ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
可睡斎
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年4月14日 (日)
可睡斎(かすいさい)は、静岡県袋井市にある秋葉信仰の曹洞宗寺院。本尊は聖観音。太源派の拠点。1407年(応永14年)に大洞院開山の如仲天誾が建てた草庵が起源。のち太路一遵が再建して東陽軒と称す。鳳山等膳が徳川家康の窮地を救ったことから帰依を受け、東海大僧録の地位を得た。山号は万松山。
神仏分離により、現在の秋葉神社が成立し、秋葉山の仏教側の祭祀は、秋葉寺の本寺であった可睡斎に継承された。
目次 |
歴史
- 永正年間: 太路一遵が創建
- 永禄年間:秋葉寺を末寺とする
- 1572年:武田家が禁制
- 1583年:徳川家康、可睡斎を三河・遠江・駿河・伊豆の4カ国の僧録に任命
- 1661年3月20日:伊豆の管轄について下総総寧寺と争論となり、この日幕府は、修禅寺門派のみを可睡斎の支配と定めた。
- 1682年:大洞院五派と訴訟
- 1693年:大洞院五派と訴訟。幕府は可睡斎を大洞院六派を代表する寺院だと認めた。東海道大僧録の地位が確立した。
- 1873年:秋葉三尺坊大権現の像を秋葉山から奉遷
- 1876年:秋葉権現社を造営
- 1911年:護国塔建立。
伽藍
- 本堂:法堂。松秀寺から移築。
- 開山堂:歴代住職を祀る。
- 御真殿:祭神は秋葉三尺坊大権現。
- 護国塔:日露戦争の戦没者を祀る。伊東忠太設計。
- 奥之院:本尊は不動明王。
- 僧堂:本尊は文殊菩薩。坐禅堂
- 輪蔵堂:
- 地蔵堂:本尊は地蔵菩薩
- 位牌堂:
- 大黒殿:本尊は大黒天。徳川家康が信仰したという。
- 徳川家御霊屋:徳川家康などの位牌を祀る。東照大権現の額が掛かる。
- 毘沙門天:可睡斎前身の東陽軒創建にまつわる像という。
- 白山堂:祭神は白山妙理大権現。鎮守社。
- 韋駄天:本尊は韋駄天
- 加藤清正祠:祭神は加藤清正
- 将軍地蔵
- 高祖廟:本尊は道元。霊骨を祀るという。
- 大東司:本尊は烏枢沙摩明王。現役のトイレ。1937年建立。
- 仁王門:伊東忠太設計の図面で2010年建立。
- 出世六の字穴:徳川家康が武田軍に追われてこの穴に隠れて命拾いしたという。
- 瑞龍閣:二階建て。1937年建立。山口玲煕筆の障壁画がある。
- 井伊直勝墓
- 井伊直好墓
- 活人剣:
組織
歴代住職
現在は斎主と称す。
世数 | 名 | 生没年 | 在職年 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
1勧請 | 如仲天誾 | 1365-1437 | 梅山聞本の法嗣。如仲派の祖。洞寿院、崇信寺、大洞院を創建。越前・龍沢寺中興。1437年(永享9年)死去?1439年(永享11年)2月5日死去?。 | |
2勧請 | 真巌道空 | 1374-1449 | 遠江国出身。如仲天誾の法嗣。洞寿院住職。1451年(宝徳3年)8月15日死去?。1449年(宝徳1年)死去? | |
3勧請 | 川僧慧済 | ?-1475 | 下野国出身。真巌道空の法嗣。一雲斎住職。乾坤院開山。諡号は法覚仏恵禅師(後柏原天皇)。1475年(文明7年)7月9日死去。 | |
4勧請 | 太年祥椿 | 1434-1513 | 遠江国出身。1513年(永正10年)4月4日死去。 | |
5 | 太路一遵 | 1399-1518 | 遠江国出身。如仲天誾の下で出家。大年祥椿の法嗣。龍沢寺住職。可睡斎を創建。1518年(永正15年)4月6日死去。120歳。 | |
6 | 林英総逋 | ?-1531 | 林英宗甫?尾張国出身。1531年(享禄4年)10月12日死去。 | |
7 | 大陽一鴒 | ?-1569 | 龍洞院中興。1569年(永禄12年)9月28日死去。 | |
8 | 天用一超 | ?-1549 | 天陽一朝?1549年(天文18年)9月8日死去。1558年(永禄1年)10月23日死去とも。 | |
9 | 潜龍慧湛 | ?-1566 | 駿河国出身。天陽一朝の法嗣。1566年(永禄9年)10月23日死去。 | |
10 | 天叟禅長 | ?-1572 | 天叟善長?1572年(元亀3年)11月16日死去。 | |
11 | 鳳山等膳 | ?-1590 | 1572-1590 | 伊勢国出身。天叟善長の法嗣。徳川家康の帰依を得た。1572年(元亀3年)11月、可睡斎住職。1590年(天正18年)5月21日死去。勅特賜、鳳山仙麟禅師。 |
12 | 一柱禅易 | ?-1598 | 1590-1598 | 一株禅易とも。1590年(天正18年)9月、可睡斎住職。1598年(慶長3年)4月11日死去。 |
13 | 士峰宋山 | 1543-1635 | 1598-1613 | 一柱禅易の法嗣。僧録司となる。秋葉寺中興。1598年(慶長3年)5月、可睡斎住職。1613年(慶長18年)秋退任。しかし続く3代が自分より早く亡くなる。1635年(寛永12年)9月23日死去。 |
14 | 一機慧策 | ?-1626 | 1613-1626 | 1613年(慶長18年)冬、可睡斎住職。1626年(寛永3年)12月19日死去。 |
15 | 道中雲達 | ?-1633 | 1627?-? | 1627年(寛永4年)(異筆の1621年(元和7年)が正しいか)、可睡斎住職。1633年(寛永10年)2月退任。1633年(寛永10年)2月6日死去。 |
16 | 恭伝存康 | ?-1633 | 1626-1633 | 1626年(寛永3年)、可睡斎住職。1633年(寛永10年)6月28日死去。 |
17 | 一東秀天 | ?-1642 | 1634-1642 | 1634年(寛永11年)、可睡斎住職。1642年(寛永19年)7月25日死去。 |
除歴 | 松頓 | 1646-? | 1646年(正保3年)4月、可睡斎住職。総寧寺住職に移ったため歴代にしていないらしい。 | |
18 | 華亭豚宗 | ?-1654 | ?-1654 | 萃亭豚宗?1654年(承応3年)8月19日死去。 |
19 | 不外東伝 | ?-1658 | 1652-1658 | 1652年(承応1年)、可睡斎住職。1658年(万治1年)1月28日死去。 |
20 | 名山大誉 | ?-1658 | 1658-1658 | 1658年(万治1年)、可睡斎住職。1658年(万治1年)9月12日死去。 |
除歴 | 寛宅 | 1658?-1660? | 万治年間、伊勢四天王寺と確執があり退任。 | |
21 | 貴外嶺育 | ?-1666 | 1660-1666 | 1660年(万治3年)3月、可睡斎住職。1666年(寛文6年)5月25日死去。 |
22 | 丹山嶺香 | ?-1672 | 1666-1672 | 1666年(寛文6年)7月、可睡斎住職。1672年(寛文12年)12月27日死去。 |
23 | 一通松天 | ?-1679 | 1673-1679 | 1673年(延宝1年)3月、可睡斎住職。1679年(延宝7年)5月15日死去。 |
24 | 桂巌寿仙 | ?-1680 | 1679-1680 | 1679年(延宝7年)4月、可睡斎住職。1680年(延宝8年)3月20日死去。 |
25 | 太嶺寅朔 | ?-1696 | 1680-1687? | 1680年(延宝8年)5月、可睡斎住職。1687年(貞享4年)退任か。1696年(元禄9年)5月15日死去。 |
26 | 黙外門室 | ?-1701 | 1687-1692 | 1687年(貞享4年)6月、可睡斎住職。1692年(元禄5年)4月退任。1701年(元禄14年)12月8日死去。 |
