ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

阿部野神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2022年5月16日 (月) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
移動: 案内, 検索
阿部野神社
あべの じんじゃ
Abeno-jinja (6).jpg
概要 南朝忠臣を奉斎する神社。
奉斎 北畠親房、北畠顕家
(土岐昌訓論文)
所在地 大阪府大阪市阿倍野区北畠3-7-2
所在地(旧国郡)
所属(現在) 神社本庁
格式など 別格官幣社別表神社
関連記事 南朝英雄奉斎神社


阿部野神社(あべの・じんじゃ)は、大阪府大阪市阿倍野区にある、南朝忠臣の北畠顕家北畠親房を祀る霊社。阿倍野は、石津の戦いで足利軍に敗れた北畠顕家の最期の地とされ、顕家墓の1km西に建てられた。同族を祀る神社で3社(当社、北畠神社霊山神社)も別格官幣社が認められたのは、北畠家が唯一である。霊山神社でも主祭神とされた親房と顕家は、徳川家康日光東照宮久能山東照宮)とともに、複数の別格官幣社の主祭神であることが国に認められた希少な例である。


目次

歴史

  • 1338年5月22日:北畠顕家、戦死
  • 1733年:並河誠所、大名塚に北畠顕家の墓碑建立(北畠顕家墓
  • 1878年2月27日:地元住民ら天下茶屋に北畠顕家の神社創建の請願[1]
  • 1878年10月29日:天下茶屋に創建許可[2]
  • 1880年10月1日:造営着手[3]
  • 1882年1月24日:別格官幣社に列格。創建の命令[4][5]
  • 1882年3月22日:鎮座地変更の請願6/2副申[6]
  • 1882年9月22日:名和神社の次位と定める。[7]
  • 1883年3月7日:天下茶屋は低湿のため藪山の現在地に変更[8]
  • 1885年5月26日:御霊代は神鏡。例祭日は1/24。地元は5/22を申請していた。[9]
  • 1890年3月31日:鎮座。勅使として大阪府知事建野郷三が参向。
  • 1938年:600年祭
  • 1945年3月14日:空襲で焼失
  • 1945年12月:仮社殿に奉安。この時、御魂振之宮を合祀
  • 1968年11月4日:本殿再建

境内

  • 本社
  • 勲之宮
  • 祖霊社
  • 御魂振之宮
  • 旗上稲荷社
  • 土宮
  • 祓戸社

組織

宮司

  • 安濃恒生(1833-1889)<>:国学者。阿部野神社初代宮司。伊佐須美神社日御碕神社都々古別神社小国神社の宮司を歴任。1873年(明治6年)陸奥・広峰神社長慶天皇陵だとして建議した。
  • 園八尋(1834-1900)<>:幕末明治の国学者。播磨出身。
  • 早川建彦()<>:
  • 中塚明男()<>:
  • 辻陳雄()<-1925->:
  • 村岡良臣()<-1938-1941->:
  • 中塚昌宏()<>:
  • 中塚武志()<2018->:2018年(平成30年)4月1日就任。

画像

資料

  • 1928『住吉村誌』「阿部野神社」[10]

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール