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霊山官修墳墓

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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===官修墳墓(唱義5号)===
===官修墳墓(唱義5号)===
(『官修墳墓録』)
(『官修墳墓録』)
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*吉村寅太郎重郷:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
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*天誅組:吉村寅太郎重郷:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
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*那須信吾重民:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
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*天誅組:那須信吾重民:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
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*楠目清馬藤盛:1863年(文久3年)9月28日、多武峰で戦死。
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*天誅組:楠目清馬藤盛:1863年(文久3年)9月28日、多武峰で戦死。
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*森下幾馬茂時:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で自刃。
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*天誅組:森下幾馬茂時:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で自刃。
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*土居佐之助金英:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:土居佐之助金英:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*森下儀之助茂忠:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:森下儀之助茂忠:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*石川潤次郎真義:1864年(元治1年)6月5日、池田屋で死去。
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*池田屋:石川潤次郎真義:高知藩。土佐勤王党。1864年(元治1年)6月5日、池田屋事件で新選組に殺害された。
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*鍋島米之助義復:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
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*天誅組:鍋島米之助義復:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
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*池内蔵太定勝:1866年(慶応2年)5月2日、塩屋沖で死去。
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*天誅組:池内蔵太定勝:高知藩郷士。土佐勤王党。天誅組に参加し、大阪山口藩邸に逃げ切る。禁門の変に参戦。坂本龍馬の亀山社中に加わり1866年(慶応2年)5月2日、塩屋沖で事故死。
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*田所騰次郎重道:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:田所騰次郎重道:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*嶋浪間義親:1865年(慶応1年)2月22日、美作国で自決。
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*天誅組:嶋浪間義親:高知藩士。天誅組に参加。中山忠光と共に山口藩に逃げ切る。1865年(慶応1年)2月22日、美作国で自決。島浪間。
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*安岡斧太郎直行:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:安岡斧太郎直行:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*安岡嘉助正定:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:安岡嘉助正定:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*沢村幸吉行敏:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:沢村幸吉行敏:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*前田繁馬正種:1863年(文久3年)9月26日、大和初瀬で死去。
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*天誅組:前田繁馬正種:1863年(文久3年)9月26日、大和初瀬で死去。
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*島村省吾正文:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。  
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*天誅組:島村省吾正文:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。  
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*松本謙三郎□衡:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
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*天誅組:松本謙三郎□衡:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
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*宍戸弥四郎昌明:1863年(文久3年)9月24日、鷲家口で戦死。
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*天誅組:宍戸弥四郎昌明:1863年(文久3年)9月24日、鷲家口で戦死。
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*中垣健太郎幸雄:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:中垣健太郎幸雄:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*荒巻羊三郎真刀:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:荒巻羊三郎真刀:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*江頭種八国足:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:江頭種八国足:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*酒井伝次郎重威:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:酒井伝次郎重威:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*池尻嶽五郎岳:1864年(元治1年)11月、信濃国和田峠で死去。
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*天狗党:池尻嶽五郎岳:久留米藩士。天狗党の乱に参加。1864年(元治1年)11月20日、信濃国和田峠で殺害された。
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*鶴田陶司道徳:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:鶴田陶司道徳:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*伴林六郎光平:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:伴林六郎光平:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*井原応輔徳道:1865年(慶応1年)2月22日、美作国で自決。
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*天誅組:井原応輔徳道:高知藩。土佐勤王党。天誅組には参加していないが、島浪間の配下となり1865年(慶応1年)2月22日、美作国で自決。
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*牧岡二郎忠夫:戊辰戦争に従軍。1868年(明治1年)12月17日死去。
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*牧岡二郎忠夫:枚岡(平岡)の誤記か。北畠治房(平岡武夫)の親族か。戊辰戦争に従軍。1868年(明治1年)12月17日死去。
===官修墳墓(唱義7号)===
===官修墳墓(唱義7号)===
(『官修墳墓録』)
(『官修墳墓録』)
