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鵜戸神宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2023年5月13日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
鵜戸神宮 うど じんぐう | |
概要 | ウガヤフキアエズの産屋跡に鎮座する神社。 |
奉斎 | 天津日高子波限建鵜草葺不合命 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 宮崎県日南市宮浦3232 |
所在地(旧国郡) | 日向国那珂郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 官幣大社・別表神社 |
関連記事 | 神代三代旧跡 |
鵜戸神宮(うど・じんぐう)は、宮崎県日南市宮浦(日向国那珂郡)の鵜草葺不合命の産屋跡に鎮座する神社。岩窟内に大型の社殿が建てられているのは珍しい。 神宮号宣下神社。 官幣大社・別表神社。潮干瓊・潮満瓊がある。境内に祭神の陵墓と伝わる鵜戸陵墓参考地があるが、天皇が定めた吾平山上陵は西南66kmの鹿児島県鹿屋市吾平町にある。 別当は仁王護国寺。薩摩琵琶の発祥地という。盲僧関連旧跡。旧称は鵜戸大権現、鵜戸六社大権現、鵜戸六所大権現、鵜殿神社、鵜戸神社。
目次 |
歴史
- 神代:ウガヤフキアエズが鵜戸窟で誕生
- 神代:ウガヤフキアエズ崩御。早日峰に埋葬。
- 神武天皇代:一説に神武天皇、水底寺(仁王護国寺)を創建。
- 崇神天皇代:社殿造営
- 景行天皇代:一説に創建。
- 古墳時代:仏教伝来の頃、祐教礼師が鵜戸窟に配流。琵琶を弾き地神経を唱えて、各地を巡ったのが薩摩琵琶の起源という。
- 推古天皇代:社殿造営
- 786年:一説に桓武天皇、鵜戸山仁王護国寺の勅号を賜い、光喜坊快久が天台宗寺院として創建
- 804年:社殿再興
- 室町時代中期:『梵灯庵袖下集』に歌の名所として「鵜戸の窟」と記されている。
- 1424年:島津久豊、加江田城の伊東家を攻撃する途中、「鵜戸宮寺」に参詣。
- 1459年:後花園天皇、勅使を派遣して窟内を検分したという。
- 1479年閏9月1日:桂庵玄樹が参詣。漢詩「鵜戸廟前」を作る。
- 1520年5月:相国寺西堂の鸞岡瑞佐が遣明使として日向に下り、「鵜戸寺六所権現」に参詣。
- 1533年:小笠原光清、鵜戸参詣か。
- 1537年2月:島津勝久、鵜戸参詣か。
- 1543年:伊東氏、島津氏の籠る鵜戸山城を攻め落とす。
- 1545年:島津忠広方の羽島越後守、鵜戸山別当の僧識(歴代になし)を殺害。
- 1545年:島津忠隅、鵜戸山を焼く。
- 1560年:伊東義祐、社殿造営。
- 1567年:伊東義益、本地堂再建。
- 1578年9月15日:島津義久、大友宗麟を討つ前に戦勝祈願として「霧島山・鵜戸・妻霧島」の3社に仁王経読経させた。
- 1584年8月2日:宮崎城主上井覚兼、参詣。
- 1640年:寿法院の神託騒動。仁王護国寺の実融、分社として榎原神社を創建。
- 1641年:藩主伊東祐久、社殿を修復。
- 1642年:実融、急死。寿法院はその死を伊東祐久の災いを避けるためとし、帰依を得た。
- 1654年:仁王門、再建
- 1662年9月15日:「巡見記」に「宮崎より鵜戸山へ志す。即吾平山なるが葺不合尊の神退地なりとてかく称するといふ」とあり、鵜戸山をもって崩御地だとする伝承を記す。
- 寛文年間:これ以前に飫肥城下に鵜戸山別当の屋敷として「鵜戸借屋」が設置された。
- 1711年:藩主伊東祐実、社殿を造営。(現在の社殿)
- 1733年:藩主伊東祐永、護摩堂修復。
- 1762年:藩主伊東祐福、仁王門再建。
- 1770年8月:社殿修復。
- 1825年8月:山崩れで大光坊が埋没。仁王門も被災。
- 1867年:神仏分離。一説に仁王護国寺が廃絶。
- 1868年12月:仁王護国寺が廃絶。高橋宇太郎、鵜戸山社務督となる。
- 1869年2月5日:鵜戸神社と改称。高橋宇太郎、飫肥藩から鵜戸神社神主に任命。
- 1969年3月4日:高橋宇太郎、「鵜戸大神宮」の勅号を申請するが却下。
- 1871年11月頃:県社に列格。
- 1871年12月:高橋宇太郎、祠掌。
- 1872年:仁王門と12坊を廃絶。
- 1874年3月25日:県社から官幣小社に昇格。鵜戸神社から鵜戸神宮に改称。6月1日勅使参向。
- 1874年7月10日:(鹿児島県の吾平山上陵を治定)
- 1895年10月29日:官幣大社に昇格。
- 1895年12月4日:鵜戸山上(鵜戸陵墓参考地)を陵墓伝説地に指定。
境内
摂社はないようだ。
- 本社:
- 吾平山陵
- お乳岩
- お乳水
- 亀石
- 仁王護国寺
- 観音堂:本尊は六観音。本地堂。廃絶。
- 龍王宮:廃絶か。龍宮社。龍神宮。
- 長日護摩堂:本尊は不動明王(覚鑁作)と五大尊。廃絶。
- 観音堂:廃絶。
- 別当墓地:
- 皇子神社:祭神は彦五瀬命。創建不詳。元和4年再興。吹毛井船形山にあった。維新後に窟内の現在地に遷座。王子大権現宮。
- 九柱社:祭神は神直日神、大直日神、伊豆能売神、底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神、底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命。窟内にある。九社明神。
- 住吉神社:祭神は底筒男神、中筒男神、上筒男神。窟内にある。
- 火産霊神社:祭神は火産霊神。住吉神社同殿。
- 福智神社:祭神は仁徳天皇。福智権現。住吉神社同殿。
- 鵜戸稲荷神社:祭神は倉稲魂神。1858年創建。
- 恵比須神社:
- 門守社:神門?
- 波切神社:波切不動尊。
- 辻堂:廃絶。
- 遥拝所:
- 磨崖仏
- 鵜戸千畳敷奇岩
組織
別当
仁王護国寺#組織を参照。
宮司
- 1新納美庫()<1874-1885>:1878年(明治11年)2月、鵜戸神宮宮司(1874年(明治7年)?)。1885年(明治18年)死去。
- 2伊東祐帰(1855-1894)<1885-1894>:飫肥藩主。子爵。1885年(明治18年)から1894年(明治27年)まで鵜戸神宮宮司。
- 3高橋宇太郎()<1894-1909>:1894年(明治27年)6月9日から1909年(明治42年)まで鵜戸神宮宮司。
- 4伊東畯次郎()<1909-1942>:1909年(明治42年)から1942年(昭和17年)まで鵜戸神宮宮司。
- 5永友宗晴()<1942-1948>:1942年(昭和17年)から1948年(昭和23年)まで鵜戸神宮宮司。(略歴は、都農神社#組織を参照)
- 6後藤幸平()<1948-1954>:1948年(昭和23年)から1954年(昭和29年)まで鵜戸神宮宮司。(略歴は、鹿児島神宮#組織を参照)
- 7別所猶一(1894-?)<1954-1967>:1954年(昭和29年)から1967年(昭和42年)まで鵜戸神宮宮司。(略歴は、南洋神社#組織を参照)
- 8長友安美()<1967-1983>:1967年(昭和42年)から1983年(昭和58年)まで鵜戸神宮宮司。(略歴は、都農神社#組織を参照)
- 9佐師朝規()<1983-1998>:1983年(昭和58年)から1998年(平成10年)まで鵜戸神宮宮司。
- 10杉田秀清()<1998-2008>:1998年(平成10年)から2008年(平成20年)まで鵜戸神宮宮司。(略歴は、宮崎神宮#組織を参照)
- 11本部雅裕()<2008-2019>:2008年(平成20年)から2019年(令和1年)まで鵜戸神宮宮司。(略歴は、宮崎神宮#組織を参照)
- 12黒岩昭彦()<2019->:2019年(令和1年)鵜戸神宮宮司。
画像
資料
古典籍
- 『古事類苑』「鵜戸神宮」[2]
- 鵜戸詣道の記
- 鵜戸山年代録
- 鵜戸山縁起
- 鵜戸宮縁起
- 鵜戸山玄深記
- 鵜戸縁起
- 日向記
文献
- 1922「鵜戸神宮之略図」
- 鵜戸神宮1931『鵜戸神宮略記』
- 鵜戸神宮1942『鵜戸の宮居』[3]
- 鵜戸神宮1973『鵜戸神宮』
- 鵜戸神宮1994『鵜戸神宮本殿調査報告書』
- 鵜戸神宮1998『鵜戸神宮御本殿改修記念誌』
- 1932『宮崎県神社誌』「鵜戸神宮」[4]
- 1990「鵜戸神宮の現行舞楽」『季刊南九州文化』
- 佐師朝規1997『鵜戸神宮』
- 後藤保1982『郷土鵜戸の史的歩み』[5]
- 上田篤1982「参道の研究3太陽・鵜戸神宮上」『近代建築』36-9
- 上田篤1982「参道の研究4太陽・鵜戸神宮下」『近代建築』36-10
- 本部雅裕2012『鵜戸山ー「神のみこともち」たらむとして』
- 本部雅裕2012『鵜戸さんーその信仰と伝承』
- 黒岩昭彦2021「桂久武の廃仏毀釈ー鵜戸神宮「白木造三社殿」の来歴」『敬天愛人』39