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北畠家

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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北畠家は村上源氏

京都北畠家

  • 村上天皇(926-967):醍醐天皇の第十四皇子。親政を行い、「天暦の治」と呼ばれる。
  • 具平親王(964-1009):村上天皇の第七皇子。歌人。慶滋保胤に師事。陰陽道にも通じたという。著書『弘決外典鈔』は天台宗の仏典の注釈書。
  • 源師房(1008-1077):村上源氏の祖。具平親王の第一王子。藤原頼通の猶子。右大臣。死去日に太政大臣。
  • 源顕房(1037-1094):源師房の次男。鳥羽離宮の西方の久我に別荘を営んだ。娘の賢子が白河天皇中宮となり、堀河天皇の外祖父となり、兄を凌ぐ権勢を築いた。子に定海(真言密教三宝院流の祖、醍醐寺座主、東大寺別当、東寺長者)、隆覚(薬師寺別当、法華寺別当、興福寺別当)、源顕仲(神祇伯)。
  • 源雅実(1059-1127):源顕房の長男。久我家の祖でもある。源氏初の太政大臣。出家して蓮覚と称す。
  • 源雅定(1094-1162):源雅実の次男。右大臣。淳和院奨学院の別当となり以後世襲。出家して法如(蓮如とも)と称す。
  • 源雅通(1118-1175):源顕通の子。叔父源雅定の養子。内大臣。
  • 源通親(1149-1202):源雅通の子。後白河法皇の近臣。源頼朝の信頼も得た。土御門天皇の義理の外祖父。内大臣。久我家、中院家、六条家、岩倉家、千種家、北畠家などが分かれる。
  • 中院通方(1189-1238):源通親の五男。中院家の始祖。大納言。有職故実に通じ『餝抄』の著作がある。
  • 北畠雅家(1215-1275):中院通方の子。北畠家の祖。洛北北畠(現在の京都御苑の北東あたり)に住す。出家して如覚。
  • 北畠師親(1241-1315):北畠雅家の子。亀山上皇の出家に従い、覚円と称す。娘の親子は護良親王の生母。
  • 北畠師重(1270-1322):北畠師親の子。後宇多天皇の出家に従い、経覚(源覚、深覚)と称す。
  • 北畠親房(1293-1354):南朝の公卿・武将。北畠師重の子。後醍醐天皇に仕え、南朝を支えた。法名は宗玄(覚空)。

伊勢北畠家

伊勢国司を世襲。在地の領主・大名としての地位を築きつつ、公卿としての意識も保った。多気御所(多芸御所)と呼ばれた。

  • 1北畠顕能(生没年不詳):親房の子。南朝の伊勢国司となる。
  • 2北畠顕信(生没年不詳):親房の子。顕能の兄。?
  • 3北畠顕泰(生没年不詳):顕信の子。
  • 4北畠満雅(?-1428):顕泰の子。南北朝合一の際の条件不履行に怒り、1414年以後、小倉宮聖承王を奉じてたびたび挙兵。1428年戦死。
  • 5北畠教具(1423-1471):満雅の子。室町幕府に下る。伊勢に逃れてきた赤松教康を殺害。応仁の乱を逃れてきた足利義視(将軍継嗣)の世話をする。
  • 6北畠政郷(1449-1508):教具の子。出家して無外逸方。
  • 7北畠材親(1468-1517):政郷の子。
  • 8北畠晴具(1503-1563):材親の子。
  • 9北畠具教(1528-1576):晴具の子。1569年、織田信長の侵攻を受ける。隠居するが、信長の謀略で暗殺された。
  • 10北畠具房():具教の子。織田信雄(北畠具豊)を養子として迎えさせられる(事実上の乗っ取り)。

関連社寺

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%8C%97%E7%95%A0%E5%AE%B6」より作成

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