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宝満山

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年10月1日 (火)

竈門山から転送)
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宝満山(ほうまんさん)は、福岡県太宰府市にある宝満山信仰の霊山。標高829.6m。古代大宰府の東北に位置し、鬼門守護の神として重視されたと思われる。古代には最澄円仁をはじめ、渡唐僧の崇敬を受け、延暦寺天台宗との関係を深めた。中世までに八幡信仰との関わりを深め、石清水八幡宮の管轄下にあったこともある。祭神の玉依姫神は八幡神の親族神とされるが、神武天皇の母である同名神ともみられるようになる。いつ頃からか修験道が盛んになり、英彦山と一体の山岳霊場を形成した。筑前国御笠郡。竈門山御笠山ともいう。

目次

歴史

戦後

1982年(昭和57年)、心蓮1300年遠忌に合わせて宝満山修験会を設立。峰入りを復興した。

一覧

  • 竈門神社上宮:山頂にある。
  • 竈門神社中宮:廃絶。1923年(大正12年)建立の「竈門山碑」がある。
  • 竈門神社下宮:麓にある。慶安3年、黒田忠之が再建か。宝永6年3月、再興。現在の社殿は1927年(昭和2年)の再建。明治当初は無格社。
  • 竈門神社頓宮:太宰府天満宮の西南、古川家の前にあったという(『太宰府の光』)。
  • 有智山寺
  • 五井:閼伽井、益影井、徳弘井、試井、獅井
  • 七窟:大南窟、福城窟、法城窟、剣窟、普池窟、釜蓋窟、宝塔窟

上宮周辺

  • 竈門神社上宮
  • 心蓮墓:仏頂山(元宝満山)にある。
  • 釜蓋窟:仏頂山の近くにある。
  • 馬蹄石:上宮の直下にある。
  • 袖摺岩:参道にある。
  • 仙竈岩:竈門岩とも。1815年の再建。禅僧仙厓筆の「仙竈」の字が刻まれている。
  • 五百羅漢:羅漢道沿いにある。1804年の造営。明治3年9月の廃仏毀釈で大部分は谷底に落とされて破損したが完存しているものもある。
  • 千体地蔵:羅漢道沿いにある。
  • 宝塔窟:羅漢道沿いにある。最澄が参籠したと伝え、伝教大師窟ともいう。
  • 福城窟:金剛界大日如来の梵字が刻まれる。求聞持窟とも。求聞持法では益影井の水を供えた。
  • 求聞持堂:
  • 益影井:

中宮周辺

中世から近世末まで宝満山の僧侶の活動の拠点だった。現在、このエリアを「中宮」とはいうが、江戸時代には神殿はなかったようだ。ただ1594年に小早川隆景が復興した神殿と拝殿は中宮にあった可能性がある。

  • 講堂:中宮地区の中心施設。本尊は十一面観音、毘沙門天、陀祇尼天。小早川隆景が再興。寛永18年の大火災で焼失。慶安3年、黒田忠之が再建。その直後に再び焼失したとも。焼失後、神楽堂を講堂の代わりに使用してきたが、寛文7年再建。この時、神楽堂の場所に移った。延宝7年に入仏式。神仏分離で神祇殿となったが、明治3年の廃仏毀釈で焼却された。跡地に竈門山碑が立つ。
  • 神楽堂:講堂前にあった。寛文の再建で鐘楼の場所に移動。廃仏毀釈では焼却されなかったが廃絶した。松峡大行事と、白山大行司を祀っていた。
  • 鐘堂:講堂前にあった。明治3年廃絶。
  • 法華塔:講堂の裏にあった。1325年銘があったが明治3年廃絶。
  • 行者堂:講堂の裏にあった。
  • 九輪塔:1667年建立。明治3年廃絶。
  • 鵜茅葺不合命神社:中宮にあった。明治3年9月の廃仏毀釈で廃絶したとみられる。
  • 五瀬命神社:中宮にあった。明治3年9月の廃仏毀釈で廃絶したとみられる。
  • 稲氷命神社:中宮にあった。明治3年9月の廃仏毀釈で廃絶したとみられる。
  • 御毛沼命神社:中宮にあった。明治3年9月の廃仏毀釈で廃絶したとみられる。
  • 神倭磐余彦命神社:中宮にあった。明治3年9月の廃仏毀釈で廃絶したとみられる。
  • 毘沙門仏:中宮にあった。
  • 金凝皇子祠:中宮にあった。
  • 松尾皇子社:中宮にあった。
  • 祇園社:中宮にあった。
  • 金剛胎蔵大日如来梵字石:1318年銘。現存。
  • 四仏梵字岩壁:1319年、1323年銘。十一面観音、釈迦、阿弥陀、大日。現存。

