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香取神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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(?組織)
(?大宮司・宮司)
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*2香取総麿(1861-1919)<1900-1919>:1896年(明治29年)3月玉前神社禰宜(叙位裁可書)。1900年(明治33年)9月18日、香取神宮宮司(『香取神宮志』。叙位裁可書では1898年(明治31年)11月)。1919年(大正8年)11月4日死去(『香取神宮志』)。
*2香取総麿(1861-1919)<1900-1919>:1896年(明治29年)3月玉前神社禰宜(叙位裁可書)。1900年(明治33年)9月18日、香取神宮宮司(『香取神宮志』。叙位裁可書では1898年(明治31年)11月)。1919年(大正8年)11月4日死去(『香取神宮志』)。
*3香取文夫()<1919-1924>:二荒山神社禰宜から1919年(大正8年)12月5日香取神宮宮司。1924年(大正13年)6月27日香取神宮宮司を辞職。(任免裁可書、『香取神宮志』)
*3香取文夫()<1919-1924>:二荒山神社禰宜から1919年(大正8年)12月5日香取神宮宮司。1924年(大正13年)6月27日香取神宮宮司を辞職。(任免裁可書、『香取神宮志』)
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*4宮沢春文(-1934)<-1934>:1905年(明治38年)6月14日生島足島神社宮司(叙位裁可書)。[[出羽神社]]宮司。札幌神社宮司。1924年(大正13年)7月31日香取神宮宮司(『香取神宮志』)。1934年(昭和9年)11月7日香取神宮宮司を退任(叙位裁可書)。同月14日死去(『香取神宮志』)。
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*4宮沢春文(1874-1934)<1924-1934>:1905年(明治38年)6月14日生島足島神社宮司(叙位裁可書)。[[出羽神社]]宮司。札幌神社宮司。1924年(大正13年)7月31日香取神宮宮司(『香取神宮志』)。1934年(昭和9年)11月7日香取神宮宮司を退任(叙位裁可書)。同月14日死去(『香取神宮志』)。
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*5沢田総重(1874-)<1934-1944>:1874年(明治7年)1月4日生。1908年(明治41年)4月9日小御門神社宮司。1934年(昭和9年)11月7日香取神宮宮司。1944年(昭和19年)10月25日退任。(任免裁可書)
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*5沢田総重(1874-)<1934-1944>:1874年(明治7年)1月4日生。1908年(明治41年)4月9日[[小御門神社]]宮司。1934年(昭和9年)11月7日香取神宮宮司。1944年(昭和19年)10月25日退任。(任免裁可書)
*額賀大直(1877-1961)<1946-?>:明治後期から戦後直後まで活躍した神職。千葉県神社庁庁長。(略歴は[[唐沢山神社#組織]]を参照)
*額賀大直(1877-1961)<1946-?>:明治後期から戦後直後まで活躍した神職。千葉県神社庁庁長。(略歴は[[唐沢山神社#組織]]を参照)
*高橋昭二()<-2016>:
*高橋昭二()<-2016>:

2018年10月13日 (土) 時点における版

香取神宮
かとり じんぐう
Katori-jingu (26).jpg伊勢神宮古社殿を利用した奥宮
概要 香取神社の総本社。
奉斎 伊波比主命
(土岐昌訓論文)
所在地 千葉県香取市香取1697
所在地(旧国郡) 下総国香取郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 式内社名神大社正一位勲一等下総国一宮朱印地拝領神社官幣大社別表神社勅祭社
関連記事 香取信仰春日信仰春日大社旧跡中臣氏旧跡


目次

概要

香取神宮(かとり・じんぐう)は、千葉県香取市にある香取信仰の総本社。対となる鹿島神宮と共に中臣氏藤原氏ゆかりの神社。剣の神、戦の神。遠隔地ながら朝廷から重視され、古代から神宮を称した。下総国一宮官幣大社別表神社勅祭社鹿島神宮・香取神宮関連旧跡春日大社関連旧跡も参照。


歴史

境内

組織

大宮司(前近代)

  • 『香取大宮司系図』(続群書類従179)

大宮司・宮司

  • 1香取保礼(?-1907)<1873-1900>:1871年(明治4年)香取神宮大宮司。1872年(明治5年)1月20日制度改正で一旦解職。6月8日少宮司(大宮司は欠員)。1873年(明治6年)宮司。1900年(明治33年)9月18日退職。1907年(明治40年)6月23日死去。(「明治期における香取神宮の祭祀改変について」、『香取神宮志』ほか)
  • 2香取総麿(1861-1919)<1900-1919>:1896年(明治29年)3月玉前神社禰宜(叙位裁可書)。1900年(明治33年)9月18日、香取神宮宮司(『香取神宮志』。叙位裁可書では1898年(明治31年)11月)。1919年(大正8年)11月4日死去(『香取神宮志』)。
  • 3香取文夫()<1919-1924>:二荒山神社禰宜から1919年(大正8年)12月5日香取神宮宮司。1924年(大正13年)6月27日香取神宮宮司を辞職。(任免裁可書、『香取神宮志』)
  • 4宮沢春文(1874-1934)<1924-1934>:1905年(明治38年)6月14日生島足島神社宮司(叙位裁可書)。出羽神社宮司。札幌神社宮司。1924年(大正13年)7月31日香取神宮宮司(『香取神宮志』)。1934年(昭和9年)11月7日香取神宮宮司を退任(叙位裁可書)。同月14日死去(『香取神宮志』)。
  • 5沢田総重(1874-)<1934-1944>:1874年(明治7年)1月4日生。1908年(明治41年)4月9日小御門神社宮司。1934年(昭和9年)11月7日香取神宮宮司。1944年(昭和19年)10月25日退任。(任免裁可書)
  • 額賀大直(1877-1961)<1946-?>:明治後期から戦後直後まで活躍した神職。千葉県神社庁庁長。(略歴は唐沢山神社#組織を参照)
  • 高橋昭二()<-2016>:
  • 香取武()<2016->:

少宮司・権宮司

  • 渡辺重石丸(1836-1915)<1873-?>:幕末維新期の国学者・宗教官僚・神職。八幡古表神社の社家出身。祖父は渡辺重名、父は渡辺重蔭。兄は神職・国学者の渡辺重春。私塾に学び、水戸学に影響を受ける。1864年(元治1年)、私塾道生館を開く。1867年(慶応3年)、平田派に入門。平田鉄胤の推挙で1868年(明治1年)末、皇学所御用掛となり東京へ。気吹舎塾頭。1872年(明治5年)、教部省出仕・考証掛。翌年、大教院皇学講師、香取神宮少宮司・大講義。以後、諸陵掛、教部省中録、神名帳編纂掛、内務省社寺局事務取扱などを歴任。1882年(明治15年)、官職を退き、東京で道生館を再開。『天御中主神考』『固本策』など著作多数。彼の学問は「国学に水戸学の装を施す学風」(上田賢治)と呼ばれる。天之御中主神への信仰を重視した。墓所は、雑司ケ谷霊園
  • 伊能穎則(1805-1877)<1875->:神道家。国学者。歌人。下総国香取郡佐原町出身。平田鉄胤に師事。香取神宮の尚古館学師。明治政府に参画。香取神宮少宮司。

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%A6%99%E5%8F%96%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

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