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醍醐寺三宝院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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醍醐寺三宝院(だいごじ・さんぽういん)は、醍醐寺の本坊で、修験道当山派の中心となる真言宗の門跡寺院。修験道の本山寺院。本尊は弥勒菩薩。真言宗醍醐派。院主は、醍醐寺座主を兼任する。かつては京都に出張所として新三宝院があった。醍醐三宝院、三宝院門跡とも。旧名を金剛輪院、灌頂院。
境内
本堂 表書院 奥宸殿 豊国神社 五社明神 勅使の間
組織
歴代住職
- 1勝覚(1057/1058-1129):醍醐寺座主14世。三宝院を創建。源俊房の子。東大寺別当。東寺長者。
- 2定海(1074-1149):醍醐寺座主15世。
- 3元海(1094-1157):醍醐寺座主16世。
- 4実運(1105-1160):醍醐寺座主17世。
- 5勝賢(1138-1196):醍醐寺座主18・20世。
- 6実継(1154-1204):醍醐寺座主23世。
- 7成賢(1162-1231):醍醐寺座主24・26世。
- 8良海(1197-1218):醍醐寺座主25世。
- 9聖海法親王(1206-?):醍醐寺座主29世。
- 10勝尊(生没年不詳):醍醐寺座主34世。
- 11憲深(1192-1263):醍醐寺座主35世。
- 12定済(1220-1282):醍醐寺座主37・39世。
- 13定勝(生没年不詳):醍醐寺座主40世。
- 14道性(1278-?):醍醐寺座主41世。
- 15聖兼(1242-1293):醍醐寺座主43世。
- 16聖雲法親王(1271-1314):亀山天皇第9皇子。遍智院宮。醍醐寺座主49・52世。
- 17定任():醍醐寺座主53世。
- 18賢助(1280-1333):醍醐寺座主56・60・62世。
- 19聖尊法親王(1304-1370):後二条天皇皇子。遍智院宮。醍醐寺座主58世。
- 20聖尋(生没年不詳):醍醐寺座主59・61世。
- 21賢俊(1299-1357):醍醐寺座主65世。門跡号はこの頃から。
- 22光済(1326-1379):醍醐寺座主66・68・70世。
- 23聖珍法親王(?-1382):伏見天皇皇子。東大寺別当。東寺長者。醍醐寺座主69世。
- 24光助():醍醐寺座主71世。
- 25満済(1378-1435):醍醐寺座主73世。
- 26義賢(1399-1468):醍醐寺座主74世。(『望月仏教大辞典』では「賢義」とある)
- 27政深():醍醐寺座主75世。
- 28義覚(1468-1483):醍醐寺座主76世。
- 29政紹():醍醐寺座主77世。
- 30持厳():醍醐寺座主78世。
- 31義堯():醍醐寺座主79世。
- 32義演(1558-1626):醍醐寺中興。醍醐寺座主80世。関白三条晴良の子。金剛輪院を再興し、三宝院と称す。大伝法院座主。東寺長者。豊臣秀吉の帰依を受ける。後七日御修法を復興。
- 33覚定(1607-1661):鷹司信房の子。
- 34高賢(?-1707):鷹司教平の子。大峰山入峰。『鳳閣寺縁起』を著す。宝池院大僧正。
- 35房演
- 36実演
- 37(童形菅宮):(『日本仏家人名辞書』『望月』に欠。佐和隆研『醍醐寺』にある)
- 38良演:(『日本仏家人名辞書』に欠。『望月仏教大辞典』、佐和隆研『醍醐寺』にある)
- 39童形衛君:(『日本仏家人名辞書』『望月』に欠。佐和隆研『醍醐寺』にある)
- 40童形教君:(『日本仏家人名辞書』『望月』に欠。佐和隆研『醍醐寺』にある)
- 41童形亀君:(『日本仏家人名辞書』『望月』に欠。佐和隆研『醍醐寺』にある)
- 42高演(1765-1848):鷹司輔平の子。東寺長者。後自在院。
- 43勝演:(『望月仏教大辞典』ではカッコ書きとする)
- 44定演
- 45童形経君:(『日本仏家人名辞書』『望月』に欠。佐和隆研『醍醐寺』にある)
- 46童形淳君:(『日本仏家人名辞書』『望月』に欠。佐和隆研『醍醐寺』にある)
- 47童形易宮:閑院宮載仁親王(『日本仏家人名辞書』『望月』に欠。佐和隆研『醍醐寺』にある)
- 48演護()<>:
- 49寺島真応(?-1900)<>:醍醐派管長1世。金剛峰寺寺務検校執行法印395世。
- 50和気宥雄(1842-1920)<1900->:醍醐派管長2世
- 51多田実円()<>:醍醐派管長3世。千光寺住職。
- 52普学()<>:密教辞典に欠
- 53天野快道(1846-1923)<>:醍醐派管長4世
- 54亮禅()<>:醍醐派管長5世
- 55佐伯恵眼()<>:
- 56岡田戒玉(1890-1966)<>:弟子に真如苑開祖の伊藤真乗がいる。
- 57細川英道(1887-1975)<1966->:密乗院住職。1966年(昭和41年)醍醐寺座主・三宝院門跡に就任。
- 58仲田順海(1883-1968)<追贈>:品川寺住職。
- 59麻生信雄()<追贈>:
- 60岡田宥秀(1907-1985)<1974-1985>:醍醐寺101世座主。山口県出身。岡田戒玉に師事。1965年(昭和40年)執事長・宗務総長。
- 麻生文雄(1925-2012)<1985-2010>:醍醐寺座主102世。広島県出身。西国寺住職。1985年(昭和60年)醍醐寺座主・三宝院門跡就任。種智院大学学長。2012年(平成24年)11月26日死去。87歳。
- 仲田順和(1934-2023)<2010-2023>:醍醐寺座主103世。東京都出身。1934年(昭和9年)4月生。大正大学仏教学科卒業。1957年(昭和32年)品川寺に入る。1968年(昭和43年)2月、品川寺住職。1985年(昭和60年)12月、宗務総長・醍醐寺執行長。2010年(平成22年)10月28日、醍醐寺座主・三宝院門跡に就任。2023年(令和5年)11月10日死去。
- 壁瀬宥雅(1948-)<2023->:醍醐寺座主104世。京都府京都市出身。1948年(昭和23年)生。同志社大学工学部卒。1974年(昭和49年)種智院大学卒。醍醐山伝法学院卒。才能教育研究会チェロ科卒。チェロ奏者。一音寺住職。1994年(平成6年)理性院住職。1996年(平成8年)10月、一音寺室内合奏団を設立。報恩院住職。2010年(平成22年)執行長・宗務総長。2023年(令和5年)12月8日、醍醐寺座主・三宝院門跡。
(定演まで『日本仏家人名辞書』、宥雄まで『望月』、宥秀まで佐和隆研『醍醐寺』)
- 「三宝院列祖次第」『諸門跡承伝系図』[1]