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神田神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年4月19日 (金)
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- | '''神田神社''' | + | [[ファイル:神田神社004・楼門.jpg|thumb|500px|]] |
+ | '''神田神社'''(かんだ・じんじゃ)は、東京都千代田区外神田にある神社。[[平将門信仰]]の総本社でもある。祭神は[[大己貴命]]・[[少彦名命]]・平将門。[[准勅祭社]]。[[府社]]。[[別表神社]]。別当は[[時宗]][[江戸・日輪寺|日輪寺]]だった。'''神田明神'''。(参考:同名神社[[神田神社 (同名)]]) | ||
==歴史== | ==歴史== | ||
+ | [[ファイル:47D702B5-D771-4A14-AFEA-C93F3E8F4EB9.jpeg|thumb|400px|大手町にある平将門首塚]] | ||
+ | [[ファイル:D50DD9B3-8815-4363-A88E-B03A1C10262A.jpeg|thumb|400px|浅草に移転した現在の日輪寺]] | ||
+ | *730年:芝崎(千代田区大手町)に大己貴命が鎮座。 | ||
+ | *1305年:[[他阿真教]]、[[平将門首塚]]を弔い、日輪寺を創建。 | ||
+ | *1309年:平将門を祀る(神社ウェブサイト) | ||
+ | *1590年:日輪寺が白銀町に移転。 | ||
+ | *1591年11月:[[徳川家康]]、30石寄進 | ||
+ | *1600年:関ケ原合戦に際して祈祷 | ||
+ | *1603年:駿河台に遷座 | ||
+ | *1603年7月:禰宜の平勝遠が[[芝神明宮]]の禰宜と共に上京して、[[吉田家]]から神道裁許状を受けた。 | ||
+ | *1616年4月:現在地に遷座 | ||
+ | *1617年:社殿竣工 | ||
+ | *1617年:朱印地30石改めて寄進 | ||
+ | *1657年:明暦の大火で焼失。 | ||
+ | *1658年:徳川綱吉が再建。1661年とも。 | ||
+ | *1681年:神田祭と[[日枝神社]]山王祭は隔年交代で祭礼を行うこととする | ||
+ | *1682年:お七火事で焼失 | ||
+ | *1683年:再建 | ||
+ | *1713年:祭礼は神田神社、日枝神社、[[根津神社]]の3社の交代となる | ||
+ | *1718年:祭礼は神田神社と日枝神社の2社交代に戻る | ||
+ | *1735年:一橋[[徳川家]]創立。屋敷が旧鎮座地であることから一橋邸内での奉幣が始まる | ||
+ | *1872年:[[府社]]に列格 | ||
+ | *1874年:平将門を主祭神から外して境内の祠に奉遷。8月、[[大洗磯前神社]]から少彦名命を勧請した。 | ||
+ | *1874年9月19日:[[明治天皇]]参拝。 | ||
+ | *1878年:境内に[[将門神社]]を創建 | ||
+ | *1878年12月1日:境内に出雲大社教会を開設(現在の[[出雲大社東京分祠]]の起源) | ||
+ | *1923年:関東大震災で焼失 | ||
+ | *1934年5月7日:再建。コンクリート造りの神社建築では最初期の事例。 | ||
+ | *1945年3月:東京大空襲で社殿以外を焼失。 | ||
+ | *1976年:隋神門再建 | ||
+ | *1984年:平将門が本殿祭神に復帰 | ||
+ | |||
+ | ==境内・関連旧跡== | ||
+ | |||
+ | *本社:1934年(昭和9年)再建。 | ||
+ | *[[将門神社]]:祭神は[[平将門]]。摂社。本社祭神から外され、1874年(明治7年)から1984年(昭和59年)まで存在した。 | ||
+ | *祭祀殿:年祭を行う | ||
