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法然旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2017年10月21日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
法然(ほうねん)(1133-1212)は、浄土宗の開祖。彼の旧跡のうち、主なものは法然上人二十五霊場として巡礼地となっている。また各地にある墓所などについては法然墓廟を参照。法然は勢至菩薩の化身とされた。その他の浄土宗僧侶については浄土宗の諸師旧跡を参照。多くの大師号を持つ。慧光菩薩。源空。忌日法要を御忌会(御忌)と呼ぶ。
目次 |
概要
略歴
信仰
御影
法然の御影については「みえい」と呼ぶ(親鸞に対しては「ごえい」)。「法然あたま」が特色。
- 鏡の御影:金戒光明寺
- 足曳きの御影:二尊院
- 隆信の御影:知恩院。披講の御影。『四十八巻伝』などによると、後白河法皇の勅請で法然が『往生要集』を講じたときに、法皇が感激して藤原隆信(たかのぶ)に命じて描かせた画像。蓮華王院宝蔵に奉納されたという。知恩院蔵。
- 張子の御影:粟生光明寺御影堂の本尊像。
- 宝瓶(ほうびょう)の御影:播磨・十輪寺。頭上に示されている宝瓶は、勢至菩薩の象徴。『四十八巻伝』に法然自身の言葉として「法然の本地は勢至菩薩」と述べている。知恩院には1636年(寛永13年)に五十川某が描き、霊巌雄誉花押のある画像がある。
- 念仏勧進の御影:高松・法然寺
- 波乗りの御影:高松・法然寺
- お胎籠りの御影:高松・法然寺
- 血垂れの御影:当麻寺奥院の本尊。知恩院の最初の御影像と伝える。
- 信実の御影:『四十八巻伝』に「空阿弥陀仏が藤原隆信の子の藤原信実に描かせ、今、知恩院にある」とある像。信実は『吾妻鑑』に後鳥羽天皇像を描かせたとも記され、その絵が残されている。知恩院蔵。
- 三日月の御影:上弦の月を枠として半身が描かれている。現在の1月18日の御忌定式に掲げられる。宅摩澄賀筆。裏書によると、足利尊氏から海老名実秀が賜り、海老名康行が菩提寺の阿弥陀寺に預けたが、海老名九左衛門の手に戻り、中村多聞の手を経て中井氏成が1835年(天保6年)11月11日に知恩院に奉納されたという。知恩院蔵。
- 転衣の御影:香衣の御影。浄土宗で初めて香衣勅許を後花園天皇から得た大誉慶竺(1403-1459)が描かせた御影で、この法然像は従来の黒染の衣ではなく、香衣を着用している。大誉慶竺は、香衣勅許を得たのは知恩寺19世時代のことであったが、知恩院21世となってから記念としてこの画像を描かせた。1626年(寛永3年)3月25日に京都弘誓寺から知恩院に寄進された。知恩院蔵。
- 池の水の御影:法然の「池の水 人の心に似たりけり 濁りすむこと 定めなければ」という和歌を表した像。栄元筆。新義真言宗の如幻道空(1666-1751)が和歌を筆。知恩院蔵。
- 二祖対面の御影:乗台筆。義山(1647-1717)が蔵していたが、1706年(宝永3年)1月10日に知恩院に寄進。法然が夢中で善導と会見したエピソードを描くもので、別幅で善導の御影と対となっている。知恩院蔵。
- 月僊の御影:作者の月僊は、浄土宗の画僧。月仙とも。桜井雪館、円山応挙に師事。知恩院御影堂の像を写す。知恩院57世の檀誉貞現の文。知恩院蔵。
- 古カンの御影:古カン(1653-1717)は、明誉虚舟とも言い、大和西岸寺を経て京都成虎報恩寺に住す。狩野永納に師事。1697年(元禄10年)の円光大師号下賜にあたり、『円光大師号絵詞』を作成。知恩院蔵。
- 道恕賛の御影:1702年(元禄15年)11月の東大寺別当・安井門跡の道恕(1668-1733)の賛がある。道恕は法然を尊崇し、『法然上人行状絵図目録』を編纂している。この絵自体も彼の筆と推定されている。絵を狩野永納に学ぶ。知恩院蔵。
- 伊達孝太郎の御影:念仏信者の伊達孝太郎が厚木天宗寺の小橋麟瑞の指導の下で作成。1935年(昭和10年)2月に完成。1965年(昭和40年)に知恩院に寄贈。800年遠忌記念の御影の卓上画集(成田俊治解説)に収録されたことから、近現代の代表的御影と評価されていると思われる。知恩院蔵。
習合
勢至菩薩の化身とされた。
その他
- 御忌(ぎょき):法然の忌日法要のこと。天皇の勅許を得て執行されているためこう呼ばれる。
呼称
諡号
各教団での呼称
旧跡