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中山みき旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年5月28日 (月)
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中山みきの生誕地。前川家旧宅。 | 中山みきの生誕地。前川家旧宅。 | ||
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*中山家旧宅([[天理教教会本部神殿]]) 奈良県天理市三島町 大和国山辺郡庄屋敷村 | *中山家旧宅([[天理教教会本部神殿]]) 奈良県天理市三島町 大和国山辺郡庄屋敷村 | ||
- | + | 中山みきが嫁いだ家。現在の'''おぢば'''、神殿の地。中山家は庄屋敷村の庄屋であった。 | |
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- | + | 中山家の菩提寺。中山みきの初葬地。浄土宗五重相伝を受けた。 | |
*[[天理・三島神社]] 奈良県天理市三島町 大和国山辺郡三島村 | *[[天理・三島神社]] 奈良県天理市三島町 大和国山辺郡三島村 | ||
中山家のあった庄屋敷村の氏神。[[石上神宮]]、[[三島大社]]、[[春日大社]]の分社。昭和63年、教会本部施設建設のため現在地に遷座した。 | 中山家のあった庄屋敷村の氏神。[[石上神宮]]、[[三島大社]]、[[春日大社]]の分社。昭和63年、教会本部施設建設のため現在地に遷座した。 | ||
*鏡池 奈良県天理市三島町 大和国山辺郡三島村 | *鏡池 奈良県天理市三島町 大和国山辺郡三島村 | ||
- | + | 三島神社のそばにあった池。'''宮池'''ともいう。中山みきは天啓のあと、苦悶のあまり数度、この池に身を投げようとしたという。平成11年、埋め立てられた。 | |
*[[東大寺]]二月堂 奈良県奈良市 大和国添上郡 | *[[東大寺]]二月堂 奈良県奈良市 大和国添上郡 | ||
東大寺の仏堂の一つ。文政11年(1828)、隣家から預かった乳飲み子が天然痘にかかったとき、平癒祈願に参拝した社寺の一つ。 | 東大寺の仏堂の一つ。文政11年(1828)、隣家から預かった乳飲み子が天然痘にかかったとき、平癒祈願に参拝した社寺の一つ。 | ||
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武蔵町にある弘法大師堂。文政11年(1828)、隣家から預かった乳飲み子が天然痘にかかったとき、平癒祈願に参拝した社寺の一つ。近年改修された。 | 武蔵町にある弘法大師堂。文政11年(1828)、隣家から預かった乳飲み子が天然痘にかかったとき、平癒祈願に参拝した社寺の一つ。近年改修された。 | ||
*水屋敷 奈良県生駒郡安堵町 大和国平群郡安堵村 | *水屋敷 奈良県生駒郡安堵町 大和国平群郡安堵村 | ||
- | + | 中山みきが直接布教した地。文久3年(1863)に腹痛で苦しむ'''飯田岩治郎'''を助けに行き、「安堵の井戸」で「水のさづけ」を行ったため、「水屋敷」と呼ばれた。飯田は熱心な信者となったが、'''水屋敷事件'''を起こし、分派する。現在の[[大道教]]の地。 | |
*[[針ケ別所]] 奈良県奈良市針ケ別所町 大和国山辺郡針ケ別所村 | *[[針ケ別所]] 奈良県奈良市針ケ別所町 大和国山辺郡針ケ別所村 | ||
- | + | 天理教最初の「異端」事件の「'''助造事件'''」の地。慶応元年(1865)、同村の信者・今井助造が、当村こそが「本地」であり、庄屋敷村は「垂迹」であると主張した。中山みきは自ら乗り込み、謝罪させたという。しかし、助造の後継者は、明治以後も「'''天輪王教会'''」として活動していた。戦後、屋敷は取り壊されて現在は空き地となっているという。 | |
*[[古市代官所跡]] 奈良県奈良市古市町 大和国添上郡古市村 | *[[古市代官所跡]] 奈良県奈良市古市町 大和国添上郡古市村 | ||
中山みきが勾留された津藩藤堂家の代官所(奉行所?)跡。現在、土蔵のみが残る。 | 中山みきが勾留された津藩藤堂家の代官所(奉行所?)跡。現在、土蔵のみが残る。 | ||