+ | *奥御殿: | ||
+ | *末広稲荷神社:祭神は[[宇迦之御魂神]]。創建不詳。1616年(元和2年)には存在していた。1966年(昭和41年)2月に再建。 | ||
+ | *金刀比羅神社:祭神は[[大物主命]]・[[金山彦命]]・[[天御中主命]]。1783年(天明3年)薬研堀に創建。隅田川を往来する船人たちの守護神とされた。1873年(明治6年)7月に村社に列格。1966年(昭和41年)10月、神田神社境内に遷座し、三宿稲荷神社と合殿となった。 | ||
+ | *三宿稲荷神社:祭神は宇迦之御魂神。創建不詳。神田三河町にあった。神主柴崎邸内の内山稲荷と合祀されて神田神社の末社となった。1966年(昭和41年)10月再建し金刀比羅神社と合殿となった。 | ||
+ | *浦安稲荷神社:祭神は宇迦之御魂神。平川河口の漁村の住民が創建。天正年間、鎌倉町の守護神として勧請され、1797年(寛政9年)社殿を造営。1843年(天保14年)8月、神田神社境内に遷座。明治以後、内神田にあった稲荷社5社を合祀した。 | ||
+ | *江戸神社:祭神は[[建速須佐之男命]]。702年(大宝2年)江戸の地、[[江戸城]]内に創建。鎌倉時代には江戸氏の氏神と崇敬され、[[太田道灌]]、[[上杉家]]、[[北条家]]らに崇敬された。1603年(慶長8年)江戸城拡張により神田神社とともに神田駿河台に遷座。1616年(元和2年)に現在地に遷座した。神田市場の守護神として崇敬された。江戸大明神、江戸の天王、牛頭天王と呼ばれた。1868年(明治1年)須賀神社と改称。1885年(明治18年)江戸神社と改称した。1989年(平成1年)神田市場の大田区東海への移転を機に大神輿を神座として社殿を再建した。三天王の一の宮。 | ||
+ | *大伝馬町八雲神社:祭神は建速須佐之男命。江戸時代以前から祀られていたという。大伝馬町天王。三天王の二の宮。 | ||
+ | *小舟町八雲神社:祭神は建速須佐之男命。もとは江戸城内の現在の吹上御苑のあたりにあったという。三天王の三の宮。 | ||
+ | *魚河岸水神社:祭神は[[弥都波能売命]]。日本橋魚河岸水神社。[[徳川家]]の武運長久と大漁安全を祈願して旧地の神田神社境内に創建。元和年間に神田神社とともに現在地に遷座。大市場交易神と称された。1891年(明治24年)魚河岸水神社と改称。日本橋魚市場の守護神として崇敬されている。 | ||
+ | *合祀殿:2012年(平成24年)建立。 | ||
+ | *籠祖神社:祭神は[[猿田彦神]]・[[塩土老翁神]]。1795年(寛政7年)5月、亀井組の籠職人やつづら職人が祖神として神田神社境内に創建。合祀殿に合祀。 | ||
+ | *八幡神社:祭神は[[誉田別命]]。合祀殿に合祀。 | ||
+ | *富士神社:祭神は[[木花咲耶姫命]]。合祀殿に合祀。 | ||
+ | *天神社:祭神は[[菅原道真命]]・[[柿本人麻呂命]]。合祀殿に合祀。 | ||
+ | *大鳥神社:祭神は[[日本武尊]]。合祀殿に合祀。 | ||
+ | *天祖神社:祭神は[[天照大御神]]。合祀殿に合祀。 | ||
+ | *諏訪神社:祭神は[[建御名方神]]。合祀殿に合祀。 | ||
+ | *祖霊社:2004年(平成16年)創建。[[祖霊社]] | ||
+ | *随神門:1975年(昭和50年)建立。 | ||
+ | *神楽殿: | ||
+ | *一の宮二の宮奉安殿: | ||
+ | *三の宮奉安殿: | ||
+ | *[[平将門首塚]]:東京都千代田区大手町。 | ||
+ | *[[江戸・日輪寺]]:東京都台東区西浅草。[[時宗]]。元は[[時宗の本山寺院|時宗の檀林寺院]]、[[江戸触頭]]。芝崎道場。 | ||
== 組織 == | == 組織 == | ||
- | + | 江戸時代までは神主職は社家芝崎家が世襲した。「江戸廻り神職支配」を務め、江戸の神社界の中心的地位にあった。芝崎家の他、神職には木村家、甫喜山家、月岡家、小林家があり、巫女の森田家があった。 | |
