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大町・専修寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
専修寺(せんじゅじ)は、越前国足羽郡大町(福井県福井市)にあった浄土真宗の本山級寺院。大町門徒(三門徒)の発祥地。開山は如導。廃絶。現在の勝授寺が後継寺院とされる。跡地には如導の墓所がある。大町専修寺。大町道場。(参考:同名寺院専修寺_(同名))
目次 |
歴史
創建
開山は和田門徒円善門下の如導。専照寺の伝承では如導は弘安8年(1285)、越前に来て波多野通貞から帰依。正応3年(1290)8月に専修寺を建てたと伝える。ただ『存覚一期記』などによると、如導は応長元年(1311)5月、存覚と共に大町専修寺に滞在した本願寺3世覚如から『教行信証』の伝授を受けたとされる。高田門徒の専修寺4世専空が越前国坂井郡熊坂(福井県あわら市)に建てた熊坂道場を如導が大町に移したともいう(『大谷遺蹟録』)。
分立と中絶
多くの門弟と末寺を擁して発展するが、長男良如は浄土宗に帰参。次男の如浄が2世を継ぐが、浄土宗との間で揺れたため、康安2年(1362)、如導弟子の道性が如浄を批判。3世良全の時代にもこの傾向は続いたため、至徳2年(1385)頃、道性の証誠寺が分立した。「横越大町引分」と呼ばれる事件である。証誠寺からはさらに毫摂寺と誠照寺が分立した。 この時期、本願寺教団とは一線を画して活動し、一向一揆と対立する朝倉氏の庇護を受けたため、一向一揆とも交戦する。
ついで永享7年(1435)、教義が浄土宗西山派に近づいたとされ、本願寺から破門されたという。この本願寺の処分を寺内から主導したグループが分裂して創建したのが専照寺と考えられている(小泉義博説)。そして年代は不明だが、4世某が突然還俗。事実上専修寺は中絶した。如導の木像が捨て置かれた有様だったという。『中野物語』は朝倉氏とのトラブルが原因ともいう。
本願寺帰参と加賀移転
法系が近い勝鬘寺高珍が兼務し、入寺。高珍は吉崎御坊にいた蓮如を訪ね帰依。以後は三門徒でなく本願寺教団の一員として行動することとなる。 蓮如の周旋で西光寺永存の三男蓮慶が高珍の娘と結婚して継承した。 蓮慶はまもなく大野郡中野村を経て加賀国石川郡諸江村に移転。 年代ははっきりしないが、文明15年(1483)には諸江にいたという。 天正2年(1574)、越前国から一向一揆持ちの国となると、専修寺は越前に帰還。 天正3年、鉢伏山に籠り織田信長軍と衝突し、住職賢会の討死で滅亡した。
滅亡後
旧末寺の多くは京都・興正寺末となった。 子の唯賢(1562-1621)らは越前を脱出し、諸江坊に避難。天正10年(1582)織田信長が討たれると、活動を再開。天正17年(1589)頃、越前国に帰還し、本願寺顕如に帰依して勝授寺として再興した。 一方、大町の寺跡には了願という僧が庵を建て、慶安5年(1652)興正寺末となる。正徳3年(1713)正覚寺の寺号を得た。 また承応3年(1654)8月、専照寺が専修寺跡地に如導の墓を建立した。
伽藍
塔頭
一老として瑞応寺があった。
歴代
- 1如導(1253-1340):
- 2如浄(?-1375):如導の次男。兄の良如は浄土宗に帰して敦賀・西福寺を建てたため、次男が継いだ。
- 3良金(1341-1404):如浄の子。専照寺の伝承にいう「了泉」のことで「良金」は「良全」の誤りという(小泉論文)。
- 4某():還俗して大町助四郎を名乗る。
- 高珍():勝鬘寺住職。兼務。
- 5蓮慶(-1504):鯖江西光寺永存の三男。母は如祐尼(蓮如の妹)。高珍娘と結婚。本願寺6世巧如の曽孫にあたる。本願寺蓮如に帰参。
- 6顕誓(1488-1529):蓮慶の次男。
- 7興預():勝鬘寺了顕の三男。顕誓の甥。顕誓娘の妙忍尼と結婚。諸江坊賢了の兄。誓玄。
- 大弐:諸江坊賢了。
- 賢会():最後の住職。初名は唯受。興預の甥。賢了の子。鉢伏山に一向一揆の一員として籠城したが、織田信長軍の攻撃で天正3年8月17日、討死。
(日本歴史地名大系) (大町専修寺の研究)
資料
古典籍
- 中野物語
- 反古裏書
- 越前三門徒法脈
- 存覚袖日記
- 存覚上人一期記:常楽台主老衲一期記
- 三門徒派専照寺歴代系図
- 勝授寺文書
- 「上野誠照寺親鸞聖人御伝絵」:江戸時代中期。
- 「鯖江本山誠照寺史料」[1]
- 「誠照寺文書」(『真宗史料集成』第4巻)
- 鯖江市史、福井県史にも収録
文献
- 『日本仏教基礎講座』
- 小泉義博1996「大町専修寺の歴史」[2]
- 藤季涳1935『愚暗記返札の研究』[3]
- 井上鋭夫1968「北陸教団の展開」
- 重松明久1973「秘事法門の思想的系譜 越前を中心として」
- 1979「越前における真宗の発展と真宗三門徒派について」[4]
- 1911「越前三門徒四箇本山考」[5]
- 2007『真宗山元派本山證誠寺史』
- 1961『眞宗三門徒派本山專照寺開基如導上人傳並ニ寺傳』[6]
- 1933『秘事法門の研究』[7]
- 1934『真宗と越前』[8]
- 『真宗全史』[9]
- 1980『越前・若狭一向一揆関係資料集成』[10]
- 1956『真宗教学史研究3 真宗異義異安心の研究』[11]
- 1987『真宗出雲路派第二十五代法主伝灯奉告法要記念集』
- 2017『たゞ唯念佛して 藤光永猊下ご一生のみ跡』
- 1937『如意経 祖父善興三十三回忌・父善祐二十五回忌に際して』
- 1995「真宗誠照寺派伝 『勧化抄』 の研究」
- 1981「鯖江市誠照寺のお廻り 美濃徳山村における習俗を中心に」
- 1911『誠照寺史要』[12]
- 1968『誠照寺史』[13]
- 1968「奥越の道場について 特に奥美の地域も合めて誠照寺派本山の「お巡り」について」[14]
- 1974「親鸞の三男、益方入道が鯖江の誠照寺の開祖になったか」[15]
- 1996「鯖屋誠照寺・中野専照寺の成立」上下[16][17]
- 1996「鯖江御本山・誠照寺の秘佛と太田氏」『鯖江郷土史懇談会会誌』4
- 1999『真宗誠照寺派の寺宝展』[18]
- 機関紙『誠照』:休刊。