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*安積五郎武貞:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:安積五郎武貞:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*岡見留次郎経成:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:岡見留次郎経成:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*渋谷伊予作実行:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:渋谷伊予作実行:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*尾崎太郎孝基:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:尾崎太郎孝基:鳥取藩士。尾崎健蔵。1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*尾崎鋳五郎靖:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:尾崎鋳五郎靖:島原藩士。1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
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*岡見鉄蔵:1863年(文久3年)9月24日、死去。
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*天誅組:岡見鉄蔵:高取藩士。1863年(文久3年)9月24日、鷲家口で死去。安田鉄造、山下佐吉。安田鉄吉。
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*尾仲要蔵:1863年(文久3年)9月23日、葛川村北手で死去。
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*天誅組:尾仲要蔵:1863年(文久3年)9月23日、葛川村北手で死去。
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*林兵次郎:1863年(文久3年)9月24日、鷲家口の戦いで戦死。
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*天誅組:林兵次郎:1863年(文久3年)9月24日、鷲家口の戦いで戦死。
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*関為之助:1863年(文久3年)9月26日、大和初瀬で死去。
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*天誅組:関為之助:1863年(文久3年)9月26日、大和初瀬で死去。
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*和田左市信勝:1863年(文久3年)9月21日、十津川郷上湯川で死去。
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*天誅組:和田左市信勝:1863年(文久3年)9月21日、十津川郷上湯川で死去。
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*深瀬繁理維正:1863年(文久3年)9月25日、白川河原で死去。
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*天誅組:深瀬繁理維正:十津川郷士。1863年(文久3年)9月25日、白川河原で処刑。
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*秦将蔵則久:1863年(文久3年)9月29日、長谷寺付近で死去。
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*天誅組:秦将蔵則久:1863年(文久3年)9月29日、長谷寺付近で死去。
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*山本実之助:高野山三宝院の役人。没年月日不詳。
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*天誅組:山本実之助:高野山三宝院の役人。1863年(文久3年)9月、天誅組の挙兵に関わったとして捕縛され、京都に護送の途中に死去。沢田実之助。
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*古東領左衛門需:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:古東領左衛門需:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*乾十郎嗣龍:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:乾十郎嗣龍:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*厳瑤坊亮親(佐竹織江):1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*英彦山:厳瑤坊亮親(佐竹織江):英彦山事件で捕縛。1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。(幕末維新京都史跡事典に大和義挙とあるのは誤りとみられる)
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*教観坊成連(藤山衛門):1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*英彦山:教観坊成連(藤山衛門):英彦山事件で捕縛。1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。(幕末維新京都史跡事典に大和義挙とあるのは誤りとみられる)
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*水郡善之助長雄:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:水郡善之助長雄:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*長野一郎寛道:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:長野一郎寛道:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*保母健景光:1864年(元治1年)7月21日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:保母健景光:1864年(元治1年)7月21日、六角獄舎で刑死。
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*船田彦次郎貞光:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:船田彦次郎貞光:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*辻郁之助単茂:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:辻郁之助単茂:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*田中樟之助祐信:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:田中樟之助祐信:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*森本伝兵衛勝定:1864年(元治1年)7月16日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:森本伝兵衛勝定:1864年(元治1年)7月16日、六角獄舎で刑死。
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*橋本若狭綱幸:1864年(元治1年)7月7日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:橋本若狭綱幸:1864年(元治1年)7月7日、六角獄舎で刑死。
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*伊沢宜庵卓:1865年(慶応1年)7月18日、六角獄舎で死去。
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*天誅組:伊沢宜庵卓:医師。1865年(慶応1年)7月18日、六角獄舎で死去(28日とも)。
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*横田友次郎靖之:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*生野義挙:横田友次郎靖之:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*大村辰之助包房:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*生野義挙:大村辰之助包房:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*伊藤龍太郎祐之:1867年(慶応3年)11月18日、六角獄舎で死去。
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*生野義挙:伊藤龍太郎祐之:水戸藩弘道館教授。1867年(慶応3年)11月18日、六角獄舎で死去。
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*黒田与市郎重清:1866年(慶応2年)12月19日、獄中で死去。
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*生野義挙:黒田与市郎重清:大庄屋。1866年(慶応2年)12月19日、獄中で死去。黒田与一郎。
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*三牧謙助秀胤:1865年(慶応1年)1月、六角獄舎で死去。
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*生野義挙:三牧謙助秀胤:1865年(慶応1年)1月、六角獄舎で死去。
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*木村愛之助(片山九市春量):1864年(元治1年)7月19日、六角獄舎で刑死。
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*生野義挙:木村愛之助(片山九市春量):1864年(元治1年)7月19日、六角獄舎で刑死。
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*鶴松:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:鶴松:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*常助:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
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*天誅組:常助:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
*元次郎:1863年(文久3年)8月18日死去。
*元次郎:1863年(文久3年)8月18日死去。
*忠右衛門:1863年(文久3年)8月18日死去。
*忠右衛門:1863年(文久3年)8月18日死去。

