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正暦寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年9月30日 (木)
正暦寺(しょうりゃくじ)は、奈良県奈良市にある真言宗寺院。本尊は薬師如来。元号寺。菩提山真言宗大本山。旧真言宗御室派準別格本山(『真言宗寺院一覧 昭和9年版』)。興福寺関連旧跡・春日大社関連旧跡。龍華樹院。山号は菩提山(ぼだいせん)。
歴史
「菩提山正暦寺原記」によれば、992年(正暦3年)、関白藤原兼家の子の兼俊が創建。興福寺龍華樹院を移したともいう。1122年(保安3年)、関白藤原忠通が鳥羽天皇の平癒祈願を行い、1142年(康治1年)には忠通が室生寺参詣の途中に立ち寄っている。藤原氏北家の氏寺のように認識されていたという。
1180年(治承4年)12月、平重衡の南都焼き討ちで焼失。1218年(建保6年)、一乗院門跡と大乗院門跡を兼任した興福寺別当の信円が復興。以後、興福寺別院のような位置付けとなる。信円は、伽藍復興に先駆けて1189年(文治5年)、拠点として塔頭正願院を創建。弥勒菩薩を祀った。以後、正暦寺の本坊のような存在となり、門跡と呼ばれ、大乗院門跡が兼任した。また法然門下の蓮光が住み 安養院を開いた。以後、法相宗、真言宗、浄土宗を兼学した。寺僧は交代で春日大社に百日参籠した。
1455年(康正1年)11月11日、本堂など焼失。1474年(文明6年)4月7日、大門焼失。1507年(永正4年)、大門以外焼失。天正から文禄頃に興福寺末から離脱。以後、真言宗寺院となる。1629年(寛永6年)、本堂焼失。1809年(文化6年)、本堂大破。1836年(天保7年)、本堂など焼失。1864年(元治1年)、仮本堂として建てられたのが現在の本堂という。
近代には仁和寺末となるが、戦後独立。菩提山真言宗を称する。 (日本歴史地名大系ほか)
伽藍
- 本堂:
- 六所神社:春日神社に合祀。
子院
- 正願院:
- 大坊:修験道当山派正大先達の一つ。
- 宝蔵院:修験道当山派十二正大先達の一つ。
- 実相院:修験道当山派十二正大先達の一つ。
- 安養院:法然門下の蓮光が住み、浄土教の拠点となる。
- 迎接院:
- 福寿院: