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浄土宗鎮西派名越流
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''名越流'''(なごえ・りゅう)は、[[良忠]]門下の尊観良弁(1239-1316)を派祖とする[[浄土宗]]の[[浄土宗の流派|流派]]。[[鎮西派]]の関東三派の一つ。尊観が創建した[[鎌倉]]名越(なごえ)の[[鎌倉・善導寺|善導寺]]が発祥地。東北地方を中心に広がり、下野円通寺、磐城専称寺、磐城如来寺、岩城成徳寺の4カ寺が拠点となった。特に専称寺は東北最大の浄土宗寺院となった。[[善光寺信仰]]と関わり深い。'''名越派'''、'''善導寺流'''、'''善導寺義'''とも。 | '''名越流'''(なごえ・りゅう)は、[[良忠]]門下の尊観良弁(1239-1316)を派祖とする[[浄土宗]]の[[浄土宗の流派|流派]]。[[鎮西派]]の関東三派の一つ。尊観が創建した[[鎌倉]]名越(なごえ)の[[鎌倉・善導寺|善導寺]]が発祥地。東北地方を中心に広がり、下野円通寺、磐城専称寺、磐城如来寺、岩城成徳寺の4カ寺が拠点となった。特に専称寺は東北最大の浄土宗寺院となった。[[善光寺信仰]]と関わり深い。'''名越派'''、'''善導寺流'''、'''善導寺義'''とも。 | ||
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2017年4月14日 (金) 時点における版
名越流(なごえ・りゅう)は、良忠門下の尊観良弁(1239-1316)を派祖とする浄土宗の流派。鎮西派の関東三派の一つ。尊観が創建した鎌倉名越(なごえ)の善導寺が発祥地。東北地方を中心に広がり、下野円通寺、磐城専称寺、磐城如来寺、岩城成徳寺の4カ寺が拠点となった。特に専称寺は東北最大の浄土宗寺院となった。善光寺信仰と関わり深い。名越派、善導寺流、善導寺義とも。
歴史
名越流の広がった現在の福島県中東部(中通り、浜通り地方)には藤田流の寺院はなく、名越流の会津地方進出は藤田流が衰退した江戸時代以降であることから、中世には両流は住み分けしていたとも見られている(藤本顕通「藤田派の教線域と名越派の交渉」)。
一覧
この他、袋中旧跡も参照。
人物
- 良弁尊観:北条朝時(名越朝時)の子。良忠の弟子。鎌倉名越に鎌倉・善導寺を創建。いくつかの著作があったが不詳。定蓮社。墓所は、善導寺後身の鎌倉・安養院にある。
- 明心:尊観の弟子。長野善光寺南大門に住んだという。
- 良山妙観:明心の弟子。如来寺開山。
- 良栄理本(1346-1428):鎮西名越流の五祖。流派の拠点となる円通寺を創建。墓所不明。
- 良就十声:妙観の弟子。専称寺開山。
- 良天聖観:成徳寺開山。
- 存易以八(1539-1614):捨世派の僧。袋中の実兄。安芸・光明院を創建。美作・誕生寺復興を助ける。行蓮社信誉。
- 袋中(1552-1639):琉球に渡る。墓所は西方寺。
- 貞伝:
- 良崇無能(1683-1719):鎮西名越流、捨世派の僧。持戒念仏を自誓。31歳で男根をたち、常坐不臥行を続けた。興蓮社良崇。墓所は無能寺。