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朝鮮神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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===宮司===
===宮司===
*1高松四郎(1875-1955)<1925-1931>:福島県白河市出身。白河藩士の子。1875年(明治8年)生。[[平野神社]]に奉職。1899年(明治32年)[[松尾大社]]禰宜。1900年(明治33年)、内務省[[神社局]]考証課嘱託。1901年(明治34年)[[弥彦神社]]宮司。1921年(大正10年)[[日光東照宮]]宮司。1925年(大正14年)朝鮮神宮宮司。1931年(昭和6年)4月30日、[[橿原神宮]]宮司。1934年(昭和9年)[[札幌神社]]宮司。1940年(昭和15年)[[住吉大社]]宮司。観光地化、単なる修養施設となりつつある神社の現状に対してあくまで信仰の場としての神社の興隆を志していたらしい。(「近代の神職高松四郎の研究」)
*1高松四郎(1875-1955)<1925-1931>:福島県白河市出身。白河藩士の子。1875年(明治8年)生。[[平野神社]]に奉職。1899年(明治32年)[[松尾大社]]禰宜。1900年(明治33年)、内務省[[神社局]]考証課嘱託。1901年(明治34年)[[弥彦神社]]宮司。1921年(大正10年)[[日光東照宮]]宮司。1925年(大正14年)朝鮮神宮宮司。1931年(昭和6年)4月30日、[[橿原神宮]]宮司。1934年(昭和9年)[[札幌神社]]宮司。1940年(昭和15年)[[住吉大社]]宮司。観光地化、単なる修養施設となりつつある神社の現状に対してあくまで信仰の場としての神社の興隆を志していたらしい。(「近代の神職高松四郎の研究」)
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*2阿知和安彦(1873-?)<1931->:愛知県出身。1873年(明治6年)生。神宮皇学館本科卒。1897年(明治30年)伊勢神宮宮掌・神宮皇学館教授。1897年(明治30年)7月1日、[[建勲神社]]宮司。1906年(明治39年)12月27日[[吉田神社]]宮司。1912年(大正1年)4月5日、[[日光東照宮]]宮司。1915年(大正4年)神宮禰宜。1926年(昭和1年)[[長崎諏訪神社]]宮司。1931年(昭和6年)4月30日、朝鮮神宮宮司。[[皇典講究所]]所長。
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*2阿知和安彦(1873-?)<1931->:愛知県出身。1873年(明治6年)生。神宮皇学館本科卒。1897年(明治30年)伊勢神宮宮掌・神宮皇学館教授。1897年(明治30年)7月1日、[[建勲神社]]宮司。1906年(明治39年)12月27日[[吉田神社]]宮司。1912年(大正1年)4月5日、[[日光東照宮]]宮司。1915年(大正4年)神宮禰宜。1926年(昭和1年)[[長崎諏訪神社]]宮司。1931年(昭和6年)4月30日、朝鮮神宮宮司。[[皇典講究所]]所長。『大麻と神棚 家庭の神祭り心得』『五十鈴川流』『敬神に就て』。
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*額賀大直(1877-1961)<1946->:明治後期から戦後直後まで活躍した神職。(略歴は[[唐沢山神社#組織]]を参照)
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*額賀大直(1877-1961)<>:明治後期から戦後直後まで活躍した神職。朝鮮神宮宮司として敗戦を迎えた。(略歴は[[唐沢山神社#組織]]を参照)
===権宮司===
===権宮司===
1936年(昭和11年)権宮司設置。
1936年(昭和11年)権宮司設置。
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*吉田貞治()<>
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*吉田貞治()<>:1937年(昭和12年)5月15日、平壌神社宮司。
*竹島栄雄(1905-)<1941->:1905年(明治38年)生。1939年(昭和14年)8月11日、[[柞原八幡宮]]宮司。1941年(昭和16年)2月21日、朝鮮神宮権宮司就任。(「任免裁可書」[https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M0000000000003139817.html])
*竹島栄雄(1905-)<1941->:1905年(明治38年)生。1939年(昭和14年)8月11日、[[柞原八幡宮]]宮司。1941年(昭和16年)2月21日、朝鮮神宮権宮司就任。(「任免裁可書」[https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M0000000000003139817.html])

2021年4月30日 (金) 時点における版

朝鮮神宮01.jpg

朝鮮神宮(ちょうせん・じんぐう)は朝鮮京畿道京城府南山にあった神社。祭神は天照大神明治天皇官幣大社勅祭社朝鮮の神社


目次

歴史

境内

組織

宮司

  • 1高松四郎(1875-1955)<1925-1931>:福島県白河市出身。白河藩士の子。1875年(明治8年)生。平野神社に奉職。1899年(明治32年)松尾大社禰宜。1900年(明治33年)、内務省神社局考証課嘱託。1901年(明治34年)弥彦神社宮司。1921年(大正10年)日光東照宮宮司。1925年(大正14年)朝鮮神宮宮司。1931年(昭和6年)4月30日、橿原神宮宮司。1934年(昭和9年)札幌神社宮司。1940年(昭和15年)住吉大社宮司。観光地化、単なる修養施設となりつつある神社の現状に対してあくまで信仰の場としての神社の興隆を志していたらしい。(「近代の神職高松四郎の研究」)
  • 2阿知和安彦(1873-?)<1931->:愛知県出身。1873年(明治6年)生。神宮皇学館本科卒。1897年(明治30年)伊勢神宮宮掌・神宮皇学館教授。1897年(明治30年)7月1日、建勲神社宮司。1906年(明治39年)12月27日吉田神社宮司。1912年(大正1年)4月5日、日光東照宮宮司。1915年(大正4年)神宮禰宜。1926年(昭和1年)長崎諏訪神社宮司。1931年(昭和6年)4月30日、朝鮮神宮宮司。皇典講究所所長。『大麻と神棚 家庭の神祭り心得』『五十鈴川流』『敬神に就て』。
  • 額賀大直(1877-1961)<>:明治後期から戦後直後まで活躍した神職。朝鮮神宮宮司として敗戦を迎えた。(略歴は唐沢山神社#組織を参照)

権宮司

1936年(昭和11年)権宮司設置。

  • 吉田貞治()<>:1937年(昭和12年)5月15日、平壌神社宮司。
  • 竹島栄雄(1905-)<1941->:1905年(明治38年)生。1939年(昭和14年)8月11日、柞原八幡宮宮司。1941年(昭和16年)2月21日、朝鮮神宮権宮司就任。(「任免裁可書」[1]

画像

資料

[2]

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

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