- | * | + | *1931『神田明神誌』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1170787/1/62] |
- | * | + | *羽倉敬尚1968「神田明神神主芝崎氏家系」[https://dl.ndl.go.jp/pid/2274574/1/23] |
- | + | ===神主職=== | |
- | === | + | *1:芝崎某:芝崎家の祖。神職ではない。略歴不詳。式部少輔。1498年死去。 |
- | * | + | *2:芝崎某:元は小田原北条氏の家臣。下総国に500石の知行を持っていた。後に江戸に出て神田神社の神職となる。越後守。日枝神社神主を兼務。以後、「江戸廻り神職支配」を務めた。1537年死去。 |
+ | *3:芝崎某:兵庫頭。日枝神社神主を兼務。 | ||
+ | *4:芝崎氏連:越後守。日枝神社神主を兼務。 | ||
+ | *5:芝崎某:宮内大輔。日枝神社神主を兼務。 | ||
+ | *6:芝崎勝吉:宮内大輔 | ||
+ | *7:芝崎吉勝:宮内少輔 | ||
+ | *8:芝崎吉連:宮内少輔。白水霊神。 | ||
+ | *9:芝崎好高(1667-1733):国学者。荷田春満の江戸での最初の弟子。1733年4月29日死去。67歳。初名は好安。宮内少輔。深井霊神。 | ||
+ | *10:芝崎好寛:大蔵大輔。杜木霊神。 | ||
+ | *11:芝崎好全:豊後守。浪穂霊神。 | ||
+ | *12:芝崎好皓:美作守 | ||
+ | *13:芝崎好承:豊後守 | ||
+ | *14:芝崎好善:大隅守 | ||
+ | *15:芝崎好定:従五位。明治初年、神職を辞す。1895年死去。 | ||
+ | *16:芝崎音方: | ||
+ | |||
===宮司=== | ===宮司=== | ||
- | *大鳥居吾朗()<1946-1982> | + | 職名は祠官、社司と変わり、宮司になったのは戦後。 |
- | *大鳥居信史(1939-)<1987-2019> | + | *1神代名臣()<1872-1872>:1872年(明治5年)5月8日就任。 |
+ | *2大崎昌庸()<1872-1873>:1872年(明治5年)6月24日就任。1873年(明治6年)7月25日退任。 | ||
+ | *3本居豊穎(1834-1913)<1873->:[[国学者]]。[[本居家]]当主。(略歴は、[[平野神社#組織]]を参照) | ||
+ | *4平田盛胤(1863-1946)<1894->:[[平田篤胤]]の曾孫。初名は戸沢盛定。[[東京帝国大学]]卒。1894年(明治27年)神田神社社司。東京府神職会会長。1946年(昭和21年)死去。1945年(昭和20年)2月28日死去とも。(略歴は、[[平田家#歴代]]を参照) | ||
+ | *大鳥居吾朗()<1946-1982>:[[神社本庁]]長老。1905年(明治38年)生。1929年(昭和4年)[[日本大学]]法文学部卒。同年[[亀戸天神社]]に奉職。1930年(昭和5年)神田神社に奉職。1940年(昭和15年)神田神社社掌。1946年(昭和21年)6月、神田神社宮司。1971年(昭和46年)亀戸天神社宮司を兼務。1965年(昭和40年)4月から1977年(昭和52年)3月まで東京都神社庁長。1981年(昭和56年)神社本庁長老。1982年(昭和57年)12月26日死去。 | ||
+ | *今永利男()<>:東京都出身。1918年(大正7年)生。1943年(昭和18年)[[皇典講究所]]神職養成部卒。同年、秋葉神社社司(宮司)。1947年(昭和22年)神田神社権禰宜。1960年(昭和35年)神田神社禰宜。1980年(昭和55年)神田神社権宮司。1983年(昭和58年)2月8日、神田神社宮司。1987年(昭和62年)5月20日死去。 | ||
+ | *大鳥居信史(1939-)<1987-2019>:大鳥居吾朗の長男。1939年(昭和14年)生。1962年(昭和37年)[[国学院大学]]文学部卒。1963年(昭和38年)[[明治神宮]]出仕。1964年(昭和39年)1月、神田神社権禰宜。1971年(昭和46年)立石熊野神社宮司。1980年(昭和55年)神田神社禰宜。1983年(昭和58年)神田神社権宮司。1987年(昭和62年)6月8日、神田神社宮司。2019年(令和1年)4月30日退任。 | ||
*清水祥彦(1960-)<2019->:東京都出身。1960年(昭和35年)生。国学院大学卒。東京都神社庁副庁長。神田神社権宮司。2019年(令和1年)5月1日、神田神社宮司。 | *清水祥彦(1960-)<2019->:東京都出身。1960年(昭和35年)生。国学院大学卒。東京都神社庁副庁長。神田神社権宮司。2019年(令和1年)5月1日、神田神社宮司。 | ||
===権宮司=== | ===権宮司=== | ||
+ | *石橋堅吉()<>:1960年(昭和35年)神田神社権宮司。 | ||
+ | *今永利男()<>:1980年(昭和55年)神田神社権宮司。 | ||
+ | *大鳥居信史()<>:1983年(昭和58年)神田神社権宮司。 | ||
==画像== | ==画像== | ||
- | <Gallery> | + | <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> |
- | ファイル:27730448-DEF6-44DE-8925-EE8077E3DFB9.jpeg | + | file:神田神社001・鳥居.jpg|鳥居 |
- | ファイル:AB3F44E4-E916-46A8-93B0-C65934027059.jpeg | + | file:神田神社003・鳥居.jpg|鳥居 |
- | ファイル:1940D330-2AAD-40C6-9D3E-15EF17836ADA.jpeg | + | file:神田神社004・楼門.jpg|楼門 |
+ | file:神田神社005・扁額.jpg|扁額 | ||
+ | file:神田神社006・楼門.jpg|楼門 | ||
+ | file:神田神社007・楼門.jpg|楼門 | ||
+ | file:神田神社008・大国様像.jpg|大国様像 | ||
+ | file:神田神社009・拝殿.jpg|拝殿 | ||
+ | file:神田神社010・拝殿.jpg|拝殿 | ||
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+ | file:神田神社013・魚河岸水神社.jpg|魚河岸水神社 | ||
+ | file:神田神社015・小舟町八雲神社.jpg|小舟町八雲神社 | ||
+ | file:神田神社017・小舟町八雲神社.jpg|小舟町八雲神社 | ||
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+ | file:神田神社020・大伝馬町八雲神社.jpg|大伝馬町八雲神社 | ||
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+ | file:神田神社023・大伝馬町八雲神社.jpg|大伝馬町八雲神社 | ||
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+ | file:神田神社026・浦安稲荷神社.jpg|浦安稲荷神社 | ||
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+ | file:神田神社034・籠祖神社.jpg|籠祖神社 | ||
+ | file:神田神社035・籠祖神社.jpg|籠祖神社 | ||
+ | file:神田神社036・小祠.jpg|小祠 | ||
+ | file:神田神社037・国学発祥の碑.jpg|国学発祥の碑 | ||
+ | file:神田神社038・石獅子.jpg|石獅子 | ||
+ | ファイル:27730448-DEF6-44DE-8925-EE8077E3DFB9.jpeg|(国土地理院空中写真より) | ||
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+ | ファイル:1940D330-2AAD-40C6-9D3E-15EF17836ADA.jpeg|(国土地理院空中写真より) | ||
+ | ファイル:本郷湯島絵図・湯島.jpg | ||
+ | ファイル:本郷湯島絵図・湯島聖堂.jpg | ||
</Gallery> | </Gallery> | ||
+ | |||
==資料== | ==資料== | ||
+ | *『寺社書上』「神田明神社」[https://dl.ndl.go.jp/pid/2571426/1/3] | ||
*本居豊穎1892『神田神社由緒略記』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815230]:短い | *本居豊穎1892『神田神社由緒略記』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815230]:短い | ||
+ | *1907『平将門故蹟考』[https://dl.ndl.go.jp/pid/781600] | ||
+ | *1931『神田明神誌』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1170787] | ||
+ | *1935『神田文化史』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1232538] | ||
+ | *1935『湯島一丁目と附近の今昔誌』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1237182] | ||
+ | *三輪善之助1935「神田明神雑記」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1877101/1/34] | ||
+ | *服部清五郎1935「神田明神と将門」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1877101/1/96] | ||
+ | *1937『平将門及其時代』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1256237] | ||
+ | *1976『史蹟将門塚の記』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9642579] | ||
+ | *1979「神田明神祭神問題」[https://dl.ndl.go.jp/pid/9641764/1/287] | ||
+ | *1980「神田明神の創祀と平将門公奉斎の問題」[https://dl.ndl.go.jp/pid/3365529/1/156] | ||
+ | *1992『神田明神史考』 | ||
[[Category:東京都]] | [[Category:東京都]] |
2024年4月19日 (金) 時点における最新版
神田神社(かんだ・じんじゃ)は、東京都千代田区外神田にある神社。平将門信仰の総本社でもある。祭神は大己貴命・少彦名命・平将門。准勅祭社。府社。別表神社。別当は時宗日輪寺だった。神田明神。(参考:同名神社神田神社 (同名))
目次 |
歴史
- 730年:芝崎(千代田区大手町)に大己貴命が鎮座。
- 1305年:他阿真教、平将門首塚を弔い、日輪寺を創建。
- 1309年:平将門を祀る(神社ウェブサイト)
- 1590年:日輪寺が白銀町に移転。
- 1591年11月:徳川家康、30石寄進
- 1600年:関ケ原合戦に際して祈祷
- 1603年:駿河台に遷座
- 1603年7月:禰宜の平勝遠が芝神明宮の禰宜と共に上京して、吉田家から神道裁許状を受けた。
- 1616年4月:現在地に遷座
- 1617年:社殿竣工
- 1617年:朱印地30石改めて寄進
- 1657年:明暦の大火で焼失。
- 1658年:徳川綱吉が再建。1661年とも。
- 1681年:神田祭と日枝神社山王祭は隔年交代で祭礼を行うこととする
- 1682年:お七火事で焼失
- 1683年:再建
- 1713年:祭礼は神田神社、日枝神社、根津神社の3社の交代となる
- 1718年:祭礼は神田神社と日枝神社の2社交代に戻る
- 1735年:一橋徳川家創立。屋敷が旧鎮座地であることから一橋邸内での奉幣が始まる
- 1872年:府社に列格
- 1874年:平将門を主祭神から外して境内の祠に奉遷。8月、大洗磯前神社から少彦名命を勧請した。
- 1874年9月19日:明治天皇参拝。
- 1878年:境内に将門神社を創建
- 1878年12月1日:境内に出雲大社教会を開設(現在の出雲大社東京分祠の起源)
- 1923年:関東大震災で焼失
- 1934年5月7日:再建。コンクリート造りの神社建築では最初期の事例。
- 1945年3月:東京大空襲で社殿以外を焼失。
- 1976年:隋神門再建
- 1984年:平将門が本殿祭神に復帰
境内・関連旧跡
- 本社:1934年(昭和9年)再建。
- 将門神社:祭神は平将門。摂社。本社祭神から外され、1874年(明治7年)から1984年(昭和59年)まで存在した。
- 祭祀殿:年祭を行う
- 奥御殿:
- 末広稲荷神社:祭神は宇迦之御魂神。創建不詳。1616年(元和2年)には存在していた。1966年(昭和41年)2月に再建。
- 金刀比羅神社:祭神は大物主命・金山彦命・天御中主命。1783年(天明3年)薬研堀に創建。隅田川を往来する船人たちの守護神とされた。1873年(明治6年)7月に村社に列格。1966年(昭和41年)10月、神田神社境内に遷座し、三宿稲荷神社と合殿となった。
- 三宿稲荷神社:祭神は宇迦之御魂神。創建不詳。神田三河町にあった。神主柴崎邸内の内山稲荷と合祀されて神田神社の末社となった。1966年(昭和41年)10月再建し金刀比羅神社と合殿となった。
- 浦安稲荷神社:祭神は宇迦之御魂神。平川河口の漁村の住民が創建。天正年間、鎌倉町の守護神として勧請され、1797年(寛政9年)社殿を造営。1843年(天保14年)8月、神田神社境内に遷座。明治以後、内神田にあった稲荷社5社を合祀した。
- 江戸神社:祭神は建速須佐之男命。702年(大宝2年)江戸の地、江戸城内に創建。鎌倉時代には江戸氏の氏神と崇敬され、太田道灌、上杉家、北条家らに崇敬された。1603年(慶長8年)江戸城拡張により神田神社とともに神田駿河台に遷座。1616年(元和2年)に現在地に遷座した。神田市場の守護神として崇敬された。江戸大明神、江戸の天王、牛頭天王と呼ばれた。1868年(明治1年)須賀神社と改称。1885年(明治18年)江戸神社と改称した。1989年(平成1年)神田市場の大田区東海への移転を機に大神輿を神座として社殿を再建した。三天王の一の宮。
- 大伝馬町八雲神社:祭神は建速須佐之男命。江戸時代以前から祀られていたという。大伝馬町天王。三天王の二の宮。
- 小舟町八雲神社:祭神は建速須佐之男命。もとは江戸城内の現在の吹上御苑のあたりにあったという。三天王の三の宮。
- 魚河岸水神社:祭神は弥都波能売命。日本橋魚河岸水神社。徳川家の武運長久と大漁安全を祈願して旧地の神田神社境内に創建。元和年間に神田神社とともに現在地に遷座。大市場交易神と称された。1891年(明治24年)魚河岸水神社と改称。日本橋魚市場の守護神として崇敬されている。
- 合祀殿:2012年(平成24年)建立。
- 籠祖神社:祭神は猿田彦神・塩土老翁神。1795年(寛政7年)5月、亀井組の籠職人やつづら職人が祖神として神田神社境内に創建。合祀殿に合祀。
- 八幡神社:祭神は誉田別命。合祀殿に合祀。
- 富士神社:祭神は木花咲耶姫命。合祀殿に合祀。
- 天神社:祭神は菅原道真命・柿本人麻呂命。合祀殿に合祀。
- 大鳥神社:祭神は日本武尊。合祀殿に合祀。
- 天祖神社:祭神は天照大御神。合祀殿に合祀。
- 諏訪神社:祭神は建御名方神。合祀殿に合祀。
- 祖霊社:2004年(平成16年)創建。祖霊社
- 随神門:1975年(昭和50年)建立。
- 神楽殿:
- 一の宮二の宮奉安殿:
- 三の宮奉安殿:
- 平将門首塚:東京都千代田区大手町。
- 江戸・日輪寺:東京都台東区西浅草。時宗。元は時宗の檀林寺院、江戸触頭。芝崎道場。
組織
江戸時代までは神主職は社家芝崎家が世襲した。「江戸廻り神職支配」を務め、江戸の神社界の中心的地位にあった。芝崎家の他、神職には木村家、甫喜山家、月岡家、小林家があり、巫女の森田家があった。
神主職
- 1:芝崎某:芝崎家の祖。神職ではない。略歴不詳。式部少輔。1498年死去。
- 2:芝崎某:元は小田原北条氏の家臣。下総国に500石の知行を持っていた。後に江戸に出て神田神社の神職となる。越後守。日枝神社神主を兼務。以後、「江戸廻り神職支配」を務めた。1537年死去。
- 3:芝崎某:兵庫頭。日枝神社神主を兼務。
- 4:芝崎氏連:越後守。日枝神社神主を兼務。
- 5:芝崎某:宮内大輔。日枝神社神主を兼務。
- 6:芝崎勝吉:宮内大輔
- 7:芝崎吉勝:宮内少輔
- 8:芝崎吉連:宮内少輔。白水霊神。
- 9:芝崎好高(1667-1733):国学者。荷田春満の江戸での最初の弟子。1733年4月29日死去。67歳。初名は好安。宮内少輔。深井霊神。
- 10:芝崎好寛:大蔵大輔。杜木霊神。
- 11:芝崎好全:豊後守。浪穂霊神。
- 12:芝崎好皓:美作守
- 13:芝崎好承:豊後守
- 14:芝崎好善:大隅守
- 15:芝崎好定:従五位。明治初年、神職を辞す。1895年死去。
- 16:芝崎音方:
宮司
職名は祠官、社司と変わり、宮司になったのは戦後。
- 1神代名臣()<1872-1872>:1872年(明治5年)5月8日就任。
- 2大崎昌庸()<1872-1873>:1872年(明治5年)6月24日就任。1873年(明治6年)7月25日退任。
- 3本居豊穎(1834-1913)<1873->:国学者。本居家当主。(略歴は、平野神社#組織を参照)
- 4平田盛胤(1863-1946)<1894->:平田篤胤の曾孫。初名は戸沢盛定。東京帝国大学卒。1894年(明治27年)神田神社社司。東京府神職会会長。1946年(昭和21年)死去。1945年(昭和20年)2月28日死去とも。(略歴は、平田家#歴代を参照)
- 大鳥居吾朗()<1946-1982>:神社本庁長老。1905年(明治38年)生。1929年(昭和4年)日本大学法文学部卒。同年亀戸天神社に奉職。1930年(昭和5年)神田神社に奉職。1940年(昭和15年)神田神社社掌。1946年(昭和21年)6月、神田神社宮司。1971年(昭和46年)亀戸天神社宮司を兼務。1965年(昭和40年)4月から1977年(昭和52年)3月まで東京都神社庁長。1981年(昭和56年)神社本庁長老。1982年(昭和57年)12月26日死去。
- 今永利男()<>:東京都出身。1918年(大正7年)生。1943年(昭和18年)皇典講究所神職養成部卒。同年、秋葉神社社司(宮司)。1947年(昭和22年)神田神社権禰宜。1960年(昭和35年)神田神社禰宜。1980年(昭和55年)神田神社権宮司。1983年(昭和58年)2月8日、神田神社宮司。1987年(昭和62年)5月20日死去。
- 大鳥居信史(1939-)<1987-2019>:大鳥居吾朗の長男。1939年(昭和14年)生。1962年(昭和37年)国学院大学文学部卒。1963年(昭和38年)明治神宮出仕。1964年(昭和39年)1月、神田神社権禰宜。1971年(昭和46年)立石熊野神社宮司。1980年(昭和55年)神田神社禰宜。1983年(昭和58年)神田神社権宮司。1987年(昭和62年)6月8日、神田神社宮司。2019年(令和1年)4月30日退任。
- 清水祥彦(1960-)<2019->:東京都出身。1960年(昭和35年)生。国学院大学卒。東京都神社庁副庁長。神田神社権宮司。2019年(令和1年)5月1日、神田神社宮司。
権宮司
- 石橋堅吉()<>:1960年(昭和35年)神田神社権宮司。
- 今永利男()<>:1980年(昭和55年)神田神社権宮司。
- 大鳥居信史()<>:1983年(昭和58年)神田神社権宮司。