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専照寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
専照寺(せんしょうじ)は、福井県福井市にある浄土真宗の本山寺院。大町門徒(三門徒)の正統を自認する真宗三門徒派の本山で、越前四本山(証誠寺・毫摂寺・誠照寺・専照寺)の一つ。大町・専修寺から分裂して創建され、開山は浄一。江戸時代は、院家の格式を持つ妙法院門跡の末寺だった。四本山の中で唯一城下町に移った。越前国足羽郡。中野本山。 山号は中野山、鹿苑山。
目次 |
歴史
成立
如導が創建した大町専修寺では2世以来、専修寺の教義が浄土真宗から外れ、浄土宗西山派に近づく傾向にあったとされる。至徳2年(1385)には道性が離脱して証誠寺を分立するなど、このことに傘下の門徒の一部は危惧を抱いていた。そして4世某(『日本仏教基礎講座』では名を浄光とする)の時代の永享7年(1435)には本願寺から破門を宣告され、再び分立を引き起こしたと考えられている。同年、離脱した有力末寺が浄一という僧を擁立して足羽郡蕗路里中野(福井市中野町)に移り建てたのが専照寺という。地名から中野門徒と呼ばれる。年代については『専照寺縁起』の応永3年(1396)説もある。
この時離脱した有力末寺とは帆山の誓願寺、河北(こぎた)の専光寺、社の専通寺。浄一は帆山誓願寺道願の子という。了泉の三男ともいうが年代が合わないという。元は足利将軍家連枝の鞍谷御所(越前市池泉町)に仕えており、分立に際して出家したため僧侶としての経歴は浅く、そのため有力末寺3寺が後見役となったという。 証誠寺を兼務していた京都・毫摂寺の末寺となった。 なお本願寺から破門宣告が出た背景には、大町門徒各本山を傘下に収めつつあった毫摂寺の働き掛けもあった可能性が示唆されている。
中世
当時、中野は京都鹿苑寺(金閣寺)の寺領で、山号の鹿苑山もこれに由来するとみられる。 永享9年(1437)11月、将軍足利義教の帰依を受け、寺領を得たとされる。 戦国時代には朝倉氏に味方して、一向一揆と激しく対立した。
「真言宗田中善法寺」(石清水八幡宮の善法寺のことか)の末寺になった時期もあったという(中野物語)。
近世
天正年間、本願寺教団と不和があり、興宗寺(福井市松本)心願らに焼かれた(慶長年間とも)。そのため天正10年(1582)、北庄城(福井城)下の堀小路(福井県西木田)に移転。 天正13年(1585)8月、正親町天皇の勅願所となる。以後、住職就任時に宮中参内が慣例になったという。
江戸時代には天台宗妙法院門跡の院家となる。 承応3年(1654)8月、専照寺が専修寺跡地に如導の墓を建立した。 元禄2年(1689)、親鸞信仰を疎かにしているとの批判があり末寺が分裂。親鸞崇拝を重視する専超寺や清水山の専伝寺が西本願寺末に転じた。専超寺了恩は『中野物語』を執筆した。
享保9年(1724)、証如は境内狭隘を理由に現在地(新屋敷下町、福井市みのり)に移転。証如は伽藍を建て制度を整備した。 天保8年(1837)の大火で伽藍焼失。翌年、御影堂などを再建。
近現代
明治6年(1873)、東本願寺末に所属(明治5年9月とも)。明治11年(1878)12月、独立して真宗三門徒派を称した。教団名として「真宗三門徒派」を名乗るのは三門徒発祥の大町専修寺の正統に一番近いことへの誇りの現れだろうか。法主家は平家を名乗るが、如導が平氏出身との伝承に基づくと思われる。昭和23年(1948)6月の福井大震災で御影堂を残して伽藍倒壊。昭和34年(1959)阿弥陀堂再建。
(1996「鯖屋誠照寺・中野専照寺の成立」、日本仏教基礎講座、国史大辞典、日本歴史地名大系)
伽藍
諸堂
- 御影堂:本尊は親鸞。木像で胎内に親鸞自作の面と遺骨を収めるという。如導木像、歴代御影を祀る。天保9年の再建。大震災を免れた旧市内最古の建造物。
- 阿弥陀堂:本尊は阿弥陀如来。木像で春日作という。「本堂」とされる。脇間には聖徳太子と法然の像を祀り、余間には六高祖の絵像を祀る。また正親町天皇と足利義教の位牌を祀る。
- 如導墓:承応3年(1654)8月、専照寺が専修寺跡地に建立した。
塔頭
- 教覚寺
- 菩提寺
組織
歴代住職
- 1:如導(1253-1340)<>:大町門徒の祖。
- 2:如浄(1306-1381)<>:如導の次男。1362年、浄土宗西山派の教えに「傾いた」ため、門徒から激しい非難を受けた。小泉論文は1375年死去とする。
- 3:了泉(1317-1405)<>:如導の三男。『中野物語』にいう「良金」のことで「良金」は「良全」の誤りともいう。小泉論文は1404年死去とする。
- 4:浄一(1364-1438)<>:専照寺の実質的な開山。
- 5:源如(1412-1462)<>:
- 6:如海(1421-1488)<>:
- 7:空恵(1457-1515)<>:
- 8:如空(1474-1554)<>:『中野物語』では覚如が先
- 9:覚如(1527-1561)<>:『中野物語』では1531年死去。
- 10:善智(1504-1573)<>:
- 11:善連(1548-1589)<>:正親町天皇から帰依を受けたという。『中野物語』では善清。
- 12:善慶(1564-1612)<>:
- 13:善住(1609-1637)<>:
- 14:善空(1634-1667)<>:
- 15:如善(1640-1679)<>:
- 16:如閑(1646-1686)<>:
- 17:証如(1678-1761)<>:
- 18:広如(1702-1741)<>:
- 19:(証如)()<>:再任。
- 20:誉如(1736-1807)<>:池尻栄房の舎弟。
- 21:賢如(1779-1819)<>:
- 22:信如(1809-1826)<>:
- 23:平聞如:歓喜光院(1811-1888)<>:
- 24:平光如:無量寿院(1842-1874)<>:
- 25:平宣如:無称光院。浄宣(1866-1897)<>:管長初代。
- 26:円如(平光円):興教華院(1868-1934)<>:
- 27:寿如(平光寿)(1903-)<>:
- 28:平光顕()<>:
- 29:平光慈()<>:
(望月『仏教大辞典 付録』など) 生没年は『日本仏教基礎講座』より 親鸞を1世、如導を2世とする数え方もある。