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金崎宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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==概要==
 
'''金崎宮'''(かねがさき・ぐう)は、福井県敦賀市にある、[[後醍醐天皇]]の皇子2人[[尊良親王]](1311-1337)と[[恒良親王]](1324?-1338)を祀る[[霊社]]。南北朝の争乱の激戦地である金ケ崎城跡にある。境内には摂社[[絹掛神社]]、末社[[越前敦賀・朝倉神社|朝倉神社]]、[[尊良親王御陵墓見込地]]などがある。[[官幣中社]]、[[別表神社]]。
'''金崎宮'''(かねがさき・ぐう)は、福井県敦賀市にある、[[後醍醐天皇]]の皇子2人[[尊良親王]](1311-1337)と[[恒良親王]](1324?-1338)を祀る[[霊社]]。南北朝の争乱の激戦地である金ケ崎城跡にある。境内には摂社[[絹掛神社]]、末社[[越前敦賀・朝倉神社|朝倉神社]]、[[尊良親王御陵墓見込地]]などがある。[[官幣中社]]、[[別表神社]]。
==歴史==
==歴史==
*1337年3月6日:尊良親王、金崎城で戦死。
*1337年3月6日:尊良親王、金崎城で戦死。
*1338年頃:恒良親王、拘禁された京都で毒殺。
*1338年頃:恒良親王、拘禁された京都で毒殺。
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*1889年:吉野山に後醍醐天皇と尊良親王を祀る官幣中社の創建について閣議に付される[https://www.digital.archives.go.jp/img/1696113]。親王は祭神に含まず[[吉野神宮]]の創建につながる。
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*1889年5月28日:吉野山に後醍醐天皇と尊良親王を祀る官幣中社の創建について閣議に付される[https://www.digital.archives.go.jp/img/1696113]。吉野神宮として創立許可が出るが親王の御社については別に建てることとされる。
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*1890年(明治23年)9月12日:尊良親王の御社を創立許可。金崎宮と命名。官幣中社に列格する。[https://www.digital.archives.go.jp/img/1719430]
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*1890年(明治23年)8月12日:内務省から政府、尊良親王御社について社格、社号、建設費支出について請願[https://www.digital.archives.go.jp/img/1703623]
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*1892年(明治25年)11月17日:恒良親王を合祀。[https://www.digital.archives.go.jp/img/1666920]
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*1890年(明治23年)9月12日:尊良親王の御社を創立許可。金崎宮と命名。官幣中社に列格する[https://www.digital.archives.go.jp/img/1719430]。(内務省告示第33号)
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*1892年(明治25年)11月17日:恒良親王を合祀。[https://www.digital.archives.go.jp/img/1666920]。(内務省告示第47号)
*1893年(明治26年)5月5日:勅使参向の下で(改めて?)鎮座祭を執行。6、7日に奉祝祭を行い、以後5月6日を例祭とした。
*1893年(明治26年)5月5日:勅使参向の下で(改めて?)鎮座祭を執行。6、7日に奉祝祭を行い、以後5月6日を例祭とした。
*1894年1月:随身後裔有志、摂社創建を請願。
*1894年1月:随身後裔有志、摂社創建を請願。
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==資料==
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==古典籍==
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*松尾忠吉1893『官幣中社金崎宮御略伝』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815216]
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*山本元1902『敦賀の沿革・敦賀名所記』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764659/29]
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==参考文献==
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*石塚資雄1909『金崎宮参拝案内記』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815217]
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*神社ウェブサイト
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*土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』
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==脚注==
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<references/>
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2022年5月21日 (土) 時点における版

金崎宮
かねがざさ ぐう
Kanegasaki-gu 001.jpg
概要 尊良親王、恒良親王の霊廟。
奉斎 尊良親王、恒良親王
(土岐昌訓論文)
所在地 福井県敦賀市金ヶ崎町1-1
所在地(旧国郡)
所属(現在) 神社本庁
格式など 官幣中社別表神社
関連記事 皇族奉斎神社南朝皇族奉斎神社


金崎宮(かねがさき・ぐう)は、福井県敦賀市にある、後醍醐天皇の皇子2人尊良親王(1311-1337)と恒良親王(1324?-1338)を祀る霊社。南北朝の争乱の激戦地である金ケ崎城跡にある。境内には摂社絹掛神社、末社朝倉神社尊良親王御陵墓見込地などがある。官幣中社別表神社

目次

歴史

  • 1337年3月6日:尊良親王、金崎城で戦死。
  • 1338年頃:恒良親王、拘禁された京都で毒殺。
  • 1889年5月28日:吉野山に後醍醐天皇と尊良親王を祀る官幣中社の創建について閣議に付される[1]。吉野神宮として創立許可が出るが親王の御社については別に建てることとされる。
  • 1890年(明治23年)8月12日:内務省から政府、尊良親王御社について社格、社号、建設費支出について請願[2]
  • 1890年(明治23年)9月12日:尊良親王の御社を創立許可。金崎宮と命名。官幣中社に列格する[3]。(内務省告示第33号)
  • 1892年(明治25年)11月17日:恒良親王を合祀。[4]。(内務省告示第47号)
  • 1893年(明治26年)5月5日:勅使参向の下で(改めて?)鎮座祭を執行。6、7日に奉祝祭を行い、以後5月6日を例祭とした。
  • 1894年1月:随身後裔有志、摂社創建を請願。
  • 1897年(明治30年)4月:摂社絹掛神社、創建許可。
  • 1897年(明治30年)10月19日:摂社絹掛神社を創建。藤原行房、新田義顕、気比氏治、気比斎晴、瓜生保、瓜生義鑑、里見時成、里見義氏、由良具滋、長浜顕寛、武田与一などの将兵を合祀した。
  • 1903年(明治36年)3月:火災で焼失。
  • 1906年(明治39年)4月:現在地に再建された。
  • 1909年8月:宮司井上真平、福井県を通じて内務省に絹掛神社祭神のうち15柱に贈位を申請。[5]

境内

組織

宮司

  • 今井清彦(1857-1922)<1892-?>:本務は気比神宮宮司(略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照)
  • 井上真平()<>:1909
  • 藪重吉(1878-?)<1912-?>:大阪府出身の神職。1894年(明治27年)神宮皇学館卒。1912年(大正1年)4月20日、金崎宮宮司。
  • 伊藤真広()<?-1915>:1915年2月17日、結城神社宮司。
  • 須田直太郎()<1915-?>:熊野座神社宮司を経て1915年2月17日、金崎宮宮司。
  • 菅井治

画像

資料

  • 松尾忠吉1893『官幣中社金崎宮御略伝』[6]
  • 山本元1902『敦賀の沿革・敦賀名所記』[7]
  • 石塚資雄1909『金崎宮参拝案内記』[8]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%87%91%E5%B4%8E%E5%AE%AE」より作成

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