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法隆寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2017年5月31日 (水) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
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法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある、聖徳太子ゆかりの、南都仏教本山寺院法相宗聖徳宗総本山。本尊は釈迦如来斑鳩宮の西隣に創建された。官寺七大寺の一つで、飛鳥時代を代表する古代寺院であり、現存世界最古の木造建築。太子信仰の中心で、宗派を超えた尊崇の対象となり、多くの高僧が参詣している。本坊は西園院。鎮守は、斑鳩・龍田神社法隆寺関連旧跡も参照。斑鳩寺

目次

歴史

伽藍

若草伽藍

西院

  • 金堂
  • 五重塔
  • 大講堂
  • 聖霊院
  • 三経院
  • 上御堂
  • 西円堂
  • 薬師坊
  • 百済観音堂
  • 食堂
  • 綱封蔵


東院

斑鳩宮の跡地で、元は上宮王院という別の寺だった。

  • 夢殿
  • 礼堂
  • 舎利殿
  • 伝法堂

組織

子院

  • 西園院:本坊。寺務所が置かれている。
  • 地蔵院
  • 宝光院
  • 弥勒院
  • 実相院:裏に若草伽藍跡がある。
  • 普門院
  • 宝珠院
  • 中院:聖徳宗由緒寺院。
  • 円成院:上御堂の裏にある。
  • 律学院
  • 宗源寺
  • 福園院
  • 福生院
  • 福園院:聖徳会館がある。
  • 北室院:東院の北側にある。聖徳宗由緒寺院。
  • 阿弥陀院:廃絶。慶長19年11月16日、徳川家康が大阪冬の陣の時に立ち寄っている(『駿府政事録』)。東照宮が祀られていたが神仏分離で斑鳩神社に合祀。

住職

法隆寺別当。

  • 1:延鳳
  • 2:長賢
  • 3:慈願
  • 4:禎杲
  • 5:長延
  • 6:寛延
  • 7:観理
  • 8:法縁
  • 9:湛照
  • 10:法縁
  • 11:法蓮
  • 12:実算
  • 13:長隆
  • 14:忠教
  • 15:仁階
  • 16:長耀
  • 17:観峰
  • 18:延〓
  • 19:永照
  • 20:仁満
  • 21:久円
  • 22:親誉
  • 23:琳元
  • 24:長照
  • 25:彦祚
  • 26:公範
  • 27:慶深
  • 28:能算(?-1094):宿曜道にたける。西大寺別当。
  • 29:永超(1014-1095):最初、興福寺子院斉恩寺に住す。
  • 30:延真
  • 31:定真
  • 32:経尋
  • 33:覚誉
  • 34:覚晴
  • 35:信慶
  • 36:覚長
  • 37:賀宝
  • 38:慧範
  • 39:範玄
  • 40:覚弁
  • 41:成宝(1159-1227):藤原惟方の子。元興寺別当、東大寺別当、大安寺別当。東寺長者。高野山に隠退。
  • 42:兼光
  • 43:範円
  • 44:範信
  • 45:範円
  • 46:覚通
  • 47:尊海
  • 48:良盛(1196-1262):興福寺仏地院住職。元興寺別当、興福寺別当。仏地院僧正。
  • 49:頼円
  • 50:玄雅
  • 51:乗範
  • 52:実懐(1235-1291):興福寺松林院を経て就任。のち興福寺別当。
  • 53:印寛
  • 54:性誉
  • 55:公寿
  • 56:宗親
  • 57:公寿
  • 58:実聡
  • 59:隆遍(生没年不詳):四条隆親の子。興福寺別当。
  • 60:良寛
  • 61:能寛
  • 62:顕観
  • 63:実聡
  • 64:憲信
  • 65:能寛
  • 66:良暁(1285-?):興福寺別当。
  • 67:範守
  • 68:覚懐
  • 69:懐雅
  • 70:頼乗(生没年不詳):興福寺権別当。安養院僧正。
  • 71:顕通
  • 72:実遍
  • 73:孝憲
  • 74:円守
  • 75:長懐(1342-1396):興福寺別当。
  • 76:兼覚(1361-1422):興福寺別当。興福寺慈恩院住職。
  • 77:孝俊
  • 78:仁円
  • 79:晃円
  • 80:長乗
  • 81:定誉
  • 82:英乗
  • 83:堯懐
  • 84:訓英

近世の別当

  • 85:尊祐
  • 86:光祐
  • 87:尊英
  • 88:舜英
  • 89:覚遍
  • 90:覚勝
  • 91:覚峰
  • 92:良訓
  • 93:実算
  • 94:洪覚
  • 95:慶雲
  • 96:朝定
  • 97:洪海
  • 98:千晃
  • 99:千純
  • 100:千懐

近世の一﨟

近代の住職

  • 121:千早定朝(1823-1899)<1876-1899>:大和国山辺郡出身。明治5年一﨟となる。明治9年9月19日(6月9日とも)、法隆寺住職就任。学問興隆を志し、東本願寺の学問場を誘致。明治15年、法相宗独立を実現。明治23年3月23日から翌年2月16日まで、興福寺清水寺を兼務。明治27年5月から再び興福寺と清水寺の住職を兼ねる。明治32年3月28日(18日とも)死去。自坊は法隆寺中院。
  • 122:秦行純(-1913)<1899-1903>:薬師寺を兼務。明治32年6月25日、住職就任。同年9月25日法相宗管長就任。36年5月22日、退任。大正2年7月6日死去。
  • 123:佐伯定胤(1867-1952)<1903-1950>:近代を代表する南都の学僧。千早定朝の弟子。法隆寺村出身。明治10年得度。明治17年から7年間、泉涌寺の佐伯旭雅に唯識を学ぶ。明治23年には『法相宗綱要』を著す。明治26年2月28日、興福寺勧学院が開設され講師となる。8月1日、法隆寺勧学院が開院、法隆寺学頭。明治30年1月、法隆寺副住職。明治34年10月15日、薬師寺住職に就任。明治36年5月22日、法隆寺住職に就任。36歳の若さという異例の抜擢。昭和4年、帝国学士院会員。昭和25年4月1日、法隆寺住職を退任するが、9月22日の信徒総代会で法相宗離脱の意向を発表。11月12日の宗会で聖徳宗設立を実行した。佐伯良謙、橋本凝胤、大西良慶ら多くの弟子を育てた。昭和27年11月23日死去。(『法隆寺の秘話』)
  • 124:佐伯良謙(1880-1963)<1950-1963>:聖徳宗初代管長。雲井良海の弟子。明治25年から法隆寺勧学院で佐伯定胤に師事。明治43年、勧学院助講師。明治44年、竪義遂業。大正15年、興福寺の大西良慶が辞意を表明し、良謙に譲る意向を示したが、佐伯定胤に慰留される。昭和7年1月11日、興福寺から法隆寺に移り、副住職となる。昭和16年8月2日、管長顧問。昭和25年4月1日、住職就任。佐伯定胤長老主導による法相宗離脱に従い、同年11月12日、聖徳宗独立を宣言し、管長となる。太子信仰の興隆に努め、法隆寺夏季大学を開設。聖徳会館を建設。昭和38年3月8日死去。奈良県仏教連合会理事長。昭和57年、御影像開眼。
  • 125:間中定泉(1909-1989)<1963-1982>:聖徳宗2代管長。佐伯定胤に師事。昭和38年住職就任。昭和57年3月31日退任。(『法隆寺の秘話』)
  • 126:大野可円(1917-2005)<1982->:聖徳宗3代管長。佐伯定胤に師事。陸軍報道班員を務めた。再び徴兵され、中国大陸で敗戦を迎えた。昭和57年4月1日住職就任。
  • 127:枡田秀山(1924-)<>:聖徳宗4代管長。
  • 128:高田良信(1941-2017)<1995-1998>:聖徳宗5代管長。昭和16年2月22日生。奈良県出身。昭和28年、法隆寺に入寺。佐伯良謙に師事。龍谷大学大学院修了。平成29年4月26日死去。法隆寺昭和資財帳を編纂。寺史を調査し、歴代数を改めた。著書多数。自坊は実相院。
  • 129:大野玄妙(1947-)<1999->:聖徳宗7代管長。昭和22年10月22日生。大阪府出身。3歳で入寺。上宮学園高校卒。龍谷大学大学院修了。昭和52年福生院住職。平成5年執事長、宗務所長。平成7年法起寺住職。平成11年住職就任。

(望月信亨編『仏教大辞典 付録』、)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA」より作成

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