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熊野三山
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2017年10月23日 (月) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
熊野三山(くまの・さんざん)は、紀伊国(和歌山県・三重県)の山地に広がる、熊野信仰の発祥地・中心地の霊場。吉野山とともに修験道の根本道場で、社寺が混在する日本を代表する神仏習合の巡礼地。式内熊野本宮大社・大斎原がある熊野本宮、式内熊野速玉大社・神倉山がある熊野新宮、熊野那智大社・青岸渡寺・那智の滝がある那智山の3所の霊場から構成される。古くはイザナミの埋葬、八咫烏が導いた神武天皇東征の伝承がある建国神話の旧跡とされ、イザナミはスサノオなどとともに熊野大神としても信仰される。仏教では、阿弥陀如来、観音菩薩、薬師如来などが熊野権現の本地仏とされ、極楽浄土、補陀落山、瑠璃光浄土とみなされた。一遍が時宗を開いた地でもある。天照大神の聖地伊勢とも交渉があった。
中世には、上皇・貴族から庶民まで多くの人々が参詣し、日本を代表する巡礼地となった。全国の山岳霊場などに広まった御師(おし)制度の発祥地とも考えられている。参詣道沿いには、分社あるいは御子神・眷属神を祀る熊野王子が建てられた。
目次 |
系譜
中心となる三社
熊野本宮
熊野新宮
那智山
田辺
山地奥深い場所にある熊野三山に対して、遥拝する別宮的な存在として田辺の闘鶏神社が信仰され、熊野別当が分裂した後は、田辺別当の所在地となった。
その他
熊野街道
京都
組織
熊野三山検校
聖護院門跡が兼職。京都にいた。
- 増誉(1032-1116)<1090->:
- 行尊(1057-1135):園城寺長吏
- 覚宗:園城寺長吏
- 覚讃(1095-1180):園城寺長吏
- 実慶(1117-1207):園城寺長吏。新熊野検校。
- 覚実:園城寺長吏。
- 長厳(?-1228):仁和寺出身。祈祷で後鳥羽上皇の信任を得て那智山検校となる。さらに先例を破って熊野三山検校となる。上皇の熊野御幸の先達を5回務めた。承久の乱で陸奥国配流。(修験道小事典)
- 定豪(1152-1238):鶴岡八幡宮別当。大伝法院座主。東大寺別当。
- 良尊:園城寺長吏。
- (道慶):園城寺長吏。
- 覚仁法親王:園城寺長吏。
- 静仁:園城寺長吏
- 行昭:園城寺長吏
- 道昭(1281-1355):園城寺長吏。新熊野検校。
- 道瑜:園城寺長吏。
- 道昭(1281-1355):再任。
- 覚助法親王:園城寺長吏。聖護院門跡。
- 道昭(1281-1355):再任。
- 良慶(1291-1360):園城寺長吏。
- 良瑜(1330-1397):園城寺長吏。実相院門跡。
- 道意(1354-1429):園城寺長吏。
(『日本仏家人名辞書』)
熊野別当
現地で熊野三山を統括。中世に新宮別当家と田辺別当家に分裂。やがて廃絶。湛増が著名。
- 1快慶
- 2慶覚
- 3覚胤
- 4快円
- 5慶玄
- 6長仁
- 7増慶
- 8増皇
- 9殊勝
- 10泰敬
- 11快真
- 12永尊
- 13覚真
- 14宗賢
- 15長快(1037-1122):白河上皇の熊野御幸の先達を務めた。世襲の始まり。長懐とも。
- 16長範
- 17長兼
- 18湛慶(田辺)
- 19行範
- 20範智
- 21湛増(田辺):弁慶の父という伝説がある。
- 22行快
- 23範命
- 24湛政(田辺)
- 25琳快
- 26快命
- 27湛真(田辺)
- 28尋快
- 29定湛(田辺)
- 30静快
- 31正湛(田辺):弘安10年(1284)還俗。
(宮家準『熊野信仰』)
新熊野検校
新熊野神社を管轄
- 1覚讃(1095-1180):熊野三山検校4世。
- 2房覚:園城寺長吏40世
- 3道仁法親王:
- 4実慶:熊野三山検校5世。以降、熊野三山検校が兼職
熊野三山奉行
乗々院が務める