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東大寺東南院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年12月6日 (土)
(東南院門跡から転送)
東大寺東南院(とうだいじ・とうなんいん)は、奈良県奈良市の東大寺にあった門跡寺院。廃絶。三論宗を標榜。三論宗と真言宗の拠点。東大寺東照宮があった。現在は東大寺本坊となる。東大寺天皇殿、持仏堂がある。東大寺関連旧跡も参照。(参考:同名寺院東南院)
目次 |
歴史
聖宝が貞観17年(875)に建てた薬師堂が起源。別当道義が延喜4年(904)、大安寺の東北にあった佐伯院を薬師堂付近に移転。大仏殿や真言院(南院)の東南にあることから東南院と称した。 延久3年(1071)、東南院住職が三論宗長者も兼ねることとなり元興寺や大安寺の三論宗も管轄した。
寛治2年(1088)2月、白河上皇の高野山行幸の時に御所となって以降、上皇の御所となり南都御所と呼ばれた。後白河法皇の御所、源頼朝の宿所になった。
南都焼き討ちで焼失するが、建久元年(1190)勝賢が再建した。 1315年:醍醐寺と本末を争う[1]
伽藍
組織
歴代
- 1聖宝(832-909)<885-909>:三論宗の僧。修験道当山派(真言修験)の開祖。東大寺東南院や醍醐寺を創建。小野流の開祖。天智天皇の六世孫で幼名を恒蔭王という。空海実弟の真雅に師事する。理源大師。墓所は鳳閣寺聖宝墓(治定外)、沓塚陵墓参考地。
- 2延〓(861-929)<?-929>:東大寺別当41世(924-926)。長統氏。聖宝の弟子。東寺長者法務。醍醐寺座主2世。東南院で死去。
- 3済高(870-942)<929-?>:東寺長者。源多の子。仁明天皇の皇孫。聖宝に密教を学ぶ。910年(延喜10年)初代勧修寺長吏。928年(延長6年)12月30日、金剛峰寺座主(高野春秋)。929年(延長7年)、東南院兼務[2]。「東南院務次第」では東大寺別当になったとするが他書には見えず。『続要録』『真言宗年表』になし。
- 4観理(894-974)<不詳>:平氏。延〓の弟子。東大寺別当54世(969-971)。醍醐寺座主8世。法隆寺別当7世。弟子に法縁、澄心、奝然、明観がいる。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
- 5法縁(911-981)<不詳>:観理に三論宗を学ぶ。醍醐寺9世。法隆寺別当8世。東大寺別当55世・56世(971-?、?-977)。(略歴は醍醐寺#組織参照)
- 6澄心(939-1014)<不詳>:佐伯氏。観理の弟子。東大寺別当65世・66世(1007-?、?-1014)。元興寺別当。
- 7済慶(965-1047)<不詳>:参議藤原有国の子。澄心の弟子。東大寺別当72世(1033-1037)。東南院で死去。
- 8有慶(981-1071)<不詳>:参議藤原有国の子。澄心の弟子。済慶の弟。東大寺別当76世・79世(1051-1054、1067-1071)。元興寺別当。
- 9慶信(1041-1095)<不詳>:権中納言藤原公成の三男。有慶の弟子。東大寺別当81世(1075-1094)。高野山に向かう白河院が東南院に滞在。東南院で死去。
- ?:良覚(1223-?)<不詳>:天台宗延暦寺の僧か。非参議八条実俊の子。徒然草45段に登場。1286年6月16日、護持僧[3]。1293年3月、大し盛光法に出仕し大僧正となる、この時71歳[4]。『諸門跡譜』に記載あり。
- ?:豪因(生没年不詳)<不詳>:天台宗か。権大納言滋野井実国の子。初名は公全。無動寺検校という。『諸門跡譜』に記載あり。
- ?:慈快(1305-1344)<不詳>:天台宗か。曼殊院門跡か。左大臣西園寺公衡の子。『諸門跡譜』に記載あり。
- 10覚樹(1084-1139)<不詳>:平安時代末期の学僧。贈正一位右大臣源顕房の子。慶信の弟子。宋の崇梵が書簡と仏舎利を送り学問興隆を讃えた。大治年間(1126-1131)、東南院に住する。『東大寺辞典』には「東南院の第九代院主」とある。『本朝高僧伝 』に「和州東南院沙門覚樹伝」[5]。
- ?樹朗(生没年不詳)<不詳>:円快の弟子。慶信の孫弟子。『真言宗年表』に記載あり。凝然は三論宗の学匠として永観、珍海、樹朗、重誉を挙げる。1132年12月1日、御堂竪義[6]。
- ?仁澄(1079-1134)<不詳>:天台宗園城寺の僧侶か。摂政関白太政大臣藤原師実の子。『諸門跡譜』では4世とする。『真言宗年表』に記載あり。1134年9月10日死去か。仁証。
- 11慧珍(1118-1169)<不詳>:源顕国の子。覚樹に三論宗を学ぶ。大安寺別当。少僧都。感神僧都と呼ばれた。
- ?顕恵(1116-1175)<不詳>:東大寺別当91世(1166-1175)。1166年(仁安1年)7月5日、東大寺別当。『真言宗年表』に記載あり。
- ?敏覚( ?-1176)<不詳>:東大寺別当92世(1175-1176)。珍海の弟子。永観の孫弟子。1175年(安元1年)3月4日東大寺別当。東大寺衆徒と対立し、別当退陣を迫られた。『真言宗年表』に記載あり。
- 12聖慶(1153-1175)<不詳>:大蔵卿源師行の子[7]。慧珍の弟子。大安寺別当。「和州東大寺沙門聖慶伝」[8]。
- 13道慶(1169-?)<?-1189>:左近衛権中将源有房の子、聖慶の甥。理真の弟子(聖慶の弟子とも)、慶信曽孫弟子。1189年7月15日、勝賢に譲り、高野山に隠棲[9]。浄土教に専念したという。。
- 14勝賢(1138-1196)<1189-?>:少納言藤原通憲(信西)の子。初名は勝憲。1189年7月15日、道慶から譲られる[10]。三宝院門跡5世。醍醐寺座主18・20・22世。東大寺別当97世。東寺二長者。「勝資」。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
- 15定範(1165-1225)<?-1225>:中納言藤原成範の子、勝賢の甥。理真の弟子(勝賢の弟子とも)、慶信の曽孫弟子。醍醐寺座主28世。東大寺別当103世。大安寺別当。1225年(嘉禄1年)2月25日死去。61歳。生前、仁和寺宮に譲る。
- 16道深法親王(1206-1249)<1225-1225>:守貞親王(後高倉院)の第二王子。仁和寺門跡9世。1225年、定範から譲られるが三論宗を修めていない者の就任に南都衆徒が反対し、12月24日辞退[11]。『続要録』になし。
- ?樹慶(生没年不詳)<不詳>:重喜の弟子、理真の孫弟子。弟子に道快、智舜、聖守、定春、定済がいる。『真言宗年表』に記載あり。
- 17道快(1209-1248)<不詳>:藤原道経の子(久我通相の子か)。東寺長者法務。醍醐寺地蔵院を中興。「聖快」「快賢」とも名乗った。
- 18聖実(生没年不詳)<不詳>:関白太政大臣近衛家実の子。母は宇佐公通の娘。道快の弟子。入唐して帰らず。1255年、三論十講を始める[12]。『諸門跡譜』ではなぜか2世とする。
- 19聖兼(1242-1293)<不詳>:関白太政大臣近衛家実の子。聖実の弟。母は藤原忠行の娘。東大寺別当116世・119世(1276-1280、1283-1287)。醍醐寺座主43世。三宝院門跡15世。三論宗長者[13][14]。『続要録』では「聖憲」。『諸門跡譜』ではなぜか3世とする。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
- 20聖忠(1268-1319)<不詳>:関白太政大臣鷹司基忠の子。聖兼の弟子。東大寺別当121世・124世・127世(1288-1291、1296-?、1316-1317)。醍醐寺座主51世。東寺長者法務。三宝院流の東南院方の祖。三論宗長者[15]。東南院で死去。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
- 21(不詳)<>:「東南院務次第」には記されていない。