27 | 教寂芸訓 | ?-1700 | 1692-1700 | 1692年(元禄5年)4月、可睡斎住職。1700年(元禄13年)5月21日死去。 |
28 | 東洲真海 | ?-1718 | 1700-1708? | 1700年(元禄13年)8月、可睡斎住職。1708年(宝永5年)退任か。1718年(享保3年)8月16日死去。 |
29 | 大通貫道 | 1658-1736 | 1708-1720? | 1708年(宝永5年)11月、可睡斎住職。1720年(享保5年)退任か。1736年(元文1年)9月11日死去。 |
30 | 月関湛亮 | ?-1729 | 1720-1729 | 1720年(享保5年)12月、可睡斎住職。1729年(享保14年)退任。1729年(享保14年)12月14日死去。 |
31 | 大昶光国 | ?-1753 | 1729-1741 | 大昶晃国?1729年(享保14年)11月、可睡斎住職。1741年(寛保1年)、龍穏寺に転任。1753年(宝暦3年)5月13日死去。 |
32 | 大梁禅棟 | 1677-1752 | 1741-1752 | 1741年(寛保1年)4月21日、可睡斎住職。1752年(宝暦2年)1月16日死去。 |
33 | 道山守賢 | ?-1789 | 1752-1776 | 下野国出身。寂円派。1752年(宝暦2年)3月、可睡斎住職。1776年(安永5年)1月退任。1789年(寛政1年)6月15日死去。 |
34 | 天倫光音 | ?-1784 | 1776-1784 | 寂円派。1776年(安永5年)3月、可睡斎住職。1784年(天明4年)1月14日死去。 |
35 | 観国光錐 | ?-1796 | 1784-1790 | 下野国出身。寂円派。1784年(天明4年)3月24日、可睡斎住職。1790年(寛政2年)退任。1796年(寛政8年)12月13日死去。 |
36 | 盛元大胤 | ?-1794 | 1790-1794 | 寂円派。道山守賢の法嗣。1790年(寛政2年)12月、可睡斎住職。1794年(寛政6年)4月13日死去。 |
37 | 魯道擔休 | 1738-1802 | 1794-1801 | 遠江国出身。寂円派。盛元大胤の法嗣。1794年(寛政6年)5月、可睡斎住職。1801年(享和1年)退任。1802年(享和2年)秋死去。 |
38 | 因孝休覚 | ?-1836 | 1801-1836 | 駿河国出身。寂円派。魯道擔休の法嗣。1801年(享和1年)7月、可睡斎住職。1836年(天保7年)3月退任。1836年(天保7年)夏死去。36年間在職。 |
39 | 寛海休豊 | ?-1840 | 1836-1840 | 駿河国出身。寂円派。因孝休覚の法嗣。1836年(天保7年)3月3日、可睡斎住職。1840年(天保11年)10月18日死去。 |
40 | 大光実英 | ?-1843 | 1841-1843 | 遠江国出身。真巌派。1841年(天保12年)6月、可睡斎住職。1843年(天保14年)7月28日死去。 |
41 | 道快亨全 | ?-1848 | 1843-1848 | 遠江国出身。真巌派。龍洞院の天厳笑堂の法嗣で、龍洞院を継ぐ。1843年(天保14年)、可睡斎住職。1848年(嘉永1年)6月7日死去。 |
42 | 天嶺玄童 | ?-1856 | 1848-1856 | 尾張国出身。真巌派。1848年(嘉永1年)可睡斎住職就任か。1856年(安政3年)7月退任。1856年(安政3年)10月22日死去。 |
43 | 静厳亮禅 | ?-1868 | 1856-1868 | 三河国出身。寂円派。因孝休覚の法嗣。1856年(安政3年)7月、可睡斎住職。1868年(明治1年)4月17日死去。 |
