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鶴岡八幡宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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鶴岡八幡宮
つるがおか はちまんぐう
Tsurugaoka-hachiman-gu (14).jpg
概要 武家崇敬の代表的八幡宮。三大八幡宮の一社。
奉斎 応神天皇
(土岐昌訓論文)
所在地 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
所在地(旧国郡) 相模国鎌倉郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 相模国一宮相当朱印地拝領神社国幣中社別表神社
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目次

概要

鶴岡八幡宮関連旧跡も参照。

歴史

境内

組織

中世

鶴岡別当。南北朝時代以降、鑁阿寺樺崎寺を兼務。

  • 1円暁:園城寺の僧。天台宗。源頼朝の従兄弟。
  • 2尊暁(?-1209):円暁の弟。天台宗。正治2年別当就任。
  • 3定暁
  • 4公暁(1200-1219):天台宗。2代将軍源頼家の子。建保5年(1217)、別当就任。3代将軍源実朝を暗殺。
  • 5慶幸(?-1220):承久元年(1219)、別当就任。永福寺別当。
  • 6定豪(1152-1238):真言宗。承久2年(1220)、鶴岡別当就任。勝長寿院別当。
  • 7定雅
  • 8定親
  • 9隆弁(1208-1283):四条隆房の子。園城寺長吏。
  • 10頼助(1246-1296):執権北条経時の子。東大寺別当。東寺長者。
  • 11政助
  • 12道瑜
  • 13道珍
  • 14房海
  • 15信忠
  • 16顕弁
  • 17有助
  • 18覚助
  • 19頼仲
  • 20弘賢(1326-1410):真言宗。文和4年、鶴岡別当就任。走湯山別当。越後国分寺を兼務。
  • 21尊賢(1345-1416):真言宗。全仁親王の王子。応永17年、鶴岡別当。22年、走湯山別当。
  • 22快尊(1393-1417):上杉氏憲の子。クーデターに失敗して父と共に自坊宝性院で自害。
  • 23尊運
  • 24尊仲
  • 25弘尊
  • 26定尊

(『鶴岡八幡宮寺社務職次第』)

近代

  • 総神主
    • 筥崎博尹:<1868/2月->
  • 祠官
    • 相良亮太():<1872/6/27->:のち再び出家。
    • 筥崎博尹:<1872/6/27-1882/10/11>
  • 宮司
    • 筥崎博尹(1829/4/1-1897/2/24):<1882/10/11->肥前出身。最初華頂宮家の侍医。明治2年、鶴岡八幡宮総神主。明治15年、宮司。江島神社祠官を兼ねた。
    • 留守永秀():<1897/4/10->
    • 速水重敬():<-1899/4/29>
    • 柴崎宣弘(-1912/3/19):<1899/4/29-1902/7/5>73歳。
    • 丹羽与三郎(-1916/5/9):<1902/7/5-1916/5/9>76歳。
    • 吉田豊(1871/1月-1922/1/24):<1916/5/30-1917>。福岡県出身の神職。(略歴は、大和神社#組織を参照)
    • 副島知一():<-1921/12/28>
    • 上井栄雄(-1924/5/12):<1921/12/28-1924/3/12>73歳。
    • 秋岡保治(1886-1971/3/7):<1924/3/12-1928/5/9>84歳。
    • 氷室昭長(-1936):<1928/5/9->
    • 中島正国(-1954/3/20):<-1937/12/1>。58歳。
    • 座田司氏():<1937/12/1-終戦>


権宮司は戦後の昭和21年5月31日に初めて設置。

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%B6%B4%E5%B2%A1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE」より作成

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