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源家の祭祀

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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==歴代==
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*1源頼信(968-1048):源満仲の三男。[[石清水八幡宮]]を氏神と仰ぐ。河内を拠点とし、武家としての地位を築く。[[通法寺]]の南にある小山に墓がある([[源頼信墓]])。[[壺井権現社]]祭神。
*1源頼信(968-1048):源満仲の三男。[[石清水八幡宮]]を氏神と仰ぐ。河内を拠点とし、武家としての地位を築く。[[通法寺]]の南にある小山に墓がある([[源頼信墓]])。[[壺井権現社]]祭神。
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*2源頼義(988-1075):源頼信の長男。前九年の役で陸奥国の安倍氏を滅ぼし、武家の代表者としての地位と、源氏の東国進出の拠点を築いた。鎌倉に鶴岡八幡宮の前身を建てた。通法寺の本堂の床下に埋葬されたといわれる。本堂跡に墓碑が建てられている([[源頼義墓]])。壺井権現社祭神。
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*2源頼義(988-1075):源頼信の長男。前九年の役で陸奥国の[[安倍氏]]を滅ぼし、武家の代表者としての地位と、源氏の東国進出の拠点を築いた。鎌倉に[[鶴岡八幡宮]]の前身を建てた。通法寺の本堂の床下に埋葬されたといわれる。本堂跡に墓碑が建てられている([[源頼義墓]])。壺井権現社祭神。
*3源義家(1039-1106):源頼義の長男。後三年の役。八幡太郎。通法寺の南にある小山に墓がある([[源義家墓]])。壺井権現社祭神。
*3源義家(1039-1106):源頼義の長男。後三年の役。八幡太郎。通法寺の南にある小山に墓がある([[源義家墓]])。壺井権現社祭神。
*4源義忠(?-1109):源義家の四男。同族に暗殺された。墓所不明。
*4源義忠(?-1109):源義家の四男。同族に暗殺された。墓所不明。
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*5源為義(1096-1156):源義親の子。源義家の孫。保元の乱で崇徳天皇方に付き敗れる。長男の義朝に斬首される。京都に[[源為義墓]]。[[伴緒社]]祭神。
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*5源為義(1096-1156):源義親の子。源義家の孫。保元の乱で[[崇徳天皇]]方に付き敗れる。長男の義朝に斬首される。京都に[[源為義墓]]。[[伴緒社]]祭神。
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*6[[源義朝]](1123-1160?):源為義の長男。保元の乱で[[後白河天皇]]方について勝つ。敵方についた父を処刑した。平治の乱で[[平清盛]]排除を狙うが敗れて討たれた。[[大御堂寺]]に墓。菩提寺は大御堂寺と[[勝長寿院]]
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*6[[源義朝]](1123-1160?):源為義の長男。保元の乱で[[後白河天皇]]方について勝つ。敵方についた父を処刑した。平治の乱で[[平清盛]]排除を狙うが敗れて討たれた。墓所は[[大御堂寺]][[勝長寿院]]跡にある。菩提寺は両寺の他、鎌倉[[亀谷堂]]もあった。
*7[[源頼朝]](1147-1199):源義朝の子。鎌倉幕府初代将軍。母は[[熱田神宮]]大宮司藤原季範の娘。墓は[[鎌倉・白旗神社]]。菩提寺は[[寿福寺]]、[[鎌倉・大慈寺]]、[[鎌倉・安養院]]。
*7[[源頼朝]](1147-1199):源義朝の子。鎌倉幕府初代将軍。母は[[熱田神宮]]大宮司藤原季範の娘。墓は[[鎌倉・白旗神社]]。菩提寺は[[寿福寺]]、[[鎌倉・大慈寺]]、[[鎌倉・安養院]]。
*8[[源頼家]](1182-1204):源頼朝の子。鎌倉幕府2代将軍。[[北条家]]に追放された。[[修禅寺]]で暗殺された。鎌倉[[寿福寺]]や京都[[建仁寺]]の開基。墓は修禅寺。法名は法華院殿金吾大禅閤。
*8[[源頼家]](1182-1204):源頼朝の子。鎌倉幕府2代将軍。[[北条家]]に追放された。[[修禅寺]]で暗殺された。鎌倉[[寿福寺]]や京都[[建仁寺]]の開基。墓は修禅寺。法名は法華院殿金吾大禅閤。
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*9[[源実朝]](1192-1219):源頼朝の子。鎌倉幕府3代将軍。[[鎌倉・大慈寺]]を創建。公暁に暗殺された。勝長寿院に葬られたという。[[源実朝首塚]]が秦野金剛寺にある。[[高野山]][[金剛三昧院]]に分骨。[[寿福寺]]に供養塔([[源実朝墓]])。菩提寺は[[京都・大通寺]]。御影像が寿福寺、大通寺、[[甲斐善光寺]]、秦野金剛寺にある。
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*9[[源実朝]](1192-1219):源頼朝の子。鎌倉幕府3代将軍。[[鎌倉・大慈寺]]を創建。公暁に暗殺された。勝長寿院に葬られたというが墓碑などは現存しない。[[源実朝首塚]]が秦野金剛寺にある。[[高野山]][[金剛三昧院]]に分骨。[[寿福寺]]に供養塔([[源実朝墓]])。菩提寺は[[京都・大通寺]]。御影像が寿福寺、大通寺、[[甲斐善光寺]]、秦野金剛寺にある。