2022年7月2日 (土) 時点における版

霊山官修墳墓(りょうぜん・かんしゅうふんぼ)は、京都府京都市東山区の京都霊山護国神社にある官修墳墓霊明神社霊明神社墓地も参照。


目次

一覧

招魂社

総称して霊山招魂社などと呼ばれ、官祭招魂社だった。京都霊山護国神社の前身。1911年(明治44年)『靖国神社誌』記載の「京都愛宕霊山招魂社」8カ所、『もりのしげり』記載の「霊山官祭招魂社 第一社」から「第一〇社」、および「第一四社ノ二」「第一四社ノ三」、『護国之神と招魂祭』記載の「愛宕郡清閑寺村靈山(八ヶ所)」、「招魂社調」記載の霊山山口招魂社、霊山福岡招魂社、霊山鳥取招魂社、霊山高知招魂社、霊山京都府招魂社、霊山熊本招魂社、霊山久留米招魂社、霊山徴兵七番隊招魂社、霊山埜崎大蔵招魂社に該当すると思われる(徴兵七番隊、埜崎大蔵招魂社は招魂碑のみと思われる)。ちなみに鹿児島藩招魂社東福寺即宗院佐土原藩招魂社大雲院にある。


墓・碑

官修墳墓

  • 唱義1号:1868年(明治1年)7月、山口藩主が設立、74柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義2号:1868年(明治1年)7月、山口藩主が設立、89柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義3号:1868年(明治1年)7月、山口藩主が設立、28柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義4号:1870年(明治3年)3月、福岡藩主が設立、7柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義5号:1869年(明治2年)9月、高知藩が設立、27柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義6号:1869年(明治2年)8月、丹羽貫之介が設立、六角獄舎で刑死した4柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義7号:1871年(明治4年)4月改葬、天誅組および生野義挙殉難者37柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義8号:1868年(明治1年)7月、高知藩が設立、3柱(『官修墳墓録』)。坂本龍馬と中岡慎太郎と藤吉。
  • 唱義9号:1863年(文久3年)から1869年(明治2年)にかけて設立、8柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義14号:設立年不詳。3柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義15号:1基(1877年(明治10年)5月)を除いて設立年不詳。5柱(『官修墳墓録』)。
  • 唱義16号:1863年(文久3年)から1877年(明治10年)にかけてと1898年(明治31年)に設立。10柱(『官修墳墓録』)。

官修墳墓(唱義5号)

(『官修墳墓録』)

  • 天誅組:吉村寅太郎重郷:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
  • 天誅組:那須信吾重民:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
  • 天誅組:楠目清馬藤盛:1863年(文久3年)9月28日、多武峰で戦死。
  • 天誅組:森下幾馬茂時:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で自刃。
  • 天誅組:土居佐之助金英:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:森下儀之助茂忠:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 池田屋:石川潤次郎真義:高知藩。土佐勤王党。1864年(元治1年)6月5日、池田屋事件で新選組に殺害された。
  • 天誅組:鍋島米之助義復:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
  • 天誅組:池内蔵太定勝:高知藩郷士。土佐勤王党。天誅組に参加し、大阪山口藩邸に逃げ切る。禁門の変に参戦。坂本龍馬の亀山社中に加わり1866年(慶応2年)5月2日、塩屋沖で事故死。
  • 天誅組:田所騰次郎重道:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:嶋浪間義親:高知藩士。天誅組に参加。中山忠光と共に山口藩に逃げ切る。1865年(慶応1年)2月22日、美作国で自決。島浪間。
  • 天誅組:安岡斧太郎直行:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:安岡嘉助正定:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:沢村幸吉行敏:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:前田繁馬正種:1863年(文久3年)9月26日、大和初瀬で死去。
  • 天誅組:島村省吾正文:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:松本謙三郎□衡:1863年(文久3年)9月25日、鷲家口で戦死。
  • 天誅組:宍戸弥四郎昌明:1863年(文久3年)9月24日、鷲家口で戦死。
  • 天誅組:中垣健太郎幸雄:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:荒巻羊三郎真刀:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:江頭種八国足:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:酒井伝次郎重威:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天狗党:池尻嶽五郎岳:久留米藩士。天狗党の乱に参加。1864年(元治1年)11月20日、信濃国和田峠で殺害された。
  • 天誅組:鶴田陶司道徳:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:伴林六郎光平:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:井原応輔徳道:高知藩。土佐勤王党。天誅組には参加していないが、島浪間の配下となり1865年(慶応1年)2月22日、美作国で自決。
  • 牧岡二郎忠夫:枚岡(平岡)の誤記か。北畠治房(平岡武夫)の親族か。戊辰戦争に従軍。1868年(明治1年)12月17日死去。


