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叡尊旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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叡尊(えいそん)(1201-1290)は、真言律宗西大寺流の開祖。大和出身。興福寺の学侶慶玄の子。醍醐寺叡賢に師事。東大寺で自誓受戒。現在の真言律宗西大寺派では宗祖と呼ばれる。思円房興正菩薩叡尊上人思円上人ともいう。

目次

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伊勢神宮 弘正寺


年譜

年譜

  • 1201年(建仁1年)1歳
    • 5月:大和国添上郡箕田(奈良県大和郡山市白土)に生誕。
  • 1212年(建暦2年)12歳
    • (忍性、誕生)
  • 1223年(貞応2年)23歳
    • 故郷に帰る。
  • 1224年(元仁1年)24歳
    • 高野山に入る。
    • 醍醐寺に戻る。
  • 1225年(嘉禄1年)25歳
    • 長岳寺に入る。
  • 1226年(嘉禄2年)26歳
    • 印可を受ける。
  • 1235年(嘉禎1年)35歳
    • 1月16日:西大寺宝塔院に持斎僧として入る。
  • 1236年(嘉禎2年)36歳
    • 9月1日:覚盛、円晴、有厳とともに東大寺法華堂で自誓受戒
    • 12月:西大寺は地頭に占拠され、叡尊は海龍王寺に移る
    • 12月:海龍王寺で良範に初めて菩薩戒を与える。
  • 1238年(暦仁1年)
    • 8月8日:西大寺復興を誓う
    • 10月8日:童子が剃髪。叡性と号す。童子出家の最初。
    • 10月15日:僧食を始める
    • 10月30日:布薩を始める
  • 1239年(延応1年)39歳
    • 1月1修正会復興
    • 1月15日:西大寺鎮守八幡宮に参拝。大茶盛の起源
    • 9月8日:忍性に十重戒
  • 1240年(仁治1年)40歳
    • 3月6日:忍性らに八斎戒
  • 1241年(仁治2年)41歳
    • 曉に霊夢。春日大明神が大変喜んだ
  • 1242年(仁治3年)42歳
    • 額安寺で授戒
    • 長谷寺、壺阪寺でも
  • 1244年(寛元2年)44歳
    • 2月25日:今里野で文殊供養。大規模に
    • 覚盛が西大寺を去り、唐招提寺に移る
  • 1245年(寛元3年)45歳
    • 3月24日:最勝講を再興
    • 4月9日:法華寺で尼僧に戒律
    • 7月:覚如と定舜(俊〓の弟子)を宋に派遣決定
    • 9月16日:叡尊ら住吉大社に参拝
    • 12月25日:真言堂を建立(史実ではないとも)
  • 1246年(寛元4年)46歳
    • 6月22、定舜帰国。覚如は客死
    • 10月8に西大寺帰還。730巻を請来
    • 聖徳太子墓で授戒
    • 土師寺で授戒
  • 1247年(宝治1年)47歳
    • 僧堂を初めて建てる。愛染明王を祀る
  • 1249年(建長1年)49歳
    • 3月13日:叡尊ら、嵯峨清凉寺へ。模刻のため。14-20まで供養
    • 5月5日:西大寺で模刻の開眼法要。施主には忍性の実父もいた
    • 5月20日:覚盛死去
  • 1250年(建長2年)50歳
    • 6月21日:兄の禅心が死去
  • 1251年(建長3年)51歳
    • 河内安楽寺で授戒
  • 1252年(建長4年)52歳
    • 忍性、鎌倉へ
  • 1253年(建長5年)53歳
    • 11月9日:父慶玄が死去。後、父の邸宅を敬田寺とした
  • 1254年(建長6年)54歳
    • 古市西琳寺
    • 真福寺
  • 1255年(建長7年)55歳
    • 般若寺文殊像制作に着手
  • 1256年(康元1年)56歳
    • 法隆寺東院
  • 1257年(正嘉1年)57歳
    • 貝塚地蔵堂
    • 西琳寺、四天王寺
  • 1259年(正元1年)59歳
