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時宗国阿派
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年8月14日 (土)
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- | *[[大津・正福寺]]:滋賀県大津市音羽台。1382年国阿が中興。 | + | *[[大津・正福寺|正福寺]]:滋賀県大津市音羽台。1382年国阿が中興。 |
*[[薬仙寺]]:兵庫県神戸市兵庫区今出在家町。 | *[[薬仙寺]]:兵庫県神戸市兵庫区今出在家町。 |
2021年8月14日 (土) 時点における最新版
時宗国阿派は国阿(1314-1405)を派祖とする時宗の流派。東山・正法寺と双林寺が拠点寺院。古典的な記述では正法寺派を霊山派、双林寺派を国阿派とするが、ここでは一括して扱う。
歴史
国阿は播磨国出身。天台宗円教寺で修行した後、廻国。遊行上人7世託阿に帰依。1383年正法寺を、翌1384年双林寺を時宗に改宗し、拠点とした。 伊勢神宮や熊野三山を何度も参拝し、念仏と伊勢信仰・熊野信仰との結び付きを強調。独自の札を配り、「不浄を嫌わず参詣すべし」と勧奨した。 (時宗教団史)
「末寺のない雙林寺がなぜ霊山派とは別に国阿派として独立の一派を立てることができたのか不明である」(金井清光)という。
一覧
- 正法寺:京都市東山区清閑寺霊山町。国阿派の拠点。双林寺と本末を争う。国阿墓がある。霊明神社、霊山官修墳墓、京都霊山護国神社の起源。霊山道場。霊山正法寺。
- 双林寺:京都府京都市東山区鷲尾町。国阿派の拠点。正法寺と本末を争う。天台宗に改宗。東山道場。東山双林寺。
- 長楽寺:京都府京都市東山区円山町。一時浄土宗西山派に所属。
- 安養寺:京都府京都市東山区円山町。法然の吉水草庵の跡地とされる。
- 白蓮寺:京都府京都市山科区安朱東海道町。元は下京区東塩小路向畑町にあった。一時、東本願寺末となっていた。塩小路道場。
- 来迎寺:福井県敦賀市松島。気比神宮関連旧跡。西方寺や武田耕雲斎墓が隣接。
- 正福寺:滋賀県大津市音羽台。1382年国阿が中興。
- 薬仙寺:兵庫県神戸市兵庫区今出在家町。