- 22聖尋(生没年不詳)<不詳>:関白太政大臣鷹司基忠の子。聖忠の弟。南朝につく。元弘の乱で後醍醐天皇と行動を共にして東大寺末寺の笠置寺に移るが、その後消息不明。東大寺別当130世(1322-?)。醍醐寺座主59・61世。三宝院門跡20世。東寺長者。摂嶺院。三論宗長者[16]。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
- 23聖珍法親王(?-1382)<不詳>:伏見天皇皇子。三社託宣を感得したという。東大寺別当132・137・139世(1334-?、1343-?)。三宝院門跡23世。醍醐寺座主69世。東寺長者。三論宗長者[17]。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
- 24聖助(生没年不詳)<不詳>:東大寺別当123世。早逝。1353年5月18日受戒[18]、1355年11月死去[19]の「東南院新宮」に当たるとも。常盤井宮恒明親王の王子か。
- 25観海法親王(生没年不詳)<不詳>:邦世親王王子。後二条天皇の皇曽孫。聖珍法親王の弟子。東大寺別当143世・145世(1385-?、1399-?)。「寛海」とも。三論宗長者[20]。
- 26観覚法親王(?-1418)<不詳>:光厳天皇皇子か。東大寺別当147世(1407-1411?)。三論宗長者[21]。
- 27聖真法親王(生没年不詳)<不詳>:惟明親王の王子か。三宝院門跡9世か。醍醐寺29世か。「聖海」とも。『東南院務次第』では観覚法親王の次代に並べるが、時代が合わない。
- 28珍覚(1421-?)<不詳>:東大寺別当153世(1444-1447)。
- 29覚尋(生没年不詳)<不詳>:東大寺別当158世・161世(1464-1466、1473-1475)。
- 30厳宝(?-1481)<不詳>:一条兼良の子。東大寺別当163世(1466-1467)。随心院門跡26世。東寺長者。
- 31政紹(1466-1491)<不詳>:三宝院門跡29世。醍醐寺座主77世。
- 32恒弘法親王(1431-1509)<不詳>:常盤井宮直明王の王子。東大寺別当155世(1451-1455)。勧修寺門跡。
- 33忠厳(?-1552)<1515-?>:関白九条政忠の子。東大寺別当169世。随心院門跡28世。1515年、東南院を兼務[22]。
- 34増孝(1589-1644)<1606-1644>:関白九条兼孝の子。東大寺別当176世。随心院門跡31世。東寺長者180世。1606年6月5日、東南院を兼務[23]。
- 35栄厳(1622-1664)<1644-1664>:関白九条幸家の子。東大寺別当177世。随心院門跡32世。1644年(正保1年)7月4日東大寺別当。同時に東南院を兼務[24]。三論宗長者[25]。
- 36俊海(1651-1682)<1664-?>:左大臣鷹司教平の子。東大寺別当178世。随心院門跡33世。1664年(寛文4年)7月26日、14歳で東大寺別当となり東南院を兼務[26]。
- 37尊孝法親王(1701-1748)<1722-1748>:伏見宮邦永親王の王子。東大寺別当181世。勧修寺門跡。享保7年12月12日、東南院を兼務[27]。
- 38寛宝法親王(1733-1802)<1748-1774?>:伏見宮貞建親王の第二王子。1748年(寛延1年)6月29日東大寺別当182世。同日東南院を兼務[28]。1774年(安永3年)11月25日、還俗して伏見宮家17代を継ぐ。伏見宮邦頼親王と名乗る。
- 済範法親王(1816-1898)<1840-1842>:伏見宮邦家親王の第一王子。東大寺別当186世。勧修寺門跡。1840年1月、東南院を兼務[29]。1842年7月22日、前年の出奔事件により東南院など全て解職[30]。還俗して山階宮晃親王。
- 増護(1804-1875)<1862-1872>:左大臣二条治孝の子。東大寺別当188世。随心院門跡35世。東寺長者225世。1862年から1872年まで東南院を兼務[31]