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総持寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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総持寺(そうじじ)は、神奈川県横浜市鶴見区にある、曹洞宗の本山寺院。曹洞宗大本山。元は石川県にあり、旧地に総持寺祖院がある。総持寺関連旧跡も参照。(参考 同名寺院総持寺 (同名))
目次 |
伽藍
名称 | エリア | 本尊など | 概要 |
---|---|---|---|
三松関 | 参道 | 総門。1920年(大正9年)建立。 | |
三門 | 参道 | 金剛力士・放光菩薩など | 1969年(昭和44年)建立。木原造林社長の木原崇雲(木原豊次郎)が寄進。鉄筋コンクリート造。左右に金剛力士像。楼上には放光菩薩、十六羅漢、四天王を祀る。放光菩薩は日本曹洞宗独自の尊格で、観音菩薩と地蔵菩薩の組み合わせを呼ぶ。山門とも。 |
延命地蔵 | 参道 | 地蔵菩薩 | 三松関の脇にある。祖院にある三味線地蔵に当たるという。 |
鶴見大学 | 参道 | ||
鶴見大学歯学部付属病院 | 参道 | ||
三松閣 | 三松閣周辺 | 釈迦如来 | 地上4階、地下2階の大型の檀信徒施設。4階には大講堂があり釈迦如来を祀る。1990年(平成2年)建立。 |
香積台 | 三松閣周辺 | 大黒天 | 庫院。参拝者の総受付。巨大な大黒天像を祀る。大広間がある。1920年(大正9年)建立。 |
慈峰閣 | 三松閣周辺 | 総合寺務室。近代的なビル。地上4階地下2階。2006年(平成18年)11月5日、竣工。1階に典座寮・直歳寮・布教教化部があり、2階に副監院寮・尚事寮・録事寮・知庫寮があり、3階4階には東部役寮・修行僧部屋がある。 | |
天真閣 | 三松閣周辺 | 新接賓。元は3階建てだったが2階建てに改修された。コンクリート造の1階の上に木造建築が乗る。大広間や直歳寮の詰所がある。1937年(昭和12年)建立。2015年(平成27年)9月30日修復。 | |
白字館 | 三松閣周辺 | 現在の慈峰閣の場所にあった。 | |
祥雲閣 | 三松閣周辺 | 1915年(大正4年)建立。石川県七尾市の神野家の奥座敷を移転。2015年(平成27年)9月30日修復。 | |
「旧成願寺跡地」碑 | 三松閣周辺 | 三松閣の裏にある。再建のために境内地を献納した武蔵・成願寺の旧地を示す石碑。 | |
勅使門 | 仏殿周辺 | 1925年(大正14年)建立。1999年(平成11年)改修。向唐門ともいう。 | |
仏殿 | 仏殿周辺 | 釈迦如来 | 総持寺の本堂。本尊は釈迦如来。脇侍として迦葉と阿難を祀る。また禅宗開祖の達磨、曹洞宗独自の護法神である大権修理菩薩、曹洞宗開祖の洞山良价、道元の師の天童如浄も祀る。1915年(大正4年)建立。大雄宝殿。参道に向唐門(勅使門)や玉兔門・中雀門・金鶏門がある。「大雄宝殿」ともいう。地下通路で大祖堂とつながる。 |
大祖堂 | 仏殿周辺 | 瑩山紹瑾・道元・峨山韶碩 | 本尊は瑩山紹瑾・道元・峨山韶碩。法堂と開山堂を兼ねる。仏殿より大きく、主だった法要がここで行われる。コンクリート造。1965年(昭和40年)建立。内陣奥には伝灯院と呼ばれる場所があり、歴代の位牌を祀る。地下部分は1974年(昭和49年)建立。地下にある客殿を瑞応殿と呼ぶ。地下通路で仏殿とつながる。 |
御霊殿 | 仏殿周辺 | 後醍醐天皇など | 後醍醐天皇などを祀る。1937年(昭和12年)創建。 |
歴代住職墓地 | 仏殿周辺 | ||
