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建部大社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | 源義仲の入京のとき、義仲軍の太田倉光が本陣を置いた。 | ||
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+ | 応仁文明の乱で山名軍の兵火で焼失。 | ||
+ | 1618年10石。 | ||
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+ | 1724年、現在の社殿建立。 | ||
+ | (『日本歴史地名大系』、『国史大辞典』、由緒書ほか) | ||
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2022年2月6日 (日) 時点における版
建部大社 たけべ たいしゃ | |
概要 | ヤマトタケルを祀る神社。 |
奉斎 | 日本武命 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 滋賀県大津市神領1-16-1 |
所在地(旧国郡) | 近江国滋賀郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 式内社・名神大社・近江国一宮・官幣大社・別表神社 |
関連記事 | 日本武尊旧跡・皇族奉斎神社 |
目次 |
概要
建部大社(たけべ・たいしゃ)は、滋賀県大津市にある日本武尊を祀る神社。旧地の千草嶽(箕作山)に元宮がある。白鳥信仰や熱田神宮の関連で祀られることが多い日本武尊としては異色の神社。式内社・名神大社・近江国一宮・官幣大社・別表神社。
歴史
景行天皇46年、日本武尊妃の布多遅比売命が近江国神崎郡の千草嶽に神霊を祀ったのが起源。祀ったのは王子の建部稲依別王ともいう。 675年、建部公安麿が栗太郡勢多郷大野山に遷座。 755年3月、建部公伊賀麿が近江国府近くの現在地に遷座。 860年3月1日、官社に列格。
863年6月8日、従五位下。 868年7月11日、従四位上。 962年6月9日、正三位。
流罪になる途中の源頼朝が祈願。 源義仲の入京のとき、義仲軍の太田倉光が本陣を置いた。 承久の乱で兵火に見舞われ、 1350年12月、足利直義と守護六角氏の合戦で焼失。 応仁文明の乱で山名軍の兵火で焼失。 1618年10石。 1652年20石。 1724年、現在の社殿建立。 (『日本歴史地名大系』、『国史大辞典』、由緒書ほか)
境内
組織
宮司
- 大神正盈(1834-1904)<>:鞭崎八幡宮の祠官。1834年(天保5年)生。1885年(明治18年)4月、建部神社宮司。1904年(明治37年)12月26日死去。71歳。
- 大神正道()<>:1911年(明治44年)5月、田島神社宮司。
- 笠井喬(?-1931)<1905-1914>:(略歴は、日吉大社#組織を参照)
- 笠川隼之介(生没年不詳)<1920-1927>:生没年不詳。滋賀県出身。1920年(大正9年)建部大社宮司。1927年(昭和2年)御上神社宮司。
- 森口奈良吉(1875-1968)<1936-1947>:1936年(昭和11年)建部神社宮司。1947年(昭和22年)1月、春日大社権宮司。(略歴は、吉田神社#組織を参照)
- 加藤泰朗()<>:
- 平尾千蔵()<>:
画像
資料
- 『滋賀県神社由緒記』「建部神社」[1]