    • 忍性、北条重時の極楽寺を復興
  • 1261年(弘長1年)61歳
    • 10月8日:北条実時の使者が叡尊を訪問。一切経を西大寺と称名寺に寄進したい。関東下向を願う
  • 1262年(弘長2年)62歳
    • 1月2北条時頼の願いを受け、下向を決める
    • 2月4日:西大寺を出発
    • 2月27日:北条実時の出迎えを受ける
    • 2月28日:鎌倉釈迦堂に入る
    • 最明寺で北条時頼に授戒
    • 8月15日:西大寺に帰る
    • 石清水八幡宮で修法
  • 1264年(文永1年)64歳
    • 9月4日:七日七夜の光明真言会を初めて行う
  • 1266年(文永3年)66歳
    • 法華寺
    • いちいの極楽寺
  • 1267年(文永4年)67歳
    • 4月10日:般若寺で文殊菩薩像に納める大般若経の転読
    • 4月22日:文殊菩薩像完成。叡尊が授戒した人の名を納める
    • 7月25日:開眼法要。28日まで。
  • 1269年(文永6年)69歳
    • 3月11日:文殊供養般若寺で。3万人集まる
    • 8月6日:堀川殿で唐招提寺仏舎利を感得
    • 仏舎利塔建立を発願
  • 1270年(文永7年)70歳
    • 教興寺に参詣
    • 舎利塔供養
    • 西大寺塔院に安置
  • 1271年(文永8年)71歳
    • 2月6日:仏舎利供養
  • 1273年(文永10年)73歳
    • 伊勢神宮参拝
  • 1274年(文永11年)74歳
    • 8月:石清水八幡宮で放生会
    • 10月:文永の役始まる
    • 10月29日:四天王寺で仁王会。亀山天皇行幸?
  • 1275年(建治1年)75歳
    • 3月:伊勢神宮で護国法。鎌倉からもらった大般若経や西大寺の曼荼羅を移して法要
    • 8月:四天王寺で国家安穏の法要
    • 枚岡神社、住吉大社で法要
  • 1277年(建治3年)77歳
    • 儀軌通りの仁王会を始める
  • 1278年(弘安1年)
    • 2月9宝生護国院の斧始
  • 1279年(弘安2年)79歳
    • 9月:北条時宗は元の使者を殺害
  • 1280年(弘安3年)
    • 6月26日:西室(現在の愛染堂の場所にあった)を新築し移住。同時に叡尊像も作られる
  • 1281年(弘安4年)81歳
    • 1月15亀山上皇の命で石清水八幡宮で祈願
    • 16山上で梵網経
    • 20日:最勝王経転読
    • 弘安の役
    • 7月12日:亀山上皇が西室に西大寺行幸。
    • 7月26日:叡尊、石清水八幡宮で祈祷
    • 閏7月7日:祈祷終わる。9日に敵船壊滅の報告
  • 1283年(弘安6年)83歳
    • 2月17東塔の像の修理
    • 2月18宝生護国院の上棟式
    • 12月10日:亀山上皇、西大寺宝生護国院に行幸。一切経転読、宇治橋網代廃止、仙洞御所での講義を懇請
  • 1284年(弘安7年)84歳
    • 1月21日:宇治橋網代停止の院宣旨
    • 3月24日:仙洞御所の持仏堂で菩薩戒を亀山上皇に授戒
    • 4月4-8日:一切経転読
    • 閏4月:講義
    • 後宇多天皇にも授戒
    • 5月円明寺で一条実経の願いで授戒
    • 9月2鉄宝塔完成
  • 1285年(弘安8年)85歳
    • 2月24日:四天王寺別当になる
    • 3月14日:四天王寺に入る
    • 7月23日:一乗寺に出かける
    • 10月12日:亀山上皇、四天王寺行幸
  • 1286年(弘安9年)86歳
    • 2月28日:自伝『金剛仏子叡尊感身学正記』を編纂。発病した昨年11月14日から書き始めた。3月14日修正
    • 11月19日:橋寺と宇治橋の修理完成
  • 1288年(正応1年)88歳
    • 海龍王寺修復
  • 1289年(正応2年)89歳
    • 京都十一面堂の十一面観音を修理し、四王堂に祀る
  • 1290年(正応3年)90歳。9万7710人に菩薩戒を授けた(『興正菩薩行実年譜』)
    • 8月25日:死去
    • 8月27日:葬儀

