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秋葉山
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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秋葉山は、静岡県浜松市天竜区春野町領家(遠江国山香郡)にある秋葉信仰の霊山。秋葉神社や秋葉寺がある。三尺坊権現。
目次 |
一覧
- 秋葉神社
- 秋葉神社遥斎殿
- 秋葉寺:明治13年復興
- 可睡斎:秋葉寺の本寺。明治になって秋葉権現を秋葉寺から遷座。
- 二諦坊:
- 遠江・千光寺:秋葉寺の里坊。
- 戒光院:龍頭山にある。奥之院と呼ばれ、秋葉山からここまで抖擻した。
- 掛川遥斎所:静岡県掛川市大池。掛川宿の一の鳥居の跡地にある。
- 秋葉寺歴代住職墓地:
- 機織井:頂上付近にある。
秋葉道
各地に広がる秋葉道沿いには常夜灯が建てられ、「龍燈」と呼ばれる独特の鞘堂が建てられた。
- 南口(掛川宿):表参道。掛川宿の一の鳥居を潜り北に向かう。森、三倉、小奈良安を経て秋葉山の麓の犬居・坂下に至る。
- 南口(浜松宿):浜松宿の一の鳥居から始まり、小松の二の鳥居、鹿島、二俣、遠江・光明寺を経て犬居・坂下に至る。浜松には浜松秋葉神社、小松には小松秋葉神社がある。
- 西口:御油宿から鳳来寺、熊、戸倉を経て秋葉山に至る。西麓には鳥居もあった。
- 北口:信濃から秋葉山に至る裏参道。
- 東口:川根街道、大井川、千頭、上長尾、久保尾辻、気田村、久保田村を経て秋葉山。
登山道
頂上50町目まで町石が建てられていた。
- 犬居集落:
- 秋葉神社下社:
- 六所神社:犬居郷の総鎮守で一宮と称された。
- 九里橋:掛川宿および浜松宿から9里(約35km)に位置するという。栃川に掛かる橋。坂下集落の入口。
- 坂下集落:明治時代には最大11軒の旅籠があった。
- 三の鳥居跡:5町目。山中としては一の鳥居。1714年(正徳4年)彦根藩主井伊直惟が建立したという。1955年(昭和30年)頃まであったという。
- 遠江・千光寺:秋葉寺の里坊。曹洞宗。
- 小豆坂:
- ちょぼいち平:19町目。
- 富士見茶屋跡:
- 四の鳥居跡:
- 子安地蔵:
- 信玄谷:
- 権現谷:
- 信玄石:37町目。
- 秋葉寺山門:45町目。
- 秋葉寺:
- 五の鳥居跡:
- 秋葉神社上社:
歴史
- 718年(養老2年):行基が聖観音・十一面観音・勝軍地蔵を祭った(秋葉山略縁起)。大登山霊雲院と称す。法相宗だったという。
- 809年(大同4年)11月:越後蔵王堂で修行した行者・三尺坊が出現(秋葉山略縁起)。
- 874年(貞観16年)5月10日:『三代実録』同日条によると「遠江国正六位上岐気保神」に従五位下が授けられた。この「岐気保神」が秋葉神社に当たるという(遠江国風土記伝)。
- 1294年(永仁2年):三尺坊大権現が秋葉山に戻り鎮守として祀る(秋葉山略縁起)。
- 1569年(永禄12年)8月7日:秋葉寺別当の光幡、徳川家康から別当職および諸勧進寺務が安堵される。
- 1572年(元亀3年)11月2日:武田信玄、秋葉寺別当に社領安堵という。
- 武田軍の遠江侵攻で焼失
- 1583年(天正11年):徳川家康、可睡斎に東海僧録に任命。
- 1590年(天正18年):豊臣秀吉、二諦坊に三河・遠江・駿河の白山先達職を安堵。
