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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

京都・西光寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年1月29日 (水)

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西光寺の門

西光寺(さいこうじ)は京都府京都市右京区太秦多藪町にある浄土宗寺院。本尊は阿弥陀如来法然の遺骸奉安の旧地。浄土宗知恩院派。山号は来迎山。太秦西光寺。(参考:同名寺院西光寺

歴史

西光寺内の「円光大師遺跡」碑

1227年(安貞1年)、嘉禄の法難で延暦寺衆徒に大谷の墓が壊されそうになった時、一度嵯峨二尊院に移された後、再び追手が来たので広隆寺の来迎房円空のもとに遺骸は預けられた。当時の広隆寺は現在より広大な境内があり、来迎房円空の住房が西光寺の起源という。

文化年間に再建。1906年(明治39年)金照院を合併。1921年(大正10年)には一時尼寺となった。1924年(大正13年)には法然上人二十五霊場に加えられたが、現在は外されているようだ。 (日本歴史地名大系ほか)

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