下宮周辺

  • 竈門神社下宮
  • 有智山寺
  • 夢想権之助神社:杖術の開祖を祀る霊社。夢想権之助(生没年不詳)は江戸時代初期の剣客。竈門神社に参籠して神託を受けたという。
  • 五穀社
  • 須佐社
  • 式部稲荷神社:
  • 式部稲荷神社奥之院:
  • 金剛兵衛盛高墓:刀工金剛兵衛盛高の墓と言われる板碑。
  • 妙香庵

西院谷地区

中宮直下の地区。

  • 閼伽井:

東院谷地区

座主坊や薬師堂を中心とした地区。

  • 座主坊
  • 薬師堂:本尊の薬師如来は最澄が山の桜の木で彫った。七仏薬師の試作だったので「試生ノ薬師」と呼ばれた。明治3年、焼却(像も同時か)。
  • 座主墓地
  • 十三仏梵字石
  • 護摩堂:獅子宿。長床とも称した。明治3年廃絶。
  • 剣窟
  • 釣舟岩
  • 普池窟
  • 法城窟:玉依姫命神陵と伝わる。本地仏の十一面観音と思われる線刻仏がある。
  • 青面金剛

本谷地区

  • 安西宝塔:2009年、再建。
  • 休堂:明治3年廃絶。休憩所となる堂があった。仏堂かどうかは不明。さらに以前は大門と板橋があった。
  • 一字一石塔:一の鳥居の脇にある。
  • 徳弘井:

北谷地区

  • 根本中堂:慶安3年には残っていたが、その後廃絶。
  • 竈門神社北谷遥拝所:新宮宝満社。
  • 智光寺:北谷にあったと伝わる古代寺院。宝満山との直接の関係ははっきりしない。青蓮院門跡の真誉親王がいたという。北谷地蔵堂に旧仏という平安時代作の地蔵像が現存する。
  • 真誉親王墓:治定外墓。
  • 内山辛野遺跡:庭園跡も見つかっている。

その他

  • 愛嶽神社:愛嶽山にある。
  • 大南窟:東院谷の下方の山中にある。祭祀遺跡が見つかっている。
  • 試井:不詳
  • 獅井:不詳
  • 柚須原観音堂:


  • 末社:

本結掛 塩井川六地蔵 祓川 新宮 大田 小田 住吉 飯縄 北山護法 狐之御宝 弁財天 松尾 白山大行事 山神祠 通堂 水原神 荒御神 金凝 天狗 松ノ尾皇子 竈尾ノ皇子 竈門ノ皇子 七八天童 児ノ宮 天四 窪手 八歳龍女 彦山 伊勢宮 熊野 三十番神 玉紫 根元王子 若宮中津尾 文殊 普賢 産八幡 火焼御神 大天狗小天狗 五大尊 外戸ほか30社 筑紫 天智尊 乙宮大明神 剣宮 照日 降日 西院不動 毘沙門 恵比須 駒形妙見 如意宝珠 石門針ノ耳戸 天神七代 地祇 月輪 聖天 宗形 風宮 八大龍王 内戸ノ御神 三十末社 痘守神 米ノ宮 東尾三千仏 大峰八大童子 龍樹菩薩 七大師 明星拝所 中院不動 毘沙門 烏沙摩 天賦神 月読宮

子院

坊中などと呼ばれる。中世には370坊があり、300坊が衆徒方、70坊が行者方だった。現在の下宮周辺に集まっていた。 1557年、キリシタン大名の大友義鎮が苛烈な検地を行い、さらに堂社を破壊し重税を課した。このために370坊のほとんどは帰農、退転した。翌年、山麓から山上に逃れた行者方25坊のみが近世に存続した。 衆徒方2坊も江戸時代初期までは残っていたという。


  • 浄戒坊:中世の座主坊。1066年に座主坊を浄戒坊と称した。天正15年8月、兵乱で焼失し廃絶。下宮の南にあった。跡地が判明している。
  • 平石坊:近世初期の座主坊。二十五坊の一つ。福岡藩が追放し、1688年(元禄1年)廃絶。
  • 楞伽院:近世の座主坊。宮司も兼ねたらしい。修験道本山派の「座主」の格式を持った。施無畏寺。明治2年7月までに還俗して神職となる。
  • 南之坊:二十五坊の一つ。明治3年に存在した十六坊の一つ。神仏分離で高橋賢俊(高橋武彦)は一旦還俗したが、明治4年、夜臼の永福院に入り、法灯を守り明治22年の宝満山峰入の復興に中心的役割を果たした。永福院は現在、本山修験宗に所属。宝満山関係の古文書を伝える。
  • 富倉坊:二十五坊の一つ(のちに加わる)。明治2年7月までに還俗して神職となる。
  • 東院坊:二十五坊の一つ。明治3年に存在した十六坊の一つ。
  • 岩本坊:二十五坊の一つ(のちに加わる)。明治3年に存在した十六坊の一つ。
  • 井本坊:二十五坊の一つ。井ノ本坊。明治1年9月、還俗して神職となる。
  • 仲谷坊:二十五坊の一つ。明治2年7月までに還俗して神職となる。
  • 道場坊:二十五坊の一つ。明治3年に存在した十六坊の一つ。明治3年6月還俗。
  • 鳥居坊:二十五坊の一つ。明治2年7月までに還俗して神職となる。
  • 新坊:二十五坊の一つ。元は財行坊。1652年、財行坊幸岩が、藩主黒田忠之と懇意の延暦寺現光院豪秀とつながり宝満山を比叡山門徒とした。山内を女人禁制とし、ほとんどの僧は妻帯僧であるため、下山させられるなど混乱したが1655年に忠之が死に復帰した。明治3年に存在した十六坊の一つ。明治3年12月廃絶。
  • 尾崎坊:二十五坊の一つ。明治3年に存在した十六坊の一つ。
  • 修蔵坊:二十五坊の一つ。守静院。明治3年に存在した十六坊の一つ。明治3年6月還俗。
  • 大谷坊:二十五坊の一つ。明治2年7月までに還俗して神職となる。
  • 浄善坊:二十五坊の一つ。明治3年に存在した十六坊の一つ。
  • 福寿坊:二十五坊の一つ。明治3年に存在した十六坊の一つ。
  • 経蔵坊:二十五坊の一つ。明治3年に存在した十六坊の一つ。明治10年廃絶。
  • 福泉坊:二十五坊の一つ。明治1年3月、還俗して神職となる。
  • 松林坊:二十五坊の一つ。1567年、大友義鎮軍の宝満城攻めの際、類焼を恐れて太宰府天満宮の御神体が宝満山に仮遷座したが、松林坊が一人で神輿を山上に担ぎ上げたという。明治3年に存在した十六坊の一つ。
  • 栄門坊:二十五坊の一つ。元は伊多坊。明治3年に存在した十六坊の一つ。
  • 亀石坊:二十五坊の一つ。明治3年に存在した十六坊の一つ。神仏分離で一時、座主を継ぐ。
  • 奥之坊:二十五坊の一つ。奥ノ坊。明治3年に存在した十六坊の一つ。
  • 歓明坊:二十五坊の一つ。元は大聖坊。明治2年7月までに還俗して神職となる。
  • 福蔵坊:二十五坊の一つ。明治2年7月までに還俗して神職となる。
  • 寂光坊:二十五坊の一つ(のちに加わる)。明治2年7月までに還俗して神職となる。
  • 吉祥坊:明治3年に存在した十六坊の一つ。
  • 財徳坊:二十五坊の一つ。明治3年に存在した十六坊の一つ。明治3年6月還俗。
  • 浄土院:成道院。山内の葬儀を行う寺(滅罪寺)。
  • 市坊:近世に廃絶。
  • 金凝坊:近世に廃絶。
  • 浄行坊:二十五坊の一つ。近世に廃絶。
  • 山仲坊:近世に廃絶。
  • 普内坊:近世に廃絶。
  • 西井坊:二十五坊の一つ。近世初頭に廃絶。
  • 妙心坊:中世にあった。
  • 善如坊:衆徒方。寛永頃に廃絶。
  • 浄泉坊:衆徒方。寛永頃に廃絶。
  • 福蓮寺:

峰入

春峰、夏峰、秋峰の三種の峰入修行があった。春峰は葛城峰とも言い、大和葛城山に擬えられた。金剛界とされる宝満山から胎蔵界とされる孔大寺山まで山中を駆ける。帰りは福岡城下町など平野部を通った。英彦山から独立した近世に成立。夏峰は大巡行とも言い、約90日にわたり宝満山周辺の霊所を巡拝した。秋峰は大峰とも呼ばれ、大和大峰山に擬えられた。宝満山から英彦山まで駆けたが近世からは深仙宿の小石原までで終わることも多かった。小石原では深仙灌頂が行われていたとみられる。

春峰・金剛界

  • 1西院宿:福岡県太宰府市内山
  • 2障子嶽:福岡県糟屋郡宇美町障子岳
  • 3三昧嶽:
  • 4左谷嶽:福岡県糟屋郡須恵町佐谷
  • 5大祖嶽:福岡県糟屋郡篠栗町若杉 太祖神社
  • 6白石嶽:福岡県飯塚市八木山山伏谷
  • 7葛城嶽:福岡県宮若市三ケ畑
  • 8円通窟:福岡県糟屋郡久山町久原
  • 9首羅嶽:福岡県糟屋郡久山町久原頭光寺

春峰・三部四重

  • 熊野嶽:
  • 犬鳴嶽:福岡県宮若市犬鳴
  • 鉾之峰:

春峰・胎蔵界

  • 1不動嶽:
  • 2清水嶽:福岡県宮若市黒丸清水
  • 3大徳嶽:
  • 4靡嶽:福岡県宮若市上有木
  • 5風橋嶽:
  • 6地蔵嶽:
  • 7釈迦嶽:
  • 8戸田嶽:福岡県宗像市吉留
  • 9蔦嶽:福岡県宗像市赤間
  • 10孔大寺山:福岡県宗像市池田

春峰・外金剛部

  • 1序品山:織幡宮:福岡県宗像市鐘崎:序品
  • 2方便山:不動岩:福岡県宗像市:方便品
  • 3譬喩山:田島宮:福岡県宗像市田島:譬喩品
  • 4信解山:光岡社:福岡県宗像市光岡:信解品
  • 5薬草山:許斐中宮:福岡県宗像市王丸 許斐山:薬草喩品
  • 6授記山:許斐嶽:福岡県宗像市王丸 許斐山:授記品
  • 7化城山:莚内:福岡県古賀市筵内:化城喩品
  • 8五百山:岳越山:福岡県古賀市:五百弟子受記品
  • 9授学山:笈掛弁天:福岡県福岡市東区名島:授学無学人記品
  • 10法師山:香椎宮:福岡県福岡市東区香椎:法師品
  • 11宝塔山:筥崎宮:福岡県福岡市東区箱崎:見宝塔品
  • 12提婆山:博多地蔵堂:福岡県福岡市博多区上呉服町:提婆達多品:葛城地蔵とも呼ばれている。
  • 13勧持山:今熊野:福岡県福岡市博多区上川端町:勧持品:櫛田神社
  • 14安楽山:福山大日堂:福岡県福岡市中央区城内:安楽行品:福岡城内
  • 15湧出山:扇坂地蔵堂:福岡県福岡市中央区城内:従地湧出品:福岡城内
  • 16如来山:若一王子:福岡県福岡市中央区城内:如来寿量品:福岡城内
  • 17分別山:桜峰山:福岡県福岡市中央区桜坂:分別功徳品
  • 18随喜山:小鳥:福岡県福岡市中央区警固:随喜功徳品
  • 19功徳山:春日宮:福岡県春日市春日上居屋敷:法師功徳品
  • 20菩薩山:峰の薬師:福岡県太宰府市五条:常不軽菩薩品
  • 21神力山:宝満石:福岡県太宰府市五条:如来神力品
  • 22嘱累山:宝満下宮:福岡県太宰府市内山:嘱累品
  • 23薬王山:小白山:福岡県太宰府市内山:薬王菩薩本事品
  • 24妙音山:大田社:福岡県太宰府市内山:妙音菩薩品
  • 25普門山:九重原松峡宮:福岡県太宰府市内山:観世音菩薩普門品
  • 26陀羅山:小田社:福岡県太宰府市内山:陀羅尼品
  • 27荘厳山:住吉尾:福岡県太宰府市内山:妙荘厳王本事品
  • 28勧発山:白蛇窟:福岡県太宰府市内山:普賢菩薩勧発品

夏峰・大巡行

秋峰・金剛界

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • 32
  • 33
  • 34
  • 35
  • 36
  • 37

秋峰・中台

秋峰・胎蔵界

  • 1釈迦嶽:
  • 2玉置嶽:宝珠山
  • 3中台大日嶽:
  • 4屏風嶽:福岡県田川郡添田町
  • 5吹越嶽:福岡県田川郡添田町英彦山
  • 6小篠嶽:福岡県田川郡添田町英彦山
  • 7弁財嶽:福岡県田川郡添田町英彦山
  • 8豊後窟:福岡県田川郡添田町英彦山 大南神社
  • 9俗体嶽:福岡県田川郡添田町英彦山
  • 10備之宿:福岡県田川郡添田町英彦山

秋峰・外金剛部

  • 1著立:福岡県田川郡添田町
  • 2長谷:福岡県田川郡添田町
  • 3膳所:
  • 4中益:福岡県嘉麻市中益
  • 5臼井:福岡県嘉麻市上臼井
  • 6土師:福岡県嘉穂郡桂川町土師
  • 7九郎丸:福岡県嘉穂郡桂川町九郎丸
  • 8長尾:福岡県飯塚市長尾
  • 9山口:福岡県飯塚市山口
  • 10柚須原:福岡県筑紫野市柚須原
  • 11柿尾:福岡県筑紫野市柚須原
  • 12本道寺:福岡県筑紫野市本道寺

資料

典籍

  • 2009『宝満山関係史料集』
  • 竹内理三編『大宰府・太宰府天満宮史料』

文献

  • 伊藤常足編『太宰管内志』筑前21
  • 中野幡能『筑前国宝満山信仰史の研究』
  • 中野幡能「宝満山修験の末寺・末社組織」(『英彦山と九州の修験道』)
  • 中野幡能「宝満山の峯入」
  • 小田富士雄1961「古代に於ける筑前竈門山寺の活動」[1]
  • 小田富士雄編1982『宝満山の地宝 宝満山の遺跡と遺物』[2]
  • 小田富士雄編1983『太宰府・宝満山の初期祭祀 『宝満山の地宝』拾遺』
  • 松川博一2014「大宰府と寺社」[3]
  • 森弘子「宝満山の開発と歴史的発展」(『英彦山と九州の修験道』)
  • 森弘子1983「宝満山の祭祀」『大宰府古文化論叢』
  • 森弘子2000『宝満山歴史散歩』葦書房
  • 森弘子2004「宝満山玉依姫考」
  • 森弘子2005「玉依姫の霊窟 羽黒と宝満と」[4]
  • 森弘子2009『宝満山の環境歴史学的研究』岩田書院
  • 森弘子2012「宝満山と聖護院そして彦山 本末論争の前提と結末」
  • 1989『宝満山遺跡』[5]
  • 1997『宝満山遺跡群2』[6]
  • 2001『宝満山遺跡群3』[7]
  • 2002『宝満山遺跡群・浦ノ田遺跡3』[8]
  • 2004『宝満山遺跡群4』[9]
  • 2006『宝満山遺跡群5』[10]
  • 2010『宝満山遺跡群6』
  • 2012『宝満山遺跡群7』
  • 小西信二編1984『宝満山及び竈門神社周辺の遺跡分布調査報告書 昭和58年度』[11]
  • 2013『宝満山総合報告書 福岡県太宰府市・筑紫野市所在の宝満山に関する文化財の総合報告』
  • 広渡正利1990「宝満山修験組織の確立について」『福岡県地域史研究』
  • 広渡正利1988「福岡藩の寺社支配についてー博多三刹と宝満山の場合」(『西南地域の史的展開』)
  • 高良竹美「求菩提山・宝満山の伝承」(『修験道の伝承文化』)
  • 時枝務2013「八世紀後半の筑前宝満山」
  • 時枝務2013「筑前宝満山における山頂祭祀の成立」
  • 岡寺良2008「宝満山近世僧坊跡の調査と検討 山岳寺院の平面構造調査」『九州歴史資料館研究論集』33
  • 山村信榮2005「大宰府における国境祭祀と宝満山・有智山寺」『仏教芸術』282号
  • 2011『「北部九州の山岳霊場遺跡 近年の調査事例と研究視点」資料集 第1回九州山岳霊場遺跡研究会』
  • 2016「彦山・宝満山縁起と諸伝承」『仏教民俗学大系』7
  • 中野景雄編1940『宝満山と竃門神社』
  • 「北九州修験秘録 宝満山伏の峰入り」『あしなか』71
  • 2013『山の神々 九州の霊峰と神祇信仰 竈門神社肇祀一三五〇年記念』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%AE%9D%E6%BA%80%E5%B1%B1」より作成

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