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天地院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年12月30日 (土)
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[[道明寺天満宮]]に康元2年(1257)銘の天地院の石燈籠が伝わっている。 | [[道明寺天満宮]]に康元2年(1257)銘の天地院の石燈籠が伝わっている。 |
2017年12月30日 (土) 時点における最新版
天地院(てんちいん)は、大和国添上郡(奈良県奈良市)の春日山にあった古代寺院。東大寺の前身寺院の一つとされ、現在の二月堂の奥の山上にあったと考えられている。山岳信仰・修験道の行場として鎌倉時代末期頃まで存続したらしい。東大寺関連旧跡も参照。法蓮寺ともいう。(参考:同名寺院法蓮寺)
歴史
『東大寺要録』によると、行基が山中に和銅元年(708)2月10日に建て始め、翌年3月5日に落慶したという。天喜元年(1053)9月に焼失。康平5年(1062)1月、金剛手菩薩を祀ったという。 鎌倉時代末期まで千手堂があった。東大寺四月堂の千手観音は天地院千手堂の旧本尊ともいうがはっきりしない。近世初期の「寺中寺外惣絵図」によると、かつて千手堂を中心に、東に東室・文殊堂・塔・弁才天社・拝殿、南には南室・夏屋、北には八講堂・北室・西大門などがあったことを示すが、江戸時代にはほとんどは廃絶していたらしい。
法華堂や中門堂の堂衆が千日不断花会・当行と称して天地院周辺の山中に入峰していた。千手堂の東にあった金剛童子社と閼伽井はその終着地点だったという。
近世の伝承として石淵寺の僧が天地院の稚児を殺して自害したのを機に合戦となり、互いに火を放ち、両寺とも廃絶したともいう。 跡地の発掘は行われていないが、奈良国立文化財研究所が実測調査し、跡地らしき平坦地を山中に発見している(丸山西遺跡)。
道明寺天満宮に康元2年(1257)銘の天地院の石燈籠が伝わっている。