ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

広島護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年2月15日 (木)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(?組織)
(?資料)
 
(間の4版分が非表示)
3行: 3行:
*1868年(明治1年)12月:芸州藩主浅野長訓、広島大須賀二葉の里に「水草霊社」を創建。高間省三など78柱をまつる(『靖国神社百年史』)
*1868年(明治1年)12月:芸州藩主浅野長訓、広島大須賀二葉の里に「水草霊社」を創建。高間省三など78柱をまつる(『靖国神社百年史』)
*1875年(明治8年):官祭招魂社(『靖国神社百年史』)
*1875年(明治8年):官祭招魂社(『靖国神社百年史』)
 +
*1877年(明治10年)9月:再建(1924『広島県史』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9572493/1/50])
*1901年(明治34年):官祭広島招魂社(『靖国神社百年史』)
*1901年(明治34年):官祭広島招魂社(『靖国神社百年史』)
*1934年(昭和9年):基町の練兵場に遷座祭(『靖国神社百年史』)
*1934年(昭和9年):基町の練兵場に遷座祭(『靖国神社百年史』)
49行: 50行:
==資料==
==資料==
-
*『広島市史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965812/48]
+
*1924『広島市史・社寺誌』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965812/48]:祭神一覧
 +
*1935『忠魂録』「官祭広島招魂社祭神録」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1034137/1/44]:1935年(昭和10年)まで。
 +
*1940『官祭広島招魂社造営誌』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1046885]
 +
*1983『広島護国神社戦後復興誌』[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264815]
 +
**由緒[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264815/1/14]
 +
**原爆の惨禍[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264815/1/16]
 +
**復興[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264815/1/18]
 +
***奉安庫[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264815/1/39]
 +
***社地の決定[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264815/1/55]
 +
**神社の光栄[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264815/1/74]
 +
**復興後の神社[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264815/1/93]
 +
**神社の現況[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264815/1/122]
 +
***恒例典[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264815/1/126]
 +
***職員[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264815/1/137]
 +
**回想文[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264815/1/146]
 +
**復興奉賛会年表[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264815/1/161]
 +
**広島護国神社年表[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264815/1/164]

2024年2月15日 (木) 時点における最新版

広島護国神社(ひろしま・ごこくじんじゃ)は、広島県広島市中区にある、県内西部の戦没者などを祀る招魂社官祭招魂社内務大臣指定護国神社神社本庁別表神社。旧称は水草霊社広島招魂社。占領期の名称は広島神社。県内には他の指定護国神社として備後護国神社がある。

目次

歴史

  • 1868年(明治1年)12月:芸州藩主浅野長訓、広島大須賀二葉の里に「水草霊社」を創建。高間省三など78柱をまつる(『靖国神社百年史』)
  • 1875年(明治8年):官祭招魂社(『靖国神社百年史』)
  • 1877年(明治10年)9月:再建(1924『広島県史』[1]
  • 1901年(明治34年):官祭広島招魂社(『靖国神社百年史』)
  • 1934年(昭和9年):基町の練兵場に遷座祭(『靖国神社百年史』)
  • 1939年(昭和14年)4月1日:内務大臣指定の「広島県護国神社」となる。(『靖国神社百年史』)
  • 1945年(昭和20年)8月6日:原爆により焼失(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1945年(昭和20年)8月8日:厳島神社神職が焼け跡から御霊代を迎え、厳島神社千畳閣(祭神:豊国大明神)に奉斎(『神道史大辞典』)
  • 1947年(昭和22年)8月4日:旧社地の仮殿に遷座(『神道史大辞典』)
  • 1947年(昭和22年)8月6日、原爆犠牲者と戦没者の慰霊祭。
  • 1947年(昭和22年)8月8日:広島神社と改称(『全国護国神社会二十五年史』では4日)
  • 1952年(昭和27年)4月30日:復興奉賛会(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1955年(昭和30年)9月9日:旧社地は処分。広島城内に再建が決定(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1956年(昭和31年)11月23日:社殿竣工遷座祭。奉祝祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1959年(昭和34年):神社本庁離脱問題を起きるが解決。
  • 1960年(昭和35年):別表神社加列。
  • 1960年(昭和35年)9月28日:広島護国神社に復称(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1960年(昭和35年)10月21日:合祀概了奉告臨時大祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1961年(昭和36年)4月2日:崇敬会(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1965年(昭和40年)10月22日:終戦20周年臨時大祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1971年(昭和46年)4月16日:天皇皇后行幸(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1993年(平成5年)4月:社殿儀式殿鳥居石畳再建(神社ウェブサイト)

「県」が付かないのは県内に他に備後護国神社があるためとみられる。

組織

社司・宮司

  • 足立達(生没年不詳)<-1947>:厳島神社宮司。1947年(昭和22年)8月22日、退任。(略歴は、氷川神社#組織を参照)
  • 山田厲(?-1957)<1947-1957>:速谷神社宮司。1947年(昭和22年)就任。1957年(昭和32年)死去。
  • (河本和昌)()<1958->:1958年(昭和33年)4月5日、宮司代務者就任。
  • 横井時常()<1959-1966>:靖国神社権宮司。1959年(昭和34年)9月15日宮司就任。1966年(昭和41年)3月1日退任。近江神宮宮司。
  • 森安忠(1907-)<1966->:羅南護国神社社司。1966年(昭和41年)就任。

資料

  • 1924『広島市史・社寺誌』[2]:祭神一覧
  • 1935『忠魂録』「官祭広島招魂社祭神録」[3]:1935年(昭和10年)まで。
  • 1940『官祭広島招魂社造営誌』[4]
  • 1983『広島護国神社戦後復興誌』[5]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール