ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

真宗大谷派姫路船場別院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年3月14日 (日)

船場本徳寺から転送)
移動: 案内, 検索

真宗大谷派姫路船場別院(しんしゅうおおたには・ひめじせんば・べついん)は、兵庫県姫路市にある真宗大谷派別院。寺号は本徳寺船場御坊姫路御坊船場本徳寺。別格別院だった(大谷派寺院録)。(参考:同名寺院本徳寺御山廟所がある。

目次

歴史

蓮如創建の坊舎が起源とされる。本願寺の東西分立のとき、本徳寺住職代務となっていた住職夫人の顕妙尼(証如の娘)は、東本願寺に付くことを希望したが、姫路藩主池田輝政が領内の末寺は全て西本願寺に付くように命じたため、本徳寺は西派の寺院となり(亀山・本徳寺)、東派の拠点は失われた。

池田家が転封し、東派門徒で教如とも親しかった本多忠政が姫路藩主となると、元和4年(1618)、忠政は寺地を寄進し東本願寺末の本徳寺創建を許可した。寛文3年(1663)船場御坊となり、享保3年(1718)に現在の本堂を再建した。平成20年(2008)、神戸別院を合併した。近年まで連枝が住職に就任した全国でも珍しい別院という。

組織

歴代

  • 5教珍(?-1657)<-1618-?>:寿継。1618年住職。顕浄院。大和郡山に隠居。1657年死去。
  • 6宣純(?-1663)<>:従継。宣澄とも。教珍の子。1663年死去。浄沢院。
  • 7琢玄(?-1709)<1663-1787>:瑛白。東本願寺14世琢如の子。1663年住職。1683年越前本瑞寺を兼務。演慈院。1709年死去。
  • 8一玄(?-1728)<1687-1723>:海澄。東本願寺一如の子。1687年住職。越中善徳寺住職を兼務。1718年本堂再建。1723年隠居。1728年死去。聞光院。
  • 9真純()<>:欣浄院。一玄の子。早世。
  • 10真澄()<>:一玄の子。早世。恩重院。
  • 11敬証(?-1775)<>:真澄の内室。大通寺出身。誓好院。1775年死去。
  • 12乗証()<>:
  • 13
  • 14
  • 15達相(?-1859)<>:超勝院。1859年死去。
  • 16達威(?-1904)<>:大谷達子。達相の内室。1904年死去。達如の娘。真香院。
  • 17厳継(1854-1924)<>:大谷勝珍。達相と達威の子。1854年生。幼名は亀丸。1924年死去。顕明院。
  • 18栄心()<>:大信寺大谷勝尊の子。


  • 大谷暢心(?-2008)<?-2008>:2008年12月28日死去。78歳。
  • 大谷昭仁()<>:流通科学大学教授。


  • 一応(1684-1756)<1738->:長浜大通寺4世。超絶院。東本願寺16世一如の五男。海徳。
  • 真央(1721-1791)<>:長浜大通寺5世。一応の子。横超院。性徳。含山と号す。

参考文献

  • 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%B4%BE%E5%A7%AB%E8%B7%AF%E8%88%B9%E5%A0%B4%E5%88%A5%E9%99%A2」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール