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仏光寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2017年5月1日 (月) 時点における版
仏光寺(ぶっこうじ)は、京都府京都市にある浄土真宗の本山寺院。独立する前は妙法院門跡を本山とした。真宗仏光寺派の別院寺院も参照。(参考:同名寺院仏光寺_(同名))
目次 |
歴史
荒木門徒、麻布門徒の系統を継ぐ了源が鎌倉から京都を訪れ、正中元年(1324)頃に山科に創建。興正寺と称した。伝説では親鸞が関東布教に行く前に京都に戻った時に山科に建て、了源はそれを復興したとするが、史実とは言いがたい。嘉暦3年(1328)頃、京都渋谷(汁谷)(現在の京都国立博物館の辺り)に移転し、仏光寺と称した(渋谷仏光寺)。すぐそばの妙法院門跡の庇護下に入る。応仁2年8月、兵乱で焼亡。やもなく13世光教は摂津平野に移る。文明14年(1482)、仏光寺14世経豪(蓮教)が仏光寺を捨て多くの末寺と共に蓮如に帰参して山科に新寺京都・興正寺を創建したことから大きく勢力を削がれた。仏光寺には元々、塔頭48坊があったが、42坊が経豪に随従したと伝わる。仏光寺に残ったのが六坊(六院)と呼ばれる6カ寺である。天正14年(1586)、豊臣秀吉の方広寺大仏殿建立のために寺地を提供。現在地に移転した。
本願寺などに先立ち、寛正6年(1465)、後土御門天皇が門跡としたというが(図録)、不詳。
伽藍と塔頭
六院
六坊ともいう。元来、仏光寺には48の坊があったが、興正寺が42坊と共に独立したため六坊が残されたと伝える。六坊(六院)は教団内で大きな力を持っている。
塔頭
- 明顕寺
- 常行寺
- 大行寺:仏光寺学頭に任命された信暁が創建。
- 高林庵
- 等覚寺:了源を殺害した山田八郎が悔悟帰依して創建。現存しない。
- 照流寺:了源を殺害した田中兵衛が悔悟帰依して創建。現存しない。
末寺
- 西徳寺:東京都台東区。江戸触頭。院家(東都歳事記)。
- 西雲寺:福井県福井市。正徳4年(1714)に院家。『日本歴史地名大系』。連枝?
- 妙楽寺:滋賀県東近江市。了源門下の了念が創建。仏光寺と「同格別殿」とされたという。江戸時代、寺格を巡り、本山と対立。西本願寺に転属し、その院家となった。
- 証海寺:福井県越前市村国。善応と相続争いで負けた証誠寺15世の善養が仏光寺派に転属して創建。廃絶。
- 光源寺:大阪府大阪市平野区。平野は仏光寺教団の拠点だった。
- 専光寺:福井県越前町上戸。専照寺の一老だったが、仏光寺末に転じる。その後、西雲寺と対立して西本願寺末となる。
- 法雲寺:福井県小浜市。熊坂・専修寺の後身。最初、仏光寺末だったが、西雲寺と対立して東本願寺末となる。
- 仏照寺:大阪府茨木市。元は仏光寺末だったが、西本願寺末となった。
- 了源寺:三重県伊賀市。
- 美馬・安楽寺:徳島県美馬市。四国最大の浄土真宗寺院。仏光寺末から興正寺末を経て西本願寺末となる。
組織
歴代住職
- 1:親鸞(1173-1262):浄土真宗の開祖。寺伝では仏光寺は親鸞が建てた草庵を起源とする。
- 2:真仏(1209-1258):高田門徒の開祖。親鸞の弟子。
- 3:源海(光信)(1164-1253):荒木門徒の開祖。
- 4:了海(願明)(1239-1319、異説多し):麻布門徒の開祖。伝記は諸説ある。源海の弟子。麻布善福寺を創建。著書に『還相回向聞書』『他力信心聞書』。
- 5:誓海(願念)(生没年不詳):麻布門徒。鎌倉甘縄の出身。麻布善福寺2世。戸塚・永勝寺にも住す。
- 6:明光(了延)(生没年不詳):麻布門徒。鎌倉の出身。源頼朝の甥で藤原氏。鎌倉最宝寺や備後光照寺を創建。了円。備後開教の先鞭を付け、浄土真宗が広がる。墓所不明。
- 7:了源(空性)(1295-1335):実質的な開山。了海の三男とも、武士の子ともいう。後醍醐天皇の帰依を受ける。伊賀で暗殺された。本願寺の伝承によると、元は金森弥三郎という武士で、覚如に学んで興正寺を建て、存覚から仏光寺の名を与えられたという。光山院殿。
- 8:源鸞(了英):了源の長男。専性。清浄光院殿。
- 9:了明(順子)(1294-1376):尼僧。了源の妻。源鸞の母。源鸞の早逝後、跡を継ぐ。無上々院殿。
- 10:唯了(源讃):了源の次男。「了源上人伝」を執筆。即成就院殿。
- 11:尭経(性曇):唯了の第三子。真解脱院殿。
- 12:経実(性善):尭経の長子。無碍光院殿。
- 13:尭仁(光教):尭経の子。経実の弟。分裂後も仏光寺に留まる。無量寿院殿。
- 除歴:(経豪)(1451-1492):仏光寺を捨てて興正寺を開く。
- 14:尭守(経誉):歓喜心院殿。
- 15:尭賢(経光):真実明院殿。
- 16:経範(尭勲):功徳聚院殿。
- 17:存海(尭昭):大悲心院殿。
- 18:経海(堯聡):龍光院殿。
- 19:尭導(随庸)(1634-1689):摂政二条康道の猶子。妙法院34世の堯然法親王に師事。著書に『渋谷勧章』。良正院殿。
- 20:尭庸(随如)(1641-1721):興正寺准秀の六男。左大臣二条光平の猶子。妙法院35世堯恕法親王に師事。龍秀院殿。
- 21:尭超(寛如):無量覚院殿。
- 22:尭祐(順如):清浄楽院殿。
- 23:真乗(随応):清浄勲院殿。
- 24:真導(随念):功徳蔵院殿。
- 念心(近子):尼僧。無量光院殿。『日本仏家人名辞書』、望月『仏教大辞典』になし。
- 25:渋谷真達(教応):鷹司政通三男。興正寺の華園摂信の弟。功徳宝院殿。
- 26:渋谷家教(清棲家教)(1862-1923)<>:伏見宮邦家親王の第15王子。仏光寺を継ぐが、後に離縁し、清棲伯爵家を起こす。初代管長。得清浄院殿。
- 27:渋谷真意(光子)(1850-1924)<1888->:尼僧。真達の妻。微妙定院殿。
- 28:渋谷真空(隆教)(1885-1962)<>:快楽音院殿。
- 29:渋谷真照(有教)()<-1992>:昭和天皇のいとこ。
- 30:渋谷真承(彰)(-2013)<1992-1995>:真照の長男。退任後、西教寺に務める。
- 31:渋谷暁真()<1995-2008>:真照の次男。
- 32:渋谷恵照(笑子)()<2010-現在>:尼僧。真照の妻。真承・曉真の母。
- (『日本仏家人名辞書』、望月『仏教大辞典 付録』、新聞記事)
- 院号は図録『佛光寺と了源上人展』による。
- 僧名と諱と逆転するものもあり要検討。
- 人名辞書に生没年