- 1592年(文禄1年)1月19日:堀尾宗光(浜松城主堀尾吉晴家臣)、秋葉寺再興のため寄進。
- 1598年(慶長3年):士峰宋山(1543-1635)、可睡斎住職となる。士峰宋山を秋葉寺の開山とする。
- 1603年(慶長8年):瀬古(静岡県藤枝市瀬古)に秋葉神社が創建される。この頃から火伏せの神として信仰されるようになる。
- 1625年(寛永2年)5月:幕府、秋葉山の別当職をめぐる曹洞宗可睡斎と真言宗二諦坊の争論に裁定を下し、可睡斎に秋葉山の支配権を認める。以降、曹洞宗となり、修験道は衰退する。
- 1642年(寛永19年)6月16日:将軍徳川家光、朱印地26石を安堵。
- 1685年(貞享2年):秋葉信仰が高まる。幕府、秋葉祭を禁制としている。
- 1756年(宝暦6年):江戸宿坊を建立。
- 1778年(安永7年)8月、後桃園天皇勅願所。1779年(安永8年)とも。
- 1780年(安永9年):掛川宿の秋葉街道入り口に江戸豪商の寄進で鳥居を建立。
- 1784年(天明4年):京都宿坊を建立。
- 1852年(嘉永5年):御開帳。この頃、登山道に常夜灯や町石が建てられた。
- 1867年(慶応3年)12月27日:朝廷、浜松秋葉神社に正一位を授与という。
- 1873年(明治6年)3月:神仏分離。秋葉寺が廃絶。三尺坊大権現は可睡斎に遷座した。
- 1873年(明治6年)4月:秋葉神社、県社に列格。
- 1880年(明治13年):8合目に秋葉寺を再興。1881年(明治14年)とも。秋葉寺の本尊は戻されたが、三尺坊大権現像は秋葉山に戻されず、可睡斎の神殿に祀られた。
- 1943年(昭和18年):山火事で秋葉神社被災。麓の遥斎殿(下社)は火災後に建立されたとも。
- 1952年(昭和27年):秋葉神社、秋葉山本宮秋葉神社と改称。
- 1984年(昭和59年):秋葉神社につながるスーパー林道が開通。
- 1986年(昭和61年):秋葉神社、本殿再建。式年神幸祭始まる。
- 1986年(昭和61年)11月:秋葉寺、歴代住職墓地を整備
- 2009年(平成21年):秋葉神社掛川遥斎所(遥拝所)を再建し、秋葉神社の飛地境内・末社に編入。
(日本歴史地名大系、国史大辞典、秋葉神社ウェブサイトほか)
資料
古典籍・史料
- 「秋葉山略縁起」:1717年(享保2年)
- 「大登山秋葉寺開闢由緒」:1882年(明治15年)
- 「秋葉寺由緒」:続曹洞宗全書所収
- 『明治維新神仏分離史料』「秋葉寺廃毀の顛末」[1]
文献
- 鷹見安二郞1936「江戸に於ける火防の信仰(2)秋葉山と秋葉三尺坊に就て」[2]*岸本文穂1980「秋葉三尺坊大権現について」[3]
- 塩崎正1982「秋葉信仰の周辺--北信地区の秋葉溝の分布を中心に」[4]
- 千葉俊英1988「秋葉信仰史研究(1)秋葉信仰の定義・成立過程・受容を中心として」[5]
- 吉田俊英1992「曹洞宗における秋葉信仰--秋葉信仰史の展開と初期曹洞宗における受容」[6]
- 吉田俊英1993「曹洞宗における秋葉信仰-2-遠州秋葉寺の曹洞宗への帰属を中心として」[7]
- 吉田俊英1994「曹洞宗における秋葉信仰-3-近世秋葉山の組織と祭祀を中心として」[8]
- 吉田俊英1995「曹洞宗における秋葉信仰-4-秋葉信仰の伝播と祭祀形態」[9]
- 後藤喜久夫1996「秋葉信仰の根源地を訪ねて」[10]
- 田村貞雄2009「遠江への秋葉信仰の伝来と分岐」[11]