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正暦寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年9月30日 (木)

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== 歴史 ==
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「菩提山正暦寺原記」によれば、正暦3年(992)、関白藤原兼家の子の兼俊が創建。[[興福寺龍華樹院]]を移したともいう。保安3年(1122)、関白藤原忠通が[[鳥羽天皇]]の平癒祈願を行い、康治元年(1142)には忠通が[[室生寺]]参詣の途中に立ち寄っている。藤原氏北家の氏寺のように認識されていたという。
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「菩提山正暦寺原記」によれば、992年(正暦3年)、関白藤原兼家の子の兼俊が創建。[[興福寺龍華樹院]]を移したともいう。1122年(保安3年)、関白藤原忠通が[[鳥羽天皇]]の平癒祈願を行い、1142年(康治1年)には忠通が[[室生寺]]参詣の途中に立ち寄っている。藤原氏北家の氏寺のように認識されていたという。
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治承4年(1180)12月、[[平重衡]]の南都焼き討ちで焼失。建保6年(1218)、[[一乗院門跡]]と[[大乗院門跡]]を兼任した[[興福寺]]別当の信円が復興。以後、興福寺別院のような位置付けとなる。信円は、伽藍復興に先駆けて文治5年(1189)、拠点として塔頭[[正暦寺正願院|正願院]]を創建。[[弥勒菩薩]]を祀った。以後、正暦寺の本坊のような存在となり、[[門跡]]と呼ばれ、[[大乗院門跡]]が兼任した。また[[法然]]門下の蓮光が住み
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1180年(治承4年)12月、[[平重衡]]の南都焼き討ちで焼失。1218年(建保6年)、[[一乗院門跡]]と[[大乗院門跡]]を兼任した[[興福寺]]別当の信円が復興。以後、興福寺別院のような位置付けとなる。信円は、伽藍復興に先駆けて1189年(文治5年)、拠点として塔頭[[正暦寺正願院|正願院]]を創建。[[弥勒菩薩]]を祀った。以後、正暦寺の本坊のような存在となり、[[門跡]]と呼ばれ、[[大乗院門跡]]が兼任した。また[[法然]]門下の蓮光が住み
安養院を開いた。以後、[[法相宗]]、真言宗、[[浄土宗]]を兼学した。寺僧は交代で[[春日大社]]に百日参籠した。
安養院を開いた。以後、[[法相宗]]、真言宗、[[浄土宗]]を兼学した。寺僧は交代で[[春日大社]]に百日参籠した。
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康正元年11月11日、本堂など焼失。文明6年4月7日、大門焼失。永正4年、大門以外焼失。天正から文禄頃に興福寺末から離脱。以後、真言宗寺院となる。寛永6年、本堂焼失。文化6年、本堂大破。天保7年、本堂など焼失。文久4年、仮本堂として建てられたのが現在の本堂という。
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1455年(康正1年)11月11日、本堂など焼失。1474年(文明6年)4月7日、大門焼失。1507年(永正4年)、大門以外焼失。天正から文禄頃に興福寺末から離脱。以後、真言宗寺院となる。1629年(寛永6年)、本堂焼失。1809年(文化6年)、本堂大破。1836年(天保7年)、本堂など焼失。1864年(元治1年)、仮本堂として建てられたのが現在の本堂という。
近代には[[仁和寺]]末となるが、戦後独立。菩提山真言宗を称する。
近代には[[仁和寺]]末となるが、戦後独立。菩提山真言宗を称する。
(日本歴史地名大系ほか)
(日本歴史地名大系ほか)
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==伽藍と塔頭==
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==伽藍==
*本堂:
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*六所神社:春日神社に合祀。
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==子院==
*[[正願院]]:
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*[[正暦寺大坊|大坊]]:[[修験道]][[当山派]][[正大先達]]の一つ。
*[[正暦寺大坊|大坊]]:[[修験道]][[当山派]][[正大先達]]の一つ。
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*迎接院:
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*福寿院:
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[[Category:奈良県]]
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2021年9月30日 (木) 時点における最新版

正暦寺(しょうりゃくじ)は、奈良県奈良市にある真言宗寺院。本尊は薬師如来元号寺菩提山真言宗大本山。旧真言宗御室派準別格本山(『真言宗寺院一覧 昭和9年版』)。興福寺関連旧跡春日大社関連旧跡龍華樹院。山号は菩提山(ぼだいせん)。

歴史

「菩提山正暦寺原記」によれば、992年(正暦3年)、関白藤原兼家の子の兼俊が創建。興福寺龍華樹院を移したともいう。1122年(保安3年)、関白藤原忠通が鳥羽天皇の平癒祈願を行い、1142年(康治1年)には忠通が室生寺参詣の途中に立ち寄っている。藤原氏北家の氏寺のように認識されていたという。

1180年(治承4年)12月、平重衡の南都焼き討ちで焼失。1218年(建保6年)、一乗院門跡大乗院門跡を兼任した興福寺別当の信円が復興。以後、興福寺別院のような位置付けとなる。信円は、伽藍復興に先駆けて1189年(文治5年)、拠点として塔頭正願院を創建。弥勒菩薩を祀った。以後、正暦寺の本坊のような存在となり、門跡と呼ばれ、大乗院門跡が兼任した。また法然門下の蓮光が住み 安養院を開いた。以後、法相宗、真言宗、浄土宗を兼学した。寺僧は交代で春日大社に百日参籠した。

1455年(康正1年)11月11日、本堂など焼失。1474年(文明6年)4月7日、大門焼失。1507年(永正4年)、大門以外焼失。天正から文禄頃に興福寺末から離脱。以後、真言宗寺院となる。1629年(寛永6年)、本堂焼失。1809年(文化6年)、本堂大破。1836年(天保7年)、本堂など焼失。1864年(元治1年)、仮本堂として建てられたのが現在の本堂という。

近代には仁和寺末となるが、戦後独立。菩提山真言宗を称する。 (日本歴史地名大系ほか)

伽藍

  • 本堂:
  • 六所神社:春日神社に合祀。

子院

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%AD%A3%E6%9A%A6%E5%AF%BA」より作成

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