓所は足利学校裏。東魯と号す。 |
23 | 謙堂元益 | 1823-1875 | 1857-1868 | 名古屋出身。1823年(文政6年)生。信濃龍門寺迦陵のもとで得度。美濃東禅寺、永田宝林寺で学び、金地院僧録惟叢に出会い、師事。1857年(安政4年)9月22日、足利学校庠主。1868年(明治1年)(1869年(明治2年)とも)退任。1875年(明治8年)2月13日、常陸で死去。53歳。墓所は茨城県東茨城郡城里町下古内の清音寺。鯤海と号す。 |