死後

  • 1300年(正安2年)7月4日:亀山上皇、院宣で「興正菩薩」号を下賜。
  • 1300年(正安2年)閏7月3日:伏見天皇、綸旨で「興正菩薩」号を下賜。
  • 1688年(元禄1年)、臨済僧の高泉性〓(1633-1695、宇治・万福寺住職)、「南都西大寺睿尊伝」を含む『東国高僧伝』を編纂、刊行。
  • 1689年(元禄2年):近江・安養寺中興の戒山慧堅、「南都西大寺興正菩薩伝」を含む『律苑僧宝伝』を刊行。
  • 1702年(元禄15年):臨済宗の卍元師蛮、「和州西大寺沙門叡尊伝」を含む『本朝高僧伝』を編纂。
  • 元禄年間:浄住寺慈光が『西大勅謚興正菩薩行実年譜』を編纂。
  • 1819年(文政2年):この年までに『群書類従』の「興正菩薩伝」が刊行される。
  • 1990年(平成2年):西大寺、700年遠忌法要を執行。

伝記

  • 『金剛仏子叡尊感身学正記』(『学正記』):1286年(弘安9年)編纂。叡尊が86歳の時に自ら編纂した。内容は極めて正確で、伝記にありがちな誇張もないという。西大寺に最古の写本(1359年(正平14年/延文4年))が伝わっている。奈良国立文化財研究所編1956『西大寺叡尊伝記集成』大谷出版社、長谷川誠編1990『興正菩薩御教誡聴聞集・金剛仏子叡尊感身学正記(読み下し・口語訳・影印本)』西大寺、細川涼一訳注1999『感身学正記1』平凡社東洋文庫664(続刊未刊)に所収。また松尾剛次研究室ウェブサイトに全文が掲載されている[1]
  • 「関東往還記」:1262年(弘長2年)の成立。叡尊の鎌倉下向について随行した弟子性海(1235-1290頃)が記した日記。原本は現存しない。元来は金沢文庫にあった写本が前田家を経て尊経閣文庫に伝えられている。まとまった唯一の伝本。一部のみ残存し、前後を欠いている。1262年(弘長2年)2月5日~7月30日を収録。北条時頼や実時との交渉が記録されている。鎌倉で叡尊、忍性らが武士や庶民に授戒したり、法要を行ったり、病者や貧困者を救済した活動が記される。国書刊行会編1911『史籍雑纂 第1』、関靖編1934『校訂増補 関東往還記』便利堂、『西大寺叡尊伝記集成』、細川涼一訳注2011『関東往還記』平凡社東洋文庫803に所収。
  • 「関東往還前記」:「関東往還記」の断片。昭和初期に金沢文庫で称名寺伝来の古文書の中から発見され、同題が付けられた。尊経閣文庫本には失われた首部の一部と見られている。1261年(弘長1年)12月28日~翌年2月2日を収録。金沢文庫蔵。『西大寺叡尊伝記集成』に所収。
  • 『西大勅謚興正菩薩行実年譜』:江戸時代の元禄年間に浄住寺慈光が30年以上かけて編纂。本編3巻、附録2巻。『学正記』を基礎に、同書にない史料を多く掲載しているが、正確性については一部疑問もあるという。写本は西大寺と教興寺にあるという。1915『西大勅諡興正菩薩年譜』西大寺、『西大寺叡尊伝記集成』に所収。
  • 『洛西葉室山浄住寺開山興正菩薩略年譜』:元禄年間の近い時期に編纂。浄住寺と叡尊との関係を中心にまとめられたもの。宮内庁蔵。『西大寺叡尊伝記集成』に所収。
  • 『西大寺叡尊遷化之記』:極楽寺蔵。「西大寺叡尊上人遷化之記并嘆徳記」も同じものと思われる。熊原雅夫翻刻1957「西大寺叡尊上人遷化之記并嘆徳記」(『南都佛教』4号)、『西大寺叡尊伝記集成』に所収。
  • 「南都西大寺興正菩薩伝」:近江・安養寺中興の戒山慧堅(1649-1704)が1689年(元禄2年)に編纂した律僧360人余りの伝記集『律苑僧宝伝』の巻第12に収録。戒山慧堅は野中寺慧猛の弟子。『西大寺叡尊伝記集成』に所収。『律苑僧宝伝』は、関口靜雄・山本博也編2007『律苑僧宝伝』(昭和女子大学近代文化研究所、唐招提寺・律宗戒学院叢書第2集)として刊行。
  • 「南都西大寺睿尊伝」 :臨済僧の高泉性〓(1633-1695、万福寺住職)が1688年(元禄1年)に編纂した僧侶伝集『東国高僧伝』巻第10に収録。『西大寺叡尊伝記集成』に所収。『東国高僧伝』は、仏書刊行会編1931『大日本仏教全書』第104冊に収録。
  • 「興正菩薩伝」 :増上寺貞誉が所蔵していた書。塙保己一が編纂した『群書類従』「伝部69」に収録。『西大寺叡尊伝記集成』に所収。『群書類従』経済雑誌社本は国会図書館デジタルコレクション[2]で公開されている。
  • 「和州西大寺沙門叡尊伝」:臨済宗の卍元師蛮が1702年(元禄15年)に編纂した『本朝高僧伝』巻第59に収録。『西大寺叡尊伝記集成』に所収。『本朝高僧伝』の国文学研究資料館所蔵本が同館のデータベースで公開されている[3]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%8F%A1%E5%B0%8A%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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