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金崎宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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金崎宮
かねがざさ ぐう
Kanegasaki-gu 001.jpg
概要 尊良親王、恒良親王の霊廟。
奉斎 尊良親王、恒良親王
(土岐昌訓論文)
所在地 福井県敦賀市金ヶ崎町1-1
所在地(旧国郡)
所属(現在) 神社本庁
格式など 官幣中社別表神社
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目次

概要

金崎宮(かねがさき・ぐう)は、福井県敦賀市にある、後醍醐天皇の皇子2人尊良親王(1311-1337)と恒良親王(1324?-1338)を祀る霊社。南北朝の争乱の激戦地である金ケ崎城跡にある。境内には摂社絹掛神社、末社朝倉神社尊良親王御陵墓見込地などがある。官幣中社別表神社

歴史

  • 1337年3月6日:尊良親王、金崎城で戦死。
  • 1338年頃:恒良親王、拘禁された京都で毒殺。
  • 1890年(明治23年)9月12日:尊良親王の御社を創立許可。金崎宮と命名。官幣中社に列格する。[1]
  • 1892年(明治25年)11月17日:恒良親王を合祀。[2]
  • 1893年(明治26年)5月5日:勅使参向の下で(改めて?)鎮座祭を執行。6、7日に奉祝祭を行い、以後5月6日を例祭とした。
  • 1903年(明治36年)3月:火災で焼失。
  • 1906年(明治39年)4月:現在地に再建された。
  • 1897年(明治30年)10月19日:摂社絹掛神社を創建。藤原行房、新田義顕、気比氏治、気比斎晴、瓜生保、瓜生義鑑、里見時成、里見義氏、由良具滋、長浜顕寛、武田与一などの将兵を合祀した。

歴史

境内

組織

宮司

  • 今井清彦(1857-1922)<1892-?>:本務は気比神宮宮司(略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照)
  • 藪重吉(1878-?)<1912-?>:大阪府出身の神職。1894年(明治27年)神宮皇学館卒。1912年(大正1年)4月20日、金崎宮宮司。

画像

参考文献

  • 神社ウェブサイト
  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%87%91%E5%B4%8E%E5%AE%AE」より作成

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