紫雲台 | 紫雲台周辺 | 表方丈。一般僧侶や檀信徒が総持寺住職に謁見するための大書院。紫雲台は総持寺住職の尊称にもなっている。紫雲庭や茶室倚松庵がある。2019年(令和1年)10月7日修復落慶。 | |
倚松庵 | 紫雲台周辺 | 茶室。1935年(昭和10年)建立。大野純阿らが寄進し、高橋義雄が設計した。 | |
待鳳館 | 紫雲台周辺 | 迎賓館。1915年(大正4年)竣工。1923年(大正12年)の関東大震災で玄関を残し倒壊。1957年(昭和32年)、千駄ケ谷にあった尾張徳川家旧書院を移築。 | |
監院寮 | 紫雲台周辺 | ||
跳龍室 | 紫雲台周辺 | 総持寺住職の居館。侍局。「表方丈の間」と内寮がある。跳龍室とも呼ばれる。1994年(平成6年)竣工。 | |
汲古室 | 紫雲台周辺 | ||
四安楽 | 紫雲台周辺 | ||
大僧堂 | 僧堂周辺 | 文殊菩薩 | 本尊は僧形文殊菩薩。僧侶の修行のための僧堂。雲堂とも。1937年(昭和12年)建立。 |
衆寮 | 僧堂周辺 | 准胝観音 | 本尊は准胝観音。脇侍は難陀龍王と跋難陀龍王。元は僧侶の修行のための僧堂だったが現在は一般向けの坐禅堂として使われている。1915年(大正4年)建立。 |
伝光閣 | 僧堂周辺 | 衆寮の背後にある。役寮老師の控室、看読寮、大講堂、宿泊所などがある。2011年(平成23年)竣工。 | |
放光堂 | 僧堂周辺 | 旧大祖堂。1911年(明治44年)11月5日、能登から鶴見に移転して最初に建てられた仏堂。総穏寺から本堂が寄進され移築された。現在は檀信徒の位牌を祀る。 | |
仮真殿 | 僧堂周辺 | 旧開山堂。放光堂の背後にある。鶴見移転時から1965年(昭和40年)の大祖堂竣工までの間、歴代住職の真牌を祭り、開山堂として用いられた。現在は位牌堂となった。 | |
常照殿 | 僧堂周辺 | 納骨堂。植民地朝鮮での日本人納骨堂の遺骨をソウルから奉遷して仮に納めた。1972年(昭和47年)4月6日、爆破テロにあった。 | |
納骨塔 | 僧堂周辺 | 被災の霊骨を祀る | |
鐘鼓楼 | 僧堂周辺 | 1915年(大正4年)建立。 | |
虎嘯窟 | 僧堂周辺 | 1911年(明治44年)総穏寺書院を移築して建立。2019年(令和1年)10月7日修復落慶。 | |
鶴翔寮 | 僧堂周辺 | 虎嘯窟に隣接。2009年(平成21年)竣工。学生僧侶の寮。 | |
嫡々庵 | 僧堂周辺 | 総持寺の宝物館。1974年(昭和49年)開館。当初は「宝物殿」と称したが現在は宝蔵館「嫡々庵」と称す。 | |
鶴見事故慰霊碑 | 僧堂周辺 | 1963年(昭和38年)11月9日、鶴見駅事故が発生し161人が死亡した。1964年(昭和39年)11月9日、「鶴見事故慰霊碑建立の会」が慰霊碑を建立した。 | |
放光観音 | 僧堂周辺 | 観音菩薩 | 交通安全祈願の観音像。1925年(大正14年)伊東忠太が設計して造立。初代の像は金属供出でなくなったが台座は当時のもの。1965年(昭和40年)再建。 |
梅寿庵 | 三宝殿周辺 | 阿弥陀如来 | 阿弥陀如来と地蔵願王大菩薩を祀る。水子供養の場。 |
桜木観音 | 三宝殿周辺 | 観音菩薩 | 1951年(昭和26年)4月24日に国鉄桜木町駅で起きた事故で103人が死亡した。1952年(昭和27年)4月24日、東京駅長と国労委員長が発起人となり観音像を建立。彫刻家赤堀信平が造立。朝比奈宗源が揮毫。 |
三宝殿 | 三宝殿周辺 | 三宝荒神 | 三宝荒神を祀る鎮守社。総持寺3世の太源宗真が勧請したという。1942年(昭和17年)再建。 |
穴熊稲荷神社 | 三宝殿周辺 | 稲荷神 | 稲荷信仰の鎮守社。 |
大梵鐘 | 三宝殿周辺 | 1913年(大正2年)建立。 | |
平成救世観音 | 三宝殿周辺 | 救世観音 | 2007年(平成19年)6月に仏殿横に建立。2013年(平成25年)3月に三宝殿あたりの高台に移設。東日本大震災犠牲者の供養の場としているようだ。 |
鶴見大学仏教文化研究所 | その他 | 1995年(平成7年)設立。 | |
三松幼稚園 | その他 | 1956年(昭和31年)開園。 | |
鶴見大学付属高校 | その他 | 1924年(大正13年)開校。 | |
総持寺幼稚園 | その他 | 1943年(昭和18年)開園。 | |
総持寺本町通保育園 | その他 | 2012年(平成24年)開園。 | |
成願寺 | その他 |
組織
住職(中世)
- 1瑩山紹瑾(1268-1325):
- 2峨山韶碩(1275-1365):
- 3太源宗真(?-1371):
- 4無端祖環(?-1387):
- 5通幻寂霊(1322-1391):
- 6太山如元(生没年不詳):
- 7無端祖環(?-1387):
- 8大徹宗令(1333-1408):
- 9実峰良秀(1318-1405):
- 10竹堂了源():
『岳山史論』[1]
輪番住職
開山瑩山紹瑾、二祖峨山韶碩の後は、普蔵院、妙高庵、洞川庵、伝法庵、如意庵が輪番で住職を務めた。「総持寺住山記」に4万9766世まで残されているという。そのうち『江戸時代洞門政要』[2]に1587年(天正15年)2月2日入寺の第1890世まで掲載されている。
独住
- 明治になり輪番制度は廃止された。
- 現在は貫首と呼ぶ。永平寺貫首と2年交代で曹洞宗管長を務める。御殿の名前から「紫雲台」(紫雲台猊下)と呼ばれる。
独住 | 僧名 | 姓名 | 勅特賜・諡号・称号 | 生没年 | 在職年 | 備考 |
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1 | 旃崖奕堂 | 諸岳奕堂 | 弘済慈徳禅師 | 1805-1879 | 1870-1879 | 尾張国出身。俗姓は平野。1805年(文化2年)生。山科大空寺、前橋龍雲院、金沢天徳院を歴任。1870年(明治3年)7月、総持寺独住1世に就任。1879年(明治12年)8月24日死去。75歳。(日本人名大辞典) |
2 | 大岡楳仙 | 畦上楳仙 | 法雲普蓋禅師 | 1825-1901 | 1880-1901 | 信濃国下高井郡夜間瀬出身。1825年(文政8年)7月15日生。駒込栴檀林で学ぶ。信濃の興隆寺、大林寺、長国寺、前橋の龍海院、相模の最乗寺などに歴住。1880年(明治13年)2月総持寺貫首に就任。翌年曹洞宗管長。在職中、大火災で伽藍焼失。1901年(明治34年)、茗荷谷林泉寺に引退。同年12月27日死去。77歳。(日本大百科全書、日本人名大辞典) |
3 | 穆山瑾英 | 西有穆山 | 直心浄国禅師 | 1821-1910 | 1901-1905 | 陸奥国八戸出身。俗姓は笹本。1821年(文政4年)10月23日生。陸奥法光寺、札幌中央寺、可睡斎を歴任。1900年(明治33年)横浜に西有寺を創建。1901年(明治34年)3月15日総持寺貫首に就任。翌年曹洞宗管長。『曹洞教会修証義』を制定。1905年(明治38年)退任。1910年(明治43年)12月4日死去。90歳。(日本大百科全書、日本人名大辞典) |
4 | 牧牛素童 | 石川素童 | 大円玄致禅師 | 1841-1920 | 1905-1920 | 総持寺の横浜移転を実現した貫首。尾張国大曽根出身。1841年(天保12年)12月1日生。龍拈寺、清涼寺、豪徳寺、最乗寺の住職を歴任。1905年(明治38年)4月16日總持寺貫首に就任。翌年曹洞宗第8代管長。1911年(明治44年)、総持寺の横浜移転を実現する。1920年(大正9年)11月16日死去。80歳。(20世紀日本人名事典、日本人名大辞典) |
