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井伊谷宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''井伊谷宮'''(いいのや・ぐう)は、静岡県浜松市北区引佐町井伊谷にある、南朝の皇子[[宗良親王]]を祀る[[霊社]]。[[官幣中社]]。[[宗良親王墓|親王の墓]]、[[龍潭寺]]、[[井伊家龍潭寺墓地]]などが隣接する。[[神社本庁]][[別表神社]]。[[皇族奉斎神社]]。[[南朝皇族奉斎神社]]。
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'''井伊谷宮'''(いいのや・ぐう)は、静岡県浜松市北区引佐町井伊谷にある、南朝の皇子[[宗良親王]]を祀る[[霊社]]。[[官幣中社]]。[[宗良親王墓]]、[[龍潭寺]]、[[井伊家龍潭寺墓地]]などが隣接する。[[神社本庁]][[別表神社]]。[[皇族奉斎神社]]。[[南朝皇族奉斎神社]]。
==歴史==
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宗良親王の没地を井伊谷とする伝承が古くからあった。1742年(寛保2年)8月、信濃国伊那郡の旗本の知久頼久が龍潭寺境内に宗良親王の墓塔を建立した。
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1868年(明治1年)、龍潭寺と彦根藩主井伊直憲が共に宗良親王の祭祀の充実を維新政府に申請した。12月、政府、宗良親王墓の修理への協力を許可。
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1869年(明治2年)2月13日、政府、井伊谷宮の創建を決定。彦根藩に造営への協力を命じた。形式的には協力だが、工事の実行と費用は全て彦根藩が負担した。2月28日に着工し、3月29日には上棟した。1872年(明治5年)12月12日鎮座祭が行われた。1873年(明治6年)6月9日、官幣中社に列格した。
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==境内==
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*本社:
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2022年4月16日 (土) 時点における版

井伊谷宮(いいのや・ぐう)は、静岡県浜松市北区引佐町井伊谷にある、南朝の皇子宗良親王を祀る霊社官幣中社宗良親王墓龍潭寺井伊家龍潭寺墓地などが隣接する。神社本庁別表神社皇族奉斎神社南朝皇族奉斎神社

目次

歴史

宗良親王の没地を井伊谷とする伝承が古くからあった。1742年(寛保2年)8月、信濃国伊那郡の旗本の知久頼久が龍潭寺境内に宗良親王の墓塔を建立した。 1868年(明治1年)、龍潭寺と彦根藩主井伊直憲が共に宗良親王の祭祀の充実を維新政府に申請した。12月、政府、宗良親王墓の修理への協力を許可。

1869年(明治2年)2月13日、政府、井伊谷宮の創建を決定。彦根藩に造営への協力を命じた。形式的には協力だが、工事の実行と費用は全て彦根藩が負担した。2月28日に着工し、3月29日には上棟した。1872年(明治5年)12月12日鎮座祭が行われた。1873年(明治6年)6月9日、官幣中社に列格した。

境内


組織

大宮司・宮司

  • 岡部譲(1849-1937)<1874-1890>:国学者。賀茂真淵の子孫。1874年(明治7年)5月、井伊谷宮宮司。1878年(明治11年)から1890年(明治23年)の退職まで秋葉神社祠官を兼務。(略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照)
  • 大井菅麻呂(1836-)<1898-1910>:静岡県出身。1836年(天保7年)生。1883年(明治16年)伊佐須美神社禰宜。同年安房神社禰宜。1886年(明治19年)4月6日、小国神社宮司。1893年(明治26年)正七位。1898年(明治31年)5月22日から7月5日まで静岡浅間神社宮司。同年10月23日、井伊谷宮宮司。1899年(明治32年)12月従六位。1905年(明治38年)正六位。1910年(明治43年)6月17日退任。同年従五位。著書『駿河国式社略記』『大井菅麻呂和歌雑録』。大井菅麿。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BA%95%E4%BC%8A%E8%B0%B7%E5%AE%AE」より作成

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