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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

正暦寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年5月15日 (火)

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正暦寺(しょうりゃくじ)は、奈良県奈良市にある真言宗寺院。本尊は薬師如来元号寺菩提山真言宗大本山。旧真言宗御室派準別格本山(『真言宗寺院一覧 昭和9年版』)。興福寺関連旧跡春日大社関連旧跡龍華樹院。山号は菩提山(ぼだいせん)。

歴史

「菩提山正暦寺原記」によれば、正暦3年(992)、関白藤原兼家の子の兼俊が創建。興福寺龍華樹院を移したともいう。保安3年(1122)、関白藤原忠通が鳥羽天皇の平癒祈願を行い、康治元年(1142)には忠通が室生寺参詣の途中に立ち寄っている。藤原氏北家の氏寺のように認識されていたという。

治承4年(1180)12月、平重衡の南都焼き討ちで焼失。建保6年(1218)、一乗院門跡大乗院門跡を兼任した興福寺別当の信円が復興。以後、興福寺別院のような位置付けとなる。信円は、伽藍復興に先駆けて文治5年(1189)、拠点として塔頭正願院を創建。弥勒菩薩を祀った。以後、正暦寺の本坊のような存在となり、門跡と呼ばれ、大乗院門跡が兼任した。また法然門下の蓮光が住み 安養院を開いた。以後、法相宗、真言宗、浄土宗を兼学した。寺僧は交代で春日大社に百日参籠した。

康正元年11月11日、本堂など焼失。文明6年4月7日、大門焼失。永正4年、大門以外焼失。天正から文禄頃に興福寺末から離脱。以後、真言宗寺院となる。寛永6年、本堂焼失。文化6年、本堂大破。天保7年、本堂など焼失。文久4年、仮本堂として建てられたのが現在の本堂という。

近代には仁和寺末となるが、戦後独立。菩提山真言宗を称する。 (日本歴史地名大系ほか)

伽藍と塔頭

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%AD%A3%E6%9A%A6%E5%AF%BA」より作成

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