44 | 碓山興宗 | ?-1868 | 1868-1868 | 安芸国広島出身。寂円派。因孝休覚の法嗣。1868年(明治1年)8月、可睡斎住職。将軍の命令による就任は最後となる。しかし同年10月8日、京都蹴上の浄土宗定信寺で死去。墓は同寺にあるという。維新前後の混乱のためか死後の12月に僧録司となっており、1870年(明治3年)2月8日をもって死去したこととした。 |
45 | 林峰要禅 | ?-1870 | 1869-1870 | 遠江国出身。1869年(明治2年)9月、可睡斎住職。1870年(明治3年)5月15日死去。 |
46 | 巨嶽玄齢 | ?-1876 | 1872-1876 | 林玄齢。周防国出身。伊予龍穏寺の玄道の法嗣。1870年(明治3年)11月、総持寺東京詰監院となる。1872年(明治5年)5月、可睡斎住職。1873年(明治6年)3月、神仏分離で廃寺となった末寺秋葉寺の諸仏を受け取る。1876年(明治9年)12月3日死去。 |
47 | 西有穆山 | 1821-1910 | 1877-1892 | 穆山瑾英。総持寺独住3世。1877年(明治10年)7月9日、可睡斎住職。1881年(明治14年)9月、可睡斎を総持寺準直末とする。永平寺より道元の遺骨3粒を与えられ、1粒を可睡斎に収めたという(残りは八戸光龍寺へ)。三尺坊大権現堂を建立。1892年(明治25年)9月退任。1910年(明治43年)12月4日死去。 |
48 | 日置黙仙 | 1847-1920 | 1892-1916 | 維室黙仙。永平寺貫首。1892年(明治25年)11月、可睡斎住職。1900年(明治33年)5月、日本仏教界の代表の一人としてタイにわたり、釈迦の遺骨を奉迎。1907年(明治40年)4月、その遺骨を祭った日暹寺住職となる。翌年、可睡斎に「ガンダーラ式護国塔」の建立を発願し1911年(明治44年)4月に完成。1916年(大正5年)5月退任。1920年(大正9年)9月2日死去。 |
49 | 秋野孝道 | 1858-1934 | 1916- | 大忍孝道。総持寺貫首。1916年(大正5年)6月13日、可睡斎住職。 |
50 | 梶川乾堂 | 1867- | 乾堂物先。尾張国出身。1867年(慶応3年)生。米沢林泉寺の黙音の法嗣。1896年(明治29年)曹洞宗大学卒。1901年(明治34年)曹洞宗大学教授。1910年(明治43年)豪徳寺32世。1930年(昭和5年)7月1日、可睡斎住職を兼務。 | |
51 | 高階瓏仙 | 1876-1968 | 1931- | 玉堂瓏仙。永平寺71世。総持寺独住12世。 |
52 | 永江金栄 | 1895- | 大忍金栄。東京出身。1895年(明治28年)生。静岡県の永江院で得度。朝鮮布教に従事。石雲院独住11世。 | |
53 | 原田亮裕 | ~1979~ | 洞松寺住職。 | |
54 | 鈴木泰山 | 1985- | 自坊は磐田大円寺。1985年(昭和60年)可睡斎住職。愛知大学教授。 | |
55 | 伊東盛煕 | 宗務総長。自坊は黒島興禅寺。 | ||
56 | 嶋田吉春 | ?-2011 | 2008-2010 | 自坊は浜松宗安寺。2008年(平成20年)6月13日可睡斎住職。2010年(平成22年)12月、病気療養のため退任。2011年(平成23年)7月8日死去。 |
57 | 佐瀬道淳 | 1932- | 2011-2021 | 鳥取県出身。1932年(昭和7年)生。1954年(昭和29年)可睡斎で得度。駒沢大学卒。永平寺専門僧堂。2011年(平成23年)可睡斎斎主。2021年(令和3年)6月24日退任。 |
58 | 采川道昭 | 2021- | 自坊は山形宝泉寺。駒沢大学卒。2005年(平成17年)曹洞宗南アメリカ国際布教総監部総監。2021年(令和3年)6月24日可睡斎斎主。 |
- 『可睡斎護国塔保存修理報告書』[1]:48世までの歴代一覧表と、52世まで掲載する「歴代年譜」がある。一覧表をもとにしたが不備があるようなので歴代年譜で適宜補った。