5 | 穆英石禅 | 新井石禅 | 大陽真鑑禅師 | 1864-1927 | 1920- | 陸奥国伊達郡梁川出身。1864年(元治1年)12月19日生。曹洞宗専門本校卒。新潟雲洞庵、最乗寺の住職を歴任。明治22年曹洞宗大学林学監。宗務院教学部長。1920年(大正9年)総持寺貫首。中国やアメリカで布教。1927年(昭和2年)12月7日死去。64歳。(朝日日本歴史人物事典、日本人名大辞典) |
6 | 玄光道山 | 杉本道山 | 真応誠諦禅師 | 1847-1929 | 1847年(弘化4年)生。1876年(明治9年)尾張鳴海・瑞泉寺の住職となる。松代長国寺住職。曹洞宗大学林学長。最乗寺独住9世。1929年(昭和4年)10月16日死去。83歳。(日本人名大辞典) | |
7 | 大忍孝道 | 秋野孝道 | 黙照円通禅師 | 1858-1934 | 1929-1934 | 遠江国榛原郡相良出身。1858年(安政5年)4月18日生。静岡長興寺で出家。曹洞宗大学専門本校卒。1889年(明治22年)天徳寺住職。1892年(明治25年)曹洞宗大学林学監。1905年(明治38年)永平寺の後堂となる。1907年(明治40年)大洞院住職。1909年(明治42年)曹洞宗大学学長。1916年(大正5年)可睡斎住職。最乗寺住職。1929年(昭和4年)総持寺貫首。1930年(昭和5年)曹洞宗管長。1934年(昭和9年)2月20日死去。77歳。(20世紀日本人名事典、日本人名大辞典) |
8 | 雷〓泰音 | 栗山泰音 | 覚同行智禅師 | 1860-1937 | 1934-1937 | 師家として、史学者として、宗政家として活躍した。京都出身。旧姓は村上。1860年(万延1年)生。1888年(明治21年)曹洞宗宗務局に入り法式改正係書記。人事部長、庶務部長、尚書、総務を歴任。1892年(明治25年)総持寺東京出張所副監院。1900年(明治33年)総持寺伽藍再建事務本部総務部副長となり、総持寺の横浜移転の中心的役割を担った。総持寺本山顧問、東京出張所監院などを経て、1934年(昭和9年)総持寺貫首。1937年(昭和12年)6月2日死去。78歳。村上泰音。(熊本英人「栗山泰音の教団論」[3]) |
9 | 天祐道海 | 伊藤道海 | 無辺光照禅師 | 1874-1940 | 1935-1940 | 新潟県出身。1874年(明治7年)5月生。能登総持寺僧堂に掛錫。1904年(明治37年)曹洞宗大学林卒。同年、山形県宝鏡寺住職。1911年(明治44年)横浜に移転した総持寺の初代副寺。1921年(大正10年)総持寺副監院。同年山梨県大泉寺住職。1925年(大正14年)6月総持寺監院。1928年(昭和3年)3月、最乗寺住職。1935年(昭和10年)3月曹洞宗管長(当時は本山住職と一致しない)。同年5月、総持寺貫首。1940年(昭和15年)7月16日死去。67歳。(20世紀日本人名事典、日本人名大辞典) |
10 | 白龍天山 | 鈴木天山 | 密伝慈性禅師 | 1863-1941 | 永平寺貫首69世。(略歴は総持寺#組織を参照) | |
11 | 活龍禅戒 | 大森禅戒 | なし | 1871-1947 | 永平寺貫首70世。(略歴は総持寺#組織を参照) | |
12 | 玉堂瓏仙 | 高階瓏仙 | 大鑑道光禅師 | 1876-1968 | 永平寺貫首71世。(略歴は総持寺#組織を参照) | |
13 | 宝雲界珠 | 福山界珠 | 真徳玄光禅師 | 1881-1943 | 1881年(明治14年)生。豊川妙厳寺住職。1928年(昭和3年)現在の豊川高校を開設。永平寺監院を経て総持寺貫首。1943年(昭和18年)3月15日死去。 | |
