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誠照寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2017年10月26日 (木) 時点における版
誠照寺(じょうしょうじ)は、福井県鯖江市にある浄土真宗の本山寺院。大町門徒(三門徒)系統の真宗誠照寺派の本山で、越前四本山(証誠寺・毫摂寺・誠照寺・専照寺)の一つ。実質的な開山は如覚で、証誠寺から分裂した寺院という説もある。越前国今立郡。江戸時代は天台宗輪王寺宮に直属する院家寺院だった。幕末に准門跡となる。鯖江本山、鯖江御堂。車の道場(車道場)。山号は上野山(うわのさん)。
目次 |
歴史
創建
元久2年(1205)4月、越前国今立郡上野荘の領主波多野景行(景之とも)が霊夢を受けて京都で親鸞に師事。空然と名乗った。 のち親鸞が越後配流の途中に空然の道場に立ち寄り、庵を設けたのが起源とされる(上野別堂)。 親鸞が京都に戻る際、五男道性を留め空然の娘と結婚。道場を継いだという。 弘安元年(1278)、道性の子の如覚が現在地に移転し、翌年竣工した。 嘉元3年(1305)、後二条天皇から真照寺の勅額を賜ったという。 永享9年(1437)2月、後花園天皇の勅願所となり、誠照寺と改称した。 鯖江の町は誠照寺の門前町として生まれた。
戦国時代
戦国時代は一向一揆と対決。 柴田勝家の保護を受けたが、天正11年、勝家を攻めた羽柴秀吉軍に焼かれた。 天正17年再建するが、有力末寺の誠長寺と常楽寺と本末争いが起きる。 慶長10年、証誠寺の仲裁でいったん和解するが再燃。 寛永8年、福井藩に訴え、その判決により誠長寺と常楽寺は追放・廃絶となった。
近世
延宝5年(1677)福井藩主から24石寄進。享保3年、朱印地とされた。 一時聖護院門跡に属したが(国史大辞典)、元禄6年(1693)、輪王寺宮院家となる。 万延元年(1860)、二条家猶子になると共に准門跡となった。 文久2年(1862)12月、伽藍焼失。
近現代
明治5年9月、延暦寺末となるが明治11年2月、独立。 明治10年再建。昭和8年、上野別堂を復興した。
(国史大辞典、日本歴史地名大系、日本仏教基礎講座)
伽藍
諸堂
- 大師堂:本尊は親鸞。歴代法主も祀る。明治10年再建。
- 阿弥陀堂:本尊は閻浮檀金手引阿弥陀如来。聖徳太子と法然も祀る。後二条天皇、後花園天皇の位牌を祀る。明治20年再建。「本堂」とされる(日本仏教基礎講座)。
- 忠霊堂:戦没者2290柱の遺骨を祀る。本尊の光華阿弥陀如来は少将脇坂次郎の寄進。
- 御本廟
- 上野別堂
この他、四足門、鐘楼堂、対面所、大庫裡、御宸殿、光華殿がある。
塔頭
- 願生寺
- 真覚寺
- 法林寺
- 本正寺
- 霊泉寺
歴代住職
- 1:親鸞(1173-1262):
- 2:道性(1219-1257):親鸞の子とされる。実際は大町・専修寺開山の如導の弟子とみられる。
- 3:如覚(1250-1311):道性の子という。存覚に学んだという。
- 4:良覚(1296-1349):康永元年(1342)、隠退所として西福寺を創建。
- 5:秀覚(1320-1380):正平9年(1354)、南光寺を創建。
- 6:秀雲(1350-1419):
- 7:秀応(1399-1483):
- 8:秀慶(1447-1525):
- 9:秀栄(1489-1552):
- 10:秀意(1542-1616):
- 11:秀盛(1589-1616):
- 12:秀顕(1550-1621):
- 13:秀高(1579-1627):秀恵とも。
- 14:秀山(1616-1663):
- 15:秀諴(1642-1691):福井藩重臣の太田資武の次男。制度を整備。伽藍復興。「秀誠」は誤りか。
- 16:秀海(1665-1693):
- 17:秀如(1675-1729):西園寺家の猶子となる。
- 18:秀存(1697-1731):
- 19:秀憲(1718-1743):
- 20:秀宝(1732-1806):秀実とも
- 21:秀芳(1765-1799):
- 22:秀要(1788-1809):
- 23:秀厳(1797-1812):
- 24:秀観(1812-1844):
- 25:二条秀量(1829-1891):
- 26:二条秀源(1852-1935):二条斉敬の猶子となる。
- 27:二条秀暁(1879-1941):
- 28:二条秀淳(1907-1989):
- 29:二条秀政(1934-2001):
- 30:二条秀瑞(1978-):
(望月『仏教大辞典 付録』など) 生没年は『日本仏教基礎講座』より
関連寺院
- 東京別院満足院:東京都世田谷区。大正14年の創始で、法主の連枝が住職を務める。
- 誠長寺:福井県鯖江市中野町。如覚の次男良順が創建。初めは北村にあり高木村に移転。連枝格寺院として誠照寺と匹敵する勢力をほこり、独立を画策したが認められず追放された。寛永の訴訟で破却されたのち、丹生郡・坂井郡・大野郡を転々とした。慶安2年(1649)、西本願寺末として復興。天和2年(1682)、間戸から現在地の中野に移転した。浄土真宗本願寺派。(日本歴史地名大系)
- 越前・常楽寺:福井県鯖江市上河端。如覚弟の道光(道幸)が創建。末寺中、最大の勢力を誇った。寛永の事件で廃絶。(日本歴史地名大系)
資料
古典籍
- 「鯖江本山誠照寺史料」[1]
- 「誠照寺文書」(『真宗史料集成』第4巻)
- 鯖江市史、福井県史にも収録