*[[円照寺]] 奈良県奈良市山町 大和国添上郡山村 | *[[円照寺]] 奈良県奈良市山町 大和国添上郡山村 | ||
- | 中山みきが尋問された[[尼門跡寺院]] | + | 中山みきが尋問された[[尼門跡寺院]]。'''山村御所'''。明治7年(1884)、信者が[[大和神社]]での問答し、[[石上神宮]]の神職が中山家に押しかけた事件を受け、中山みきは奈良県社寺掛からの命令により、12月23日、円照寺に出頭し、稲尾某に尋問を受ける。 |
*[[天理教高安大教会|高安大教会]] 大阪府八尾市教興寺 河内国高安郡教興寺村 | *[[天理教高安大教会|高安大教会]] 大阪府八尾市教興寺 河内国高安郡教興寺村 | ||
- | + | 中山みきが直接布教した地。中山みきが明示した「'''打ち分け場所'''」の一つ。 | |
*([[天理教大県大教会|大県大教会]]) 大阪府柏原市大県 河内国大県郡大県村 | *([[天理教大県大教会|大県大教会]]) 大阪府柏原市大県 河内国大県郡大県村 | ||
中山みきが明示した「打ち分け場所」の一つ。中山みきは直接当地を訪れていないが、便宜上旧跡に含めた。 | 中山みきが明示した「打ち分け場所」の一つ。中山みきは直接当地を訪れていないが、便宜上旧跡に含めた。 | ||
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中山みきが明示した「打ち分け場所」の一つ。中山みきは直接当地を訪れていないが、便宜上旧跡に含めた。 | 中山みきが明示した「打ち分け場所」の一つ。中山みきは直接当地を訪れていないが、便宜上旧跡に含めた。 | ||
*[[奈良監獄署跡]]([[梅谷大教会]]) 奈良県奈良市東笹鉾町 大和国添上郡 | *[[奈良監獄署跡]]([[梅谷大教会]]) 奈良県奈良市東笹鉾町 大和国添上郡 | ||
- | + | 中山みきが勾留された監獄。明治15年(1882)10月から数度勾留された。現在、監獄署跡地の一部が梅谷大教会(もとは京都府木津川市梅谷にあった)の敷地になっている。「'''教祖御苦労の處'''」碑が建てられている。 | |
*[[櫟本分署跡]] 奈良県天理市櫟本町 大和国添上郡櫟本村 | *[[櫟本分署跡]] 奈良県天理市櫟本町 大和国添上郡櫟本村 | ||
- | + | 中山みきが勾留された警察署。最後の「ご苦労」の地。現在、'''八島事件'''で「異端」とされた系統の[[櫟本分署跡保存会]]が当時の建物を保存している。 | |
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+ | *[[大神教]] | ||
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+ | ===墓所・霊廟=== | ||
*善福寺 | *善福寺 | ||
中山みきの初葬地。明治20年(1887年)旧暦1月26日死去。上記参照。 | 中山みきの初葬地。明治20年(1887年)旧暦1月26日死去。上記参照。 | ||
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中山みきの墓所。明治25年(1892)、五年祭で改葬された。代々の真柱や信者の墓地。 | 中山みきの墓所。明治25年(1892)、五年祭で改葬された。代々の真柱や信者の墓地。 | ||
*[[天理教教会本部教祖殿]] 奈良県天理市三島町 | *[[天理教教会本部教祖殿]] 奈良県天理市三島町 | ||
- | + | [[天理教教会本部神殿]]に付属する中山みきを祀る霊殿。「教祖存命の理」によって中山みきは生きているとされる。 | |
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2018年5月28日 (月) 時点における最新版
中山みき旧跡 |
目次 |
概要
中山みきの旧跡。生涯、ほとんど大和国を出なかったので、範囲は限定されている。
一覧
旧跡
- 教祖生誕殿(前川家旧宅) 奈良県天理市三昧田町 大和国山辺郡三昧田村
中山みきの生誕地。前川家旧宅。
- 迎乗寺 奈良県天理市丹波市町 大和国山辺郡丹波市村
中山みきの生家の前川家の菩提寺。浄土宗。
- 中山家旧宅(天理教教会本部神殿) 奈良県天理市三島町 大和国山辺郡庄屋敷村
中山みきが嫁いだ家。現在のおぢば、神殿の地。中山家は庄屋敷村の庄屋であった。
- 天理・善福寺 奈良県天理市勾田町 大和国山辺郡勾田村
中山家の菩提寺。中山みきの初葬地。浄土宗五重相伝を受けた。
- 天理・三島神社 奈良県天理市三島町 大和国山辺郡三島村
中山家のあった庄屋敷村の氏神。石上神宮、三島大社、春日大社の分社。昭和63年、教会本部施設建設のため現在地に遷座した。
- 鏡池 奈良県天理市三島町 大和国山辺郡三島村
三島神社のそばにあった池。宮池ともいう。中山みきは天啓のあと、苦悶のあまり数度、この池に身を投げようとしたという。平成11年、埋め立てられた。
- 東大寺二月堂 奈良県奈良市 大和国添上郡
東大寺の仏堂の一つ。文政11年(1828)、隣家から預かった乳飲み子が天然痘にかかったとき、平癒祈願に参拝した社寺の一つ。
- 稗田大師跡 奈良県大和郡山市稗田町 大和国添上郡稗田村
稗田町にあった弘法大師堂。文政11年(1828)、隣家から預かった乳飲み子が天然痘にかかったとき、平癒祈願に参拝した社寺の一つ。中山みきが深く信仰した像があったという。近年、取り壊されて、所蔵品は近隣の常楽寺(融通念仏宗)に移された。
- 武蔵大師 奈良県天理市武蔵町 大和国式下郡武蔵村
武蔵町にある弘法大師堂。文政11年(1828)、隣家から預かった乳飲み子が天然痘にかかったとき、平癒祈願に参拝した社寺の一つ。近年改修された。
- 水屋敷 奈良県生駒郡安堵町 大和国平群郡安堵村
中山みきが直接布教した地。文久3年(1863)に腹痛で苦しむ飯田岩治郎を助けに行き、「安堵の井戸」で「水のさづけ」を行ったため、「水屋敷」と呼ばれた。飯田は熱心な信者となったが、水屋敷事件を起こし、分派する。現在の大道教の地。
- 針ケ別所 奈良県奈良市針ケ別所町 大和国山辺郡針ケ別所村
天理教最初の「異端」事件の「助造事件」の地。慶応元年(1865)、同村の信者・今井助造が、当村こそが「本地」であり、庄屋敷村は「垂迹」であると主張した。中山みきは自ら乗り込み、謝罪させたという。しかし、助造の後継者は、明治以後も「天輪王教会」として活動していた。戦後、屋敷は取り壊されて現在は空き地となっているという。
- 古市代官所跡 奈良県奈良市古市町 大和国添上郡古市村
中山みきが勾留された津藩藤堂家の代官所(奉行所?)跡。現在、土蔵のみが残る。
- 円照寺 奈良県奈良市山町 大和国添上郡山村
中山みきが尋問された尼門跡寺院。山村御所。明治7年(1884)、信者が大和神社での問答し、石上神宮の神職が中山家に押しかけた事件を受け、中山みきは奈良県社寺掛からの命令により、12月23日、円照寺に出頭し、稲尾某に尋問を受ける。
- 高安大教会 大阪府八尾市教興寺 河内国高安郡教興寺村
中山みきが直接布教した地。中山みきが明示した「打ち分け場所」の一つ。
- (大県大教会) 大阪府柏原市大県 河内国大県郡大県村
中山みきが明示した「打ち分け場所」の一つ。中山みきは直接当地を訪れていないが、便宜上旧跡に含めた。
- (郡山大教会) 奈良県大和郡山市天理町 大和国添下郡?
中山みきが明示した「打ち分け場所」の一つ。中山みきは直接当地を訪れていないが、便宜上旧跡に含めた。
中山みきが勾留された監獄。明治15年(1882)10月から数度勾留された。現在、監獄署跡地の一部が梅谷大教会(もとは京都府木津川市梅谷にあった)の敷地になっている。「教祖御苦労の處」碑が建てられている。
- 櫟本分署跡 奈良県天理市櫟本町 大和国添上郡櫟本村
中山みきが勾留された警察署。最後の「ご苦労」の地。現在、八島事件で「異端」とされた系統の櫟本分署跡保存会が当時の建物を保存している。
墓所・霊廟
- 善福寺
中山みきの初葬地。明治20年(1887年)旧暦1月26日死去。上記参照。
- 豊田山墓地 奈良県天理市豊田町 大和国山辺郡豊田村
中山みきの墓所。明治25年(1892)、五年祭で改葬された。代々の真柱や信者の墓地。
- 天理教教会本部教祖殿 奈良県天理市三島町
天理教教会本部神殿に付属する中山みきを祀る霊殿。「教祖存命の理」によって中山みきは生きているとされる。
画像
参考文献
- 『教祖伝 ゆかりの地を訪ねて』