官修墳墓(唱義7号)

(『官修墳墓録』)

  • 天誅組:安積五郎武貞:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:岡見留次郎経成:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:渋谷伊予作実行:1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:尾崎太郎孝基:鳥取藩士。尾崎健蔵。1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:尾崎鋳五郎靖:島原藩士。1864年(元治1年)2月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:岡見鉄蔵:高取藩士。1863年(文久3年)9月24日、鷲家口で死去。安田鉄造、山下佐吉。安田鉄吉。
  • 天誅組:尾仲要蔵:1863年(文久3年)9月23日、葛川村北手で死去。
  • 天誅組:林兵次郎:1863年(文久3年)9月24日、鷲家口の戦いで戦死。
  • 天誅組:関為之助:1863年(文久3年)9月26日、大和初瀬で死去。
  • 天誅組:和田左市信勝:1863年(文久3年)9月21日、十津川郷上湯川で死去。
  • 天誅組:深瀬繁理維正:十津川郷士。1863年(文久3年)9月25日、白川河原で処刑。
  • 天誅組:秦将蔵則久:1863年(文久3年)9月29日、長谷寺付近で死去。
  • 天誅組:山本実之助:高野山三宝院の役人。1863年(文久3年)9月、天誅組の挙兵に関わったとして捕縛され、京都に護送の途中に死去。沢田実之助。
  • 天誅組:古東領左衛門需:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:乾十郎嗣龍:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 英彦山:厳瑤坊亮親(佐竹織江):英彦山事件で捕縛。1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。(幕末維新京都史跡事典に大和義挙とあるのは誤りとみられる)
  • 英彦山:教観坊成連(藤山衛門):英彦山事件で捕縛。1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。(幕末維新京都史跡事典に大和義挙とあるのは誤りとみられる)
  • 天誅組:水郡善之助長雄:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:長野一郎寛道:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:保母健景光:1864年(元治1年)7月21日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:船田彦次郎貞光:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:辻郁之助単茂:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:田中樟之助祐信:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:森本伝兵衛勝定:1864年(元治1年)7月16日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:橋本若狭綱幸:1864年(元治1年)7月7日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:伊沢宜庵卓:医師。1865年(慶応1年)7月18日、六角獄舎で死去(28日とも)。
  • 生野義挙:横田友次郎靖之:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 生野義挙:大村辰之助包房:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 生野義挙:伊藤龍太郎祐之:水戸藩弘道館教授。1867年(慶応3年)11月18日、六角獄舎で死去。
  • 生野義挙:黒田与市郎重清:大庄屋。1866年(慶応2年)12月19日、獄中で死去。黒田与一郎。
  • 生野義挙:三牧謙助秀胤:1865年(慶応1年)1月、六角獄舎で死去。
  • 生野義挙:木村愛之助(片山九市春量):1864年(元治1年)7月19日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:鶴松:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 天誅組:常助:1864年(元治1年)7月20日、六角獄舎で刑死。
  • 元次郎:1863年(文久3年)8月18日死去。
  • 忠右衛門:1863年(文久3年)8月18日死去。
  • 朝七:没年月日不詳。

未分類

  • 霊山表忠碑
  • 木戸孝允碑
  • 木戸孝允墓
  • 坂本龍馬・中岡慎太郎墓
    • 「贈正四位坂本龍馬君忠魂碑」
    • 坂本・中岡像
    • 藤吉墓
  • 梅田雲浜墓
  • 丗七烈士碑
  • ラダ・ビノード・パール顕彰碑
  • 天誅組墓地
  • 大村益次郎墓
  • 山口藩墓所
  • 玉松碑
  • 小野碑
  • 松林廉之助碑
  • 品川弥二郎墓
  • 元治元年甲子七月十九日戦死者埋骨所
  • 村上都愷墓:霊明神社を創建。
  • 殉職自衛隊員之碑
  • 殉国勇士表忠碑
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