2022年1月16日 (日) 時点における版

源家源氏宗家。清和源氏の嫡流とみなされる。河内源氏。関東祈祷所

一覧

歴代

  • 1源頼信(968-1048):源満仲の三男。石清水八幡宮を氏神と仰ぐ。河内を拠点とし、武家としての地位を築く。通法寺の南にある小山に墓がある(源頼信墓)。壺井権現社祭神。
  • 2源頼義(988-1075):源頼信の長男。前九年の役で陸奥国の安倍氏を滅ぼし、武家の代表者としての地位と、源氏の東国進出の拠点を築いた。鎌倉に鶴岡八幡宮の前身を建てた。通法寺の本堂の床下に埋葬されたといわれる。本堂跡に墓碑が建てられている(源頼義墓)。壺井権現社祭神。
  • 3源義家(1039-1106):源頼義の長男。後三年の役。八幡太郎。通法寺の南にある小山に墓がある(源義家墓)。壺井権現社祭神。
  • 4源義忠(?-1109):源義家の四男。同族に暗殺された。墓所不明。
  • 5源為義(1096-1156):源義親の子。源義家の孫。保元の乱で崇徳天皇方に付き敗れる。長男の義朝に斬首される。京都に源為義墓伴緒社祭神。
  • 6源義朝(1123-1160?):源為義の長男。保元の乱で後白河天皇方について勝つ。敵方についた父を処刑した。平治の乱で平清盛排除を狙うが敗れて討たれた。墓所は大御堂寺勝長寿院跡にある。菩提寺は両寺の他、鎌倉亀谷堂もあった。
  • 7源頼朝(1147-1199):源義朝の子。鎌倉幕府初代将軍。母は熱田神宮大宮司藤原季範の娘。墓は鎌倉・白旗神社。菩提寺は寿福寺鎌倉・大慈寺鎌倉・安養院
  • 8源頼家(1182-1204):源頼朝の子。鎌倉幕府2代将軍。北条家に追放された。修禅寺で暗殺された。鎌倉寿福寺や京都建仁寺の開基。墓は修禅寺。法名は法華院殿金吾大禅閤。
  • 9源実朝(1192-1219):源頼朝の子。鎌倉幕府3代将軍。鎌倉・大慈寺を創建。公暁に暗殺された。勝長寿院に葬られたというが墓碑などは現存しない。源実朝首塚が秦野金剛寺にある。高野山金剛三昧院に分骨。寿福寺に供養塔(源実朝墓)。菩提寺は京都・大通寺。御影像が寿福寺、大通寺、甲斐善光寺、秦野金剛寺にある。
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