14 | 実山篤立 | 久我篤立 | なし? | 1861-1943 | 1943-1943 | 三河国出身。1861年(文久1年)8月1日生。曹洞宗大学林卒。1887年(明治20年)豊橋龍拈寺住職。1943年(昭和18年)総持寺貫首。同年3月19日死去。83歳。(日本人名大辞典)(20世紀日本人名事典では生没年を1863-1944とする。) |
15 | 訓山玄彝 | 佐川玄彝 | なし? | 永平寺貫首72世。(略歴は総持寺#組織を参照) | ||
16 | 祖学泰禅 | 熊沢泰禅 | 大光円心禅師 | 1873-1968 | 1944- | 永平寺貫首73世。(略歴は総持寺#組織を参照) |
17 | 本行玄宗 | 渡辺玄宗 | 円鑑不昧禅師 | 1869-1963 | ?-1957 | 大乗寺66世。1957年(昭和32年)10月15日退任。退任後は祖院に入る。興禅寺を創建。 |
18 | 瑩堂智〓 | 孤峰智〓 | 円応至道禅師 | 1879-1967 | 1957-1967 | 富山県富山市出身。俗姓は奥田。1879年(明治12年)8月16日生。曹洞宗大学林卒。教導講習院卒。永光寺、最乗寺住職を歴任。1928年(昭和3年)師家。最乗寺専門僧堂長、長野県専門尼僧堂長。総持寺副監院、監院、副貫首を経て1957年(昭和32年)総持寺貫首。1966年(昭和41年)鶴見女子大学を開設。1967年(昭和42年)11月1日死去。88歳。〓は璨(サン)。(20世紀日本人名事典、日本人名大辞典) |
19 | 絶海勝俊 | 岩本勝俊 | 正応天真禅師 | 1895-1979 | 1967- | 1895年(明治28年)2月28日生。1934年(昭和9年)吉祥寺住職。大船観音寺の開基。1967年(昭和42年)総持寺貫首。1979年(昭和54年)死去。 |
20 | 形山瑾映 | 乙川瑾映 | 仏海真光禅師 | 1902-1982 | 1902年(明治35年)生。新潟宗現寺住職。最乗寺住職。大船観音寺の開山。1982年(昭和57年)12月6日死去。 | |
21 | ? | 梅田信隆 | 真源宏宗禅師 | 1906-2000 | 1982-1996 | 1906年(明治39年)生。福岡県糸島郡二丈町出身。福岡禅覚寺、福岡東林寺を歴任。1982年(昭和57年)総持寺貫首。1996年(平成8年)退任。2000年(平成12年)9月11日死去。 |
22 | 得道芳髄 | 成田芳髄 | 大環正応禅師 | 1905-1998 | 1996-1998 | 1905年(明治38年)生。岩手正法寺、愛知龍谷寺、埼玉東光寺の住職を歴任。中国布教使を務めた。日泰寺専門僧堂堂長7世。1996年(平成8年)総持寺貫首。1998年(平成10年)1月22日死去。92歳。 |
23 | 雲海興宗 | 板橋興宗 | 閑月即真禅師 | 1927-2020 | 1998-2002 | 1927年(昭和2年)5月20日生。宮城県多賀城市出身。海軍兵学校入学。1953年(昭和28年)東北大学卒。福井瑞洞院住職、金沢大乗寺住職。1998年(平成10年)、総持寺貫首に就任。2002年(平成14年)10月退任。御誕生寺を創建。2020年7月5日死去。93歳。 |
24 | 大鼎晃仙 | 大道晃仙 | 慈峰英鑑禅師 | 1917-2011 | 2003-2011 | 釧路定光寺住職。1998年(平成10年)3月、総持寺副貫首。2002年(平成14年)10月、総持寺貫首。2011年(平成23年)4月16日退任。同年6月25日死去。93歳。 |
25 | 徹玄辰三 | 江川辰三 | 大寛真応禅師 | 1928- | 2011-2021 | 山梨県出身。1928年生。駒沢大学卒。高校教員を経て山梨県清光寺住職、愛知県宝泉寺住職を歴任。1996年(平成8年)、総持寺監院に就任。総持寺祖院監院など歴任。2008年(平成20年)、愛知県正眼寺住職。2010年(平成22年)3月、総持寺副貫首。2011年(平成23年)4月17日、総持寺貫首。2018年4月、全日本仏教会会長。任期満了の直前の2021年9月19日死去。93歳。 |
26 | 石附周行 | 1937- | 2021- | 最乗寺山主。神奈川県出身。1937年生。駒沢大学大学院満期退学。1968年、双林寺住職、1996年、最乗寺山主。全国曹洞宗青年会会長、宗議会議員、総持寺顧問などを歴任して2011年、総持寺副貫首。2021年9月19日?、総持寺貫首。 | ||
副貫首 | 盛田正孝 | 1944- | 正法寺山主。自坊は栃木県野木町満福寺。1944年生。1968年、駒沢大学大学院修了。総持寺で安居。1982年、特派布教師。1994年、関東管区教化センター主監。2006年、総持寺後堂。2007年、師家分上。同年、布教師養成所主任講師。2010年、大教師補任。2011年、師家養成所主任講師。2012年、特命布教師。2014年、正法寺59世。2017年、正法寺専門僧堂堂長。2022年3月9日、総持寺副貫首。 |
監院
監院(かんにん)。寺務の総責任者。他山の執事長・寺務長・執行長などに相当する。
- 黒田鉄巌()<>:
- 石川素童(1841-1920)<>:総持寺貫首4世。
- 長谷川天頴()<>:
- 滝谷琢宗(1836-1897)<>:永平寺貫首63世。
- 北野元峰(1842-1933)<>:永平寺貫首。
- 伊藤道海(1874-1940)<1925->:
- 孤峰智〓(1879-1967)<1936->:総持寺貫首18世。
- 長谷川孝善()<-1941->:
- 岩本勝俊(1895-1979)<>:総持寺貫首19世。
- 渡辺仙巌(1905-1990)<>:永沢寺273世。
- 松浦英文(1907-1995)<>:
- 成田芳髄(1905-1998)<1972->:総持寺貫首22世。
- 大道晃仙(1917-2011)<1980->:総持寺貫首24世。
- 斎藤信義(1918-2009)<-1995->:1982年善宝寺住職。2003年総持寺副貫首。
- 江川辰三(1928-2021)<1996-2000>:総持寺貫首25世。1996年1月から2000年2月まで総持寺監院。
- 渡辺剛毅(1920-2004)<1999-2002>:自坊は大阪臨南寺。
- 伊東盛熈(1930-2008)<?-2008>:宗務総長。自坊は佐世保市黒島興禅寺。1930年生。1996年、可睡斎55世。大船観音寺住職。2008年6月13日、時丸寺で死去。
- 横山敏明(1935-2014)<2008->:1935年生。1959年、駒沢大学文学部歴史学科卒。1971年、西有寺住職。1990年神奈川県仏教会会長。1995年、横浜市仏教連合会会長。1997年曹洞宗総務部長。2008年7月7日、総持寺監院。同年、総持学園理事長。大船観音寺住職。西有寺専門僧堂堂長。栴檀学園理事長。全国嶽山会会長。2014/10/9死去。
- 乙川暎元(1948-)<2011-2021>:自坊は新潟県宗現寺。1948年生。曹洞宗人事部長、財政部長、総務部長、教学部長を歴任。2011年、総持寺監院・総持学園理事長。2021年10月28日退任。
- 渡辺啓司(1950-)<2021->:自坊は高崎仁叟寺。群馬県吉井町龍源寺の出身。1950年生。駒沢大学仏教学部卒。総持寺と永平寺で修行。1975年龍源寺住職。1998年、仁叟寺住職。群馬県總和会会長、吉井町仏教会長、曹洞宗群馬県宗務所長などを歴任。2021年10月28日、総持寺監院。