ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

鹿児島藩の官祭招魂社と官修墳墓

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年6月8日 (土)

移動: 案内, 検索

鹿児島藩の官祭招魂社官修墳墓

目次

歴史

  • 1868年(明治1年):鹿児島藩主島津忠義、靖献霊社を創建。
  • 1869年(明治2年)5月:京都の東福寺即宗院内に鹿児島藩招魂社(石碑のみ)を建立。
  • 1875年(明治8年)4月24日:官祭招魂社・官修墳墓制度、始まる(ただし「官祭招魂社」「官修墳墓」の呼称はまだない)。招魂社・墳墓について、官費支給の旨通達。
  • 1877年(明治10年):西南戦争
  • 1882年(明治15年):鹿児島県、各地の私祭招魂社を官祭とすることを内務省に上申[1]
  • 1883年(明治16年)10月30日:県内10社が官祭招魂社となる[2]。合計11社。
  • その後、5社が官祭招魂社に追加[3]。合計16社。
  • 1901年(明治34年)6月14日:官祭招魂社制度・官修墳墓制度が本格的に制定。招魂社・墳墓の官・私の区別を明示させる。
  • 1913年(大正2年)11月28日:従来の社名を改め、地名を付して「官祭鹿児島招魂社」などと呼称することを定める[4]
  • 1939年(昭和14年)4月:指定護国神社制度施行。

鹿児島県内

県外

資料

  • 「戊辰己巳殉難姓名録」:鹿児島県編纂。『鹿児島県史料集』[5]
  • 「薩摩藩兵手負戦死者人数控」:[6]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6%E8%97%A9%E3%81%AE%E5%AE%98%E7%A5%AD%E6%8B%9B%E9%AD%82%E7%A4%BE%E3%81%A8%E5%AE%98%E4%BF%AE%E5%A2%B3%E5%A2%93」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール