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オモイカネ信仰

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2026年3月14日 (土)

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思兼神は記紀神話に登場する知恵の神。高皇産霊尊の御子神。オモイカネ。

目次

表記

  • 古事記:思金神、常世思金神
  • 日本書紀:思兼神
  • 古語拾遺:思兼神
  • 古語拾遺:思兼神、八意思兼神、思金神、常世思金神、八意思金命

概要

  • 古事記の天岩戸神話で、隠れた天照大神に出てきてもらうために神々が集まった時、神々は思兼神に考えさせた。以下、どこまでが思兼神の思慮の結果は分からない。「是を以て八百万の神、天安之河原に神集ひ集ひて、高御産巣日神の子、思金神に思は令めて、常世長鳴鳥を集め鳴か令めて、天安之河の河上の天堅石を取り、天金山の鉄を取りて、鍛人天津麻羅を求めて、伊斯許理度売命に科せ、鏡を作ら令め、玉祖命に科せ、八尺勾珠之五百津之御須麻流之珠を作ら令めて、天児屋命・布刀玉命を召して、天香山の真男鹿の肩を内抜きに抜きて、天香山の天之波々迦を取りて、占合まかなはしめて、天香山の五百津真賢木を、根こじにこじて、上枝に八尺勾珠之五百津之御須麻流之玉を取り著け、中枝に八尺鏡を取り著け、下枝に白丹寸手・青丹寸手を取り垂て、此の種々の物は、布刀玉命、布刀御幣登取り持ちて、天児屋命、布刀詔戸言、禱き白して、天手力男神、戸の掖に隠り立ちて、天宇受売命、天香山の天之日影を手次に繋て、天之真折を鬘と為て、天香山の小竹葉を手草に結ひて、天之石屋の戸に汙気を伏せて、踏とどろこし、神懸かり為て、胸乳を掛き出で、裳緒を番登に忍し垂れき。尓して、高天原動みて、八百万の神共に咲ひき。」(國學院大學古典文化学事業「古事記」ビューアー訓読文をもとにした[1]
  • 古事記天孫降臨の時に、天照大神はニニギ五伴緒神を随従させ、三種の神器と常世思金神・手力男神天石門別神の三神を添えた。五伴緒神が各氏族の祖神であるのに対して、三神はニニギにより近い立場の神だったのだろうか。また天照大神は特に思兼神に対して「取持前事輔之為政」と勅した。これは伊勢神宮の祭祀を司ることと言われるがよく分からない。「此の二柱の神は、さくくしろ伊須受能宮を拝み祭りき」とあるが、「二柱の神」はニニギと思兼神のこととされるが、現在の伊勢神宮には思兼神関係の神はなく、末裔の伝承もなく、よく分からない。伊勢神宮内宮の相殿神を思兼神だとする解釈も生まれた。國學院大學神名データベース[2]には「天孫降臨の段での登場場面は、文章が曖昧なため、邇々芸命の降臨の際に思金神が天照大御神から受けた命令および実行の内容について、解釈が諸説ある。通例、思金神は「伊須受能宮」の祭祀を受け持った、もしくは、「伊須受能宮」の政務を掌る宮司の役目を任じられた、といった内容に解されているが、他に、思金神ではなく邇々芸命が命を受けて、天照大御神の御魂の鏡と思金神とを「伊須受能宮」に祭り、政事を執り行った、という内容に解する説もある」とある。「尓くして、天児屋命・布刀玉命・天宇受売命・伊斯許理度売命・玉祖命、并せて五りの伴緒を支ち加へて天降しき。是に、其のをきし八尺の勾璁・鏡と草那芸剣と、亦、常世思金神・手力男神・天石門別神を副へ賜ひて、詔ひしく、「此の鏡は、専ら我が御魂と為て、吾が前を拝むが如く、いつき奉れ」とのりたまひ、次に、「思金神は、前の事を取り持ちて、政を為よ」とのりたまひき。此の二柱の神は、さくくしろ伊須受能宮を拝み祭りき。」(日本古典文学全集古事記)
  • 旧事本紀では天孫降臨随従三十二神の一神とする[3]
  • 手置帆負命・比古狭知命と共に建築の神ともされる。上棟祭の祭神とされたり、棟札に神名が記されたりする。宇佐神宮の木匠祖神社には「手置帆負命・比古狭知命・思兼命」を祀る。
  • 戸隠山乗因が唱えた「修験一実霊宗神道」では天思兼命を教主とした。『大成経』に天思兼命を霊宗道の教主とし、『戸隠山大権現縁起』に「戸隠大権現と申奉るは、奥院は手力雄命並に九頭龍王大権現なり。中院は天思兼神成。是は手力雄命の御父にて霊宗神道教主にて、阿知宮と号す」[4]とある。
  • 江戸時代には「神事舞大夫」や「梓神子」といった民間宗教者が「神代天思兼命の神伝」と称して活動していた。その統轄をしていたのが田村八大夫という家だったという。その起源は源頼朝時代の鶴若孫藤次という人物に遡り、北条時代には天野十郎という者が継ぎ、江戸時代初期には徳川家康に随従して江戸に入った幸岩勘右衛門(幸松勘右衛門)が統率するが、同家の衰退により、元禄時代に寺社奉行から田村八大夫が支配を命じられたという。「習合神道、神事舞大夫、梓神子は、神代天思兼命の神伝にして、古来より吉田、白川両家の支配を受けずして、独り職業相続する中、嘗て右大将頼朝卿の治世、其頭を鶴若孫藤次なる者に命じられ、是より実朝薨じ、北条執権のとき、頭を天野十郎と云しが、夫よりしては其次第混乱して年月移れるを、御当家御入国のとき、三州より幸岩勘右衛門と云者御供にて、梓の頭仰付られ、幸岩を幸松と更むべしと有りて、知行五百石を給はり、於玉ケ池のあたりに宅せしが、其後幸松勘大夫と称せし者、身持宜しからず隠居仰付。子未だ幼ければ、田村八大夫の先祖へ後見すべしと命有りしに、彼の幸松が子も亦身持宜しからずして、家純へ、共職も無かりしが、其後古来の伝授廃業のことを嘆き申上たれば、再び興業の旨を寺社奉行戸田能州(これ元禄の頃なり。憲廟のとき)申渡し有て、八大夫の後祖支配頭に仰付られ、今に相続すと。(下略)」(甲子夜話続篇)
  • 和漢三才図会が紹介する或書によると天照大神が大己貴命に授けた霊句をもとに、大己貴命と思兼神が協力して神代文字を作ったという。「或書云。天照大神告大己貴尊其霊句曰「人含道善命報名親子倫元因心顕煉忍君主豊位臣私盗勿男田畠耔女蚕績織家饒栄理宜照法守進悪攻撰欲我刪」。大己貴尊与天八意命同意以是言造神代文字以是四十七字通連作万言句今以秦字代於神字」(和漢三才図会[5]

関係する神々

  • 高皇産霊尊:父神。
  • 万幡豊秋津師比売命:思兼神の妹。
  • 天手力男:天岩戸神話で共に活躍した。記紀には記述はないが、中世近世には「思兼神ノ子ニ太刀雄命」(室町時代・塵荊鈔)、「戸隠明神(中略)祭神手力雄神(天思兼命之子)」(1712和漢三才図会)とあるように、思兼神の御子神とされることもあった。
  • 天表春命:思兼神の御子神。『旧事本紀』に登場。天孫降臨32神の一神。信濃国の阿智祝部の祖神。
  • 天下春命:思兼神の御子神。『旧事本紀』に登場。天孫降臨32神の一神。武蔵国の秩父国造の祖神。
  • 知知夫彦命:『旧事本紀』に八意思金命の十世孫が知知夫彦命だとある。

神社

神社

藩校

  • 修道館:新潟県上越市。越後国頸城郡。高田藩の藩校。1866年(慶応2年)、八意思兼神・菅原神忌部神
  • 入徳館:新潟県新潟市西蒲区峰岡。越後国蒲原郡。峰岡藩の藩校。1837年(天保8年)以来毎年1月11日孔子像を祀る。1870年(明治3年)5月、神壇を設けて八意思兼命・武甕槌命を合祀。
  • 国学校:長野県諏訪市。信濃国諏訪郡。高島藩の藩校。1869年(明治2年)創設。建御名方神・八意思兼神・国学四大人
  • 苗木・日新館:岐阜県中津川市苗木。美濃国恵那郡。苗木藩の藩校。菅原大神・八意思兼大神・忌部大神荷田氏賀茂氏本居氏平田氏
  • 誠之館:広島県福山市霞町。備後国深津郡。福山藩の藩校。1786年(天明6年)弘道館として開校。1854年(安政1年)誠之館となる。維新後、武甕槌神・八意思兼神・事代主神を祀る。1872年(明治5年)廃校。

資料

  • 國學院大學神名データベース[6]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A2%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%83%8D%E4%BF%A1%